真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

100分de名著 日蓮の手紙の四回目「老病死」を視聴しての感想

日蓮の凄さは、信者と同じ地平に居て、同じ方向を見て、共感して、という、今時の言葉で表せば、"with you"、「あなたとともにある」を体現した人である。
であっても、世は諸行無常なので、何時までも感情の中に沈み込んでいるのではいけない。そこで嘆きの根源(老病死)を対象化して行くことによって、そこから救い上げていこうとする。それは、一言で言えば、言葉化、言語化である。もっと一般的に言えば、見える化である。対象化することによって、そこから抜け出すことができる。比喩的に言えば、自分の姿を鏡に映し出すことである。対象化は客観視である。
所で、日蓮は、霊山浄土(りょうぜんじょうど)という言葉を使う。この浄土は娑婆世界の中に存在する。禅宗では「娑婆即寂光土」(しゃばそくじゃくこうど)という。即ち、この世という迷界のほかに仏界なしと、禅宗は主張した。
私は、仏教のいう仏性とは魂のことだと感じている。所が人間は、生まれて数年後には自我が発生して、その自我を拠り所として生きて行く。自我を拠り所として生きて行くこの状態を迷界という。つまり迷界とは場所ではなく状態である。そこで、修行によって、自我を滅失させ、仏性(魂)を目覚めさせていくことで、この世を仏界にして行くと、私は見ている。そして、仏性が完全に目覚めた人を、覚者、悟った人という。
自我からは、生老病死が見えるが、仏性(魂)からは、生老病死は存在しない。あるのは、ただただまばゆい浄土ばかりなりである。だが、迷界が場所ではなく状態であったように、浄土も同様に場所ではなく状態である。

日蓮

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