真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

NHKテレビ番組100分de名著、ボーヴォワールの「老い」の四回目を視聴しての感想

一回目は、老人の価値は社会が固定観念的に与えて来た。個々の老人を見ないで、集団として一律に価値評価して来た。これは差別と同じ根っこである。という内容だった。
二回目は、時代は老人を老いてけぼりにする。老人は時代の流れについていけない。日本国も老人化して、世界、時代の流れについていけなくなっている。
三回目は、性である。社会的欲求の根源、源流は、性だと思う。だから、肉欲としてだけでなく、そこに心理的精神的繋がり欲を上乗せする必要がある。
そして、四回目(最終回)は、社会保障社会福祉(最低限の保障)である。人生は、人の能力は、斜め前に投げ挙げられたボールと同じ軌跡を辿る。全てを頼る生活から徐々に自立(自律)をして行き、人生の黄昏れには、徐々に他人に頼る生活に深まって行く。
その時に、本当に頻繁に見かけるのが、介護員が、老人を子供扱いすることである。老人は、心まで子供返りはしない。肉体的な能力は子供返りを辿るが、心はそうではない。
老人は、心(特に自尊心)は高いままだが、身体能力が目に見えて衰えて行く。その落差に苦しむ老人が、周囲と大きな摩擦を生む。
話は変わって、日本は、老人への社会保障を成長産業として、産業の最重要事項に高めるべきではないか。頂上は高いし、裾野は広大である、富士山のように。