真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

あなたは社会に益する側か、害する側か

[久しぶりに家の片付け]
◎今年の寒さは例年よりも、厳しいように感じる。それで動くのがおっくうだったが、今日久しぶりに家の片付けをした。家事をしなかったら、私が粗大ゴミになってしまいそうだ。
[ゴミとは何だろうか]
◎そして、ゴミを片付けしながらこう考えた(漱石のまねです)。ゴミとは何だろうか。ゴミとは、次への使い道が無くなった物である。
参考資料→(私のブログ)「失敗とは何か」
[自分にとって不要なものをゴミと見なす]
◎子供たち(もう全員大人である。しつけを忘れた)は何も考えないで、自分にとって不要なものを全てゴミと見なして無造作にゴミ箱に放り込む。
[混ぜればゴミ、分ければ資源]
◎「混ぜればゴミ、分ければ資源」。子供たちが捨てたゴミを確認しながら、これも資源だ、あれも資源だと分別しながら、ゴミ箱から冊子やプラスチックや包装紙を拾い出した。
[几帳面さが分かれ目]
◎分ければ資源だが、分別しながら几帳面さが分かれ目だなと痛感した。「ええ、めんどくさい、どうでもいいや」と、思ったが最後、貴重な資源が環境破壊のゴミに変身する。
[ゴミを出すのは人間だけ]
◎ご存じだろうが、「ゴミを出す」のは、人間だけである。私はうっかり朝ゴミを出すのを忘れるが。ということは、私は人間ではなかったのか。私は鳥、うっ雁(カリ)であろう。
[排出物は他の生物の資源]
◎つまり、人間以外の動植物(生物)が出す排出物は、他の生物の資源となる。しかしながら、人間が発明した人工物は、自然にとって、何ともリサイクルしづらい代物である。
[宇宙は循環を基本原理]
◎宇宙は循環(リサイクル)を基本原理としている。「誰かが捨てたゴミを誰かが利用する」、を基本原理としている。
[二酸化炭素は生物が炭素+酸素に分解]
◎簡単な例をあげれば、人間が排出する二酸化炭素は、ある生物は、それを「炭素+酸素」に分解して炭素を利用する。そして、不要物として、酸素を放り出す。人間は逆に、 その生物から不要物(ゴミ)として放り出された酸素を有用物(資源)として取り込む。
[そこにあり続けるがゴミ]
◎しかし、人間が創り出したプラスチックを、自然は有用物として取り込まない。それはいつまでもそこにあり続ける。これがゴミである。
[ゴミの形にはなってゆかない]
◎自然が創り出したものは、全て次に誰かが利用できる形で、宇宙に送り出される。決して、リサイクルできないゴミの形にはなってゆかない、どれだけ循環され続けても。
[リサイクル可能性を見込んで製品化]
◎もうすでに提案されていることではあるが、ゴミを減らすためには、生産者側が、作る段階から、分解や自然からの取り込みを計算に入れて、つまり、リサイクルの可能性を見込んだ上で、製品化することを心がけるべきだろう。
[ゴミが出ない製品を歓迎]
◎しかし、消費者側も、生産者側に全面的に押しつけてしまわずに、出来るだけゴミが出ない製品を歓迎する態度を養わねばならない。
[ゴミの分別を当たり前のこととして]
◎また、ゴミの分別を当たり前のこととして、自然な行動形態として、身体にたたき込んでおかねばならない。
[環境教育を組み込むべき]
◎それには、学校で、出来るだけ早く(小学校低学年)から、身近なことからを使って、環境教育を、組み込むべきである。しかも、実践を伴う教育を、学校生活の中に組み込むべきだ。
参考資料→(私のブログ)「身近な環境問題を身近に」
[不必要になったら次へバトンタッチ]
◎冒頭で、「ゴミとは、次への使い道が無くなった物」と書いたが、自分が使って不必要になったら、次への利用者へバトンタッチしてゆく姿勢を持たせる教育を子供たちに授けて欲しい。
[循環型社会を当たり前の事実として受け入れる]
◎世界は、特に先進諸国は、大量消費、使い捨て思考から脱却して、リサイクル、再利用、再使用という、「ゴミとして捨てるのではなく、次に手渡す」という、循環型社会を当たり前の事実として受け入れる時代に当面している。