真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

多面的視点から見よう

[さまざまな視点から見るべきだ]
◎社会現象(人が関わる諸々の出来事)を見るときに、どの視点から見ているかの自覚が必要だ。経済、文化、社会、心理、政治、学問などなど。
[新聞やテレビの報道に個性が感じられない]
◎最近、新聞やテレビの報道を見ていると、どの新聞もどのテレビ局も同じような視点から報道されているようにしか思えない。嵐山の紅葉のように、一色に染まっている。だから、たとえば、ホリエモンに対しても、どのテレビ番組、報道を見ても同じである。個性が感じられない。
[独自色を打ち出してもいいのじゃないか]
◎ これはどうしてなのだろうか。各新聞、各テレビ局は、もっともっと独自色を打ち出してもいいのじゃないだろうか。これは、テレビ局では視聴率が唯一の物差しだからだろうか。新聞社でも独自色を鮮明にしてもよさそうに思うのだが。朝日新聞産経新聞には少し色がにじみ出ているが。
[ブログは独自色を出せる個人的発信]
◎ 今やブログが大流行であるが、それらブログは個人的発信である。これは独自色を出すのに向いていよう。大手の新聞やテレビが示し得ない独自性がブログの命かもしれない。ここがブログの評価されている点だろう。未知の事柄に対しては、事実以外にも、ある程度の評論、評価などがほしい。そこまで踏み込まないと、判断の材料に乏しくなる。
[対社会という一つの視点を提供する]
◎そこで、私は一つの視点を提供したい。それは[対社会]という視点である。具体的にいえば、一つの事件、出来事が社会に対してどういう立場、態度を示しているかという視点である。といっても、私の独自案ではなく、精神分析でも同じことを言っているが。
[五種類の対社会的立場]
◎社会に対してどういう立場に立つかという[対社会]は、①[脱社会]、②[抗社会]、③[離社会]、④[同社会]、⑤[反社会]の五種類があると考える。
[脱社会は上に突き抜ける離脱]
◎①[脱社会]とは、社会からの離脱、しかし単なる離脱ではなく、上に突き抜ける離脱(哲学的には止揚)である。宗教が求める、すべての宗派宗教(個別的宗教団体)がそれを目指しているのかどうかは知らないが。宗教一般では社会からの超脱を目指している。仏教では、(社会的なあらゆるものへの)執着を断ち切れという。
[抗社会は反主流(傍流)的立場に立つ]
◎②[抗社会]は、主流的社会(体制派)に対して、反主流(傍流・反体制)的立場に立つことである。与党に対して野党、主に対して従的態度を示すことである。
[離社会は社会から離れて距離を置く]
◎③[離社会]は、主流的社会に対して、反主流(傍流)的立場に立つことである。では[抗社会]とどう違うのか。抗社会は主流社会に挑戦を挑む、時には転覆をもくろむ。がしかし、[離社会]は隠者のように主流的社会から離れて距離を置く。群れから離れた離れザルのように。修行者が社会から隔絶した森に分け入るように。竹林の七賢人のように。
[同社会は同化しようとする態度]
◎④[同社会]は社会(特に主流的社会)へと同化しようとする態度をいう。一番多い立場であろう。これが極普通の態度であるのだから。学習ではこの態度であれば一番よく知識が身につく。 しかし、この態度に終始すれば、新しい発展は望めない。
[守破離]
新しい発展とは、幹から分岐して枝を出すことである。受け継がれたものごとを守るだけでなく、 現代に合わなくなった部分を捨て去り.そこに 新しく、独自の工夫を加え、そして今までの型を越える守破離が必要である。
[反社会は秩序の破壊者として立ちふさがる]
◎⑤[反社会]は、社会に対して破壊者として立ちふさがる。[抗社会]は社会に対して反対するが、あくまで合法的、法律の範囲内で行動する。それに対して、[反社会]は、法を破る、人へ破壊行為を投げかける。秩序を乱すことをわざとする。秩序破壊である。
[このような視点から社会現象を見てみたらどうだろうか]
◎このような視点から社会現象を見るとき、経済、文化、社会、心理、政治などの分野で活動する人々に横断的につながる共通性が見えてくるのではないだろうか。この視点から、小泉首相ホリエモン、元オウム真理教宮崎勤を見てみるのも興味深いのではないだろうか。