真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

新党大地代表の鈴木宗男氏と作家の乙武洋匡氏の激突

(1/2) 鈴木宗男「乙武さんの人間性を疑います」 ベビーシッター事件めぐりブログで激突 : J-CASTニュース
を読んで、感じたことについて書きたい。まずは、そこから二つ引用。
1)「埼玉県富士見市のマンション一室で男児の遺体が発見され、ベビーシッターの男が逮捕された問題をめぐり、元衆議院議員新党大地代表の鈴木宗男氏と作家の乙武洋匡氏が、ブログで激突している」
2)「宗男氏のブログを読んだ乙武氏は同日にツイッターで「政治家がすべきは母親叩きではなく、母親がそうせざるを得ない社会状況を改善することでは」と反応した」
乙武洋匡氏は、今まで発信されておられる内容から、全般的に、社会状況に原因を見出す方向に目が向いているように思える。
それに対して、鈴木宗男氏は、改善すべき社会状況は認めるけれども、個人の側にも責任があるのではと問題提議しているように思える。
表現が良くないかもしれないが、生活面で底辺にいる人々にとって、毎日その日一日生き延びることに全力を傾けなければならない人々にとって、「そうせざるを得ない社会状況」(選択肢が極めて狭い社会状況)が存在するのは事実である。
そして、乙武洋匡氏も、そんな状況(もちろん、経済面では恵まれているだろうが)をくぐり抜けて来た、否、今なおくぐり続けているのだろうと想像される。
だから、彼には、そのような「そうせざるを得ない社会状況」を強く気づく立場にあると、私には感じられる。
母親叩きができるのは、その人には選択肢がそれ以外にもさまざまあるのに、安易な方法、楽な方法を選んだ、そんな意志に対しては、すべきだと思う。
となれば、必要なのは、そんなベビーシッターに預けた母親の生活状況に対する詳しい情報だろう。
その人を取り巻く社会状況(家族を含めて)から、その人の生活履歴までの、社会組織と個人に関する情報。
この母親側の原因が、「そうせざるを得ない社会状況」に極めて強くあるのか、それとも、他にも選択肢がある中で安易にそれを選んでしまった母親個人にあるのか、を判断出来るだけの情報が必要である。
それがない中では、それぞれ個人が、不明な部分を自らの想像や体験で埋めて、そこから結論を引き出すことになるのではないか。自分の気持がそこにかなり入ってしまう。
本当に多いのが、人々の議論や論争を見ていると、不十分な情報から、個人の体験や感情や思想などで穴埋めして、稚拙に結論を出すことである。
参考)洞察・ひらめき・インスピレーションはユーリカ体験 - 真 夢人 日記
この母親の生活状況に対する詳しい情報が得られなければ、この二人の間の論争のように、咬み合わないままで、互いに自分が正しいとして、相手を批判することになってしまう。
大手情報メディアに期待したいことは、できるだけ、個々人が判断できるような、詳しい情報を伝えてほしいということである。
紙媒体であれば、それは、紙面の関係で、発行回数の関係で難しいと思うが、ネットに流すならば、文字数も、発信回数も制限しなくてもいいのだろうから、可能であろう。
また、これが、大手情報メディアの進むべき方向の一つではないかと思えるのだが。情報を、歴史(時間軸)と地図(空間軸)という基準で、縦横無尽に織りなす報道を期待したい。