真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

100分de名著、アレクシエーヴィチ“戦争は女の顔をしていない”の二回目を視聴しての感想

100分de名著、アレクシエーヴィチ“戦争は女の顔をしていない”の二回目を視聴しての感想。
この一回目を視聴して、感想が書けなかった。何故なのだろうかと考えた。
このようなテーマ(戦争の中の女性)を考えたことがなかったから。このテーマが私の今までの知識、経験体系の中へ収まりをつけられていなかったから。このピースを私の知識体系のどこにしっくりと収まるか。馴染んで行くのに時間がかかったから。
話は変わるが、最近、DaiGo氏が、炎上している。メンタリストだという氏。何故炎上したかを考えた。彼が、意味記憶から思想を紡いだからではないかと思えた。意味記憶に対して、エピソード記憶がある。エピソード記憶とは、全ての人々にとって個別具体的な経験記憶のことである。私の飼っていたナナという犬、街で見かけた老いた汚れた雑種犬、などなど。それに対して、意味記憶は、犬とはと語る思想的言葉記憶。
DaiGo氏は、意味記憶から個人の感想を述べた。これは単なる個人の感想だからねという言い訳を添えて。彼には、単なる個人の感想を批判されても、これは単なる個人の感想だからね、で逃げきれると思ったのだろう。
意味記憶からは、思想が紡ぎ出される。ここで先ほどの、「アレクシエーヴィチ“戦争は女の顔をしていない”」に話を戻す。戦争は、意味記憶から紡ぎ出されて、それに乗っかって、始まる。しかし、この著書に登場する女性達は、全てエピソード記憶を語っている。戦争中であっても、戦場の中にあっても、個人的なエピソードが記憶されていく。
意味記憶は、男に思想を吹き込むかもしれないが、女の心を打たない。エピソード記憶は、男を退屈させるかもしれないが、女の心をワクワクさせる。
勿論、私が使う「男」や「女」という言葉は、意味記憶なのだが。
所で、意味記憶と言えば、菅首相を思い出す。菅首相は、本当に意味記憶からしか言葉が発せられない。その極端さは際立っている。彼にエピソード記憶はあるのだろうか。
追記)「愛は深い」は意味記憶から。「犬が必死で溺れる子猫を助け上げた」はエピソード記憶から。