真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

無用の用、潜在的可能性とアフォーダンス

以前、と言っても、もう十数年前の、2007年のことであった。私は、このブクロで、https://mayumeto.hatenadiary.org/entry/20070309/1173411920という記事を書いた。そこから引用。
「無欲とは、欲が無いことではなく、認識できる段階(表面化)にはない、まだ潜在的可能性の段階の欲である。それ故に、その可能性は無限の方向性を持つ。つまり、無方向である。地下に眠るマグマの段階であって、地上に出て噴火する前の段階だという意味である。あるにはあるがまだ表面に現れていない」
私は、「無」を、潜在的可能性と捉えた。その無について、そのブクロ内で、無欲の欲、無用の用、無知の知を取り上げた。
今日は、潜在的可能性ということに関わるが、欲、用、知という素材側(使われる側)と、その素材を使う側に分けて、改めて考えてみたい。
先ずは、私のブクロ記事、https://mayumeto.hatenadiary.org/entry/20141030/1414625351、から引用。
「環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値である」アフォーダンスという言葉がある」
私達が生きている限り、必ず環境の中にいる。そして、その環境と関わりながら生きていく。
環境の中には、様々な素材が存在する。その素材は、私達には潜在的可能性として存在する。その素材を利用する者の能力によって、素材が潜在的に持っている意味や価値が違ってくる。例えば、木が、仏像として、潜在したり、机として潜在したりする。
注)環境を探索する者の能力や関心によって、環境に埋め込まれた千差万別の意味や価値の内、どれが選び取られるを示したのが、欲求階層説である。探索者の関心によって、見出だされる意味や価値が異なる。
環境の中にある素材は、関わる者によって、その中に持つ千差万別の潜在的可能性のいずれかが見出だされる。

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