真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

道連れ自殺、無理心中

[チョコをプレゼントされた]
◎私は、昨日(2008/2/14)、一時の幸せを噛み締めた。妻と三人の娘から、(義理)チョコをプレゼントされた。 \(●^∇^●)/。今年は、チョコと、チョコケーキとが半々でした。あまーい幸せを口いっぱいに出来た。無上(決して無情でも無常でもありません!!)の幸せである。
参考資料→(私のブログ)バレンタインチョコ
[無理心中が多発]
◎所が、世間では、やり切れないというか、憤懣やるかたないというか、親族を道連れにした無理心中が、多発している。
[巻き添え自殺は本当に絶えきれない]
◎自殺すら、やって欲しくはないが、ましてや、親族や他人を巻き添えにした自殺は、本当に絶えきれない。
[無理心中を図っての殺人と放火]
◎2007/12/3、宮城県加美町で、民家が全焼し、一家5人が死亡した。県警は、無理心中を図ったとして殺人と放火の容疑で、死亡した世帯主を書類送検した。
[4人を一酸化炭素中毒で死亡させた]
◎容疑者(世帯主)は、家にいた父と母をおので殴った上、室内に灯油などをまいて放火した。父母、さらには、長女、孫娘と、4人を一酸化炭素中毒で死亡させた、疑いがもたれている。
[家族3人をなたで襲った後自殺]
◎また、ごく最近、2008/2/8、東京都足立区の機械修理販売業の家庭で、一家4人が死傷した。世帯主は、家族3人をなたで襲った後、自殺した無理心中とみている。
[他人道連れの道連れ自殺]
◎しかし、家族ではなく、全くの他人を道連れにした、道連れ自殺も増えている。道連れにされた遺族はどれほど憤懣に煮えくり返る思いだろうか。
[銃乱射で4人が撃たれ死亡]
アメリイリノイ州の、北イリノイ大学構内で、2008/2/14、男が銃を乱射し、4人が撃たれて死亡し、17人が負傷した。犯人の男はその後銃で自殺したとみられ、死亡が確認されている。
[自分だけで死なないのかと憤り]
◎家族や恋人とへの無理心中に対して、何で自分だけで死なないのかという憤りが湧いてくる。しかし、他人を巻き添えにした道連れ自殺では、本当に身勝手でさらにさらにもっともっと許し難い。
[猟銃での無差別殺人]
◎銃による無差別の殺人は、外国だけの話ではなく、日本でも、最近、何件か発生している。長崎県佐世保市での散弾銃乱射事件では死傷者が8名にも及んだ。猟銃での、無差別(?)殺人による、道連れ自殺が発生した。
[世間をあっといわせる]
◎これは、ある意味、花火を打ち上げるような気持ちかも知れない。派手なことをして、世間をあっといわせる。しかも、自分は大きなことを成し遂げたという、きわめて高揚した気分を味わえる。そして、その気分の中で、自殺を決行する。
[冷静な気分では自殺しづらしい]
◎これは別の見方をすれば、冷静な気分の中では自殺しづらしいだろうから、銃という派手な音の出る爆発物を使う。血祭りという言葉が思い浮かぶ。祭りを作り上げたという思いかもしれない。
参考資料→「運転手殺害の自衛官、携帯電話など海に捨てる…県警加治木署が押収」(from読売新聞)


少年は「人を殺して死刑になりたかった」と供述しており、同署は少年が鹿児島に来る前の時点で、犯行を決意していた可能性もあるとみて調べている。
[社会一般への復しゅう]
◎これはまた、社会一般への復しゅうの意味も込められているようにも思える。自分をこのような状況にまで追い込んだ社会に対して。とはいえ、これは誠に単なる身勝手な思い込みだが。
[人生への無意味を味わった]
◎これは、さらに別の観点から見れば、人生への無意味を味わったからだろう。生きてゆくには、人生には、生き甲斐を創り出す目標が必要だ。何のために生きているのだろうか。これから先何を拠り所として生きていればよいのだろうか。
[真っ暗な闇の中をさ迷う]
◎それがなければ、真っ暗な闇の中をさ迷っている、あるいは、四方八方が深い霧で閉ざされた山道を、あてどなくさ迷う姿にも擬せられる。我々が何かを知るには、次の方向を暗示する感触が必要だ。フィードバックがなければ、イライラが募り、不安が倍加する。
[人生で師を見出せなかった]
◎私は、こうなっていったのは、人生で師を見出せなかったからではないかと思う。先ずは、両親、学校に通えば、先生が、会社にあれば、先輩、などの人生の先輩として、彼らの前に立つ師。そのような、自分の未来を指し示すような師に巡り会わなかったのだろう。
[明るい未来を照らし出す師]
◎社会が、政治が、人々が、若い世代にとって、明るい未来を照らし出す、師としての役目を担っている。好むと好まざるとに関わらず。今の世相が暗いのは、明るい未来を照らし出す師が少ないからではないのか。私をも含めての反省として。