真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

科学に対する素朴な思い違い

[科学は横暴]
◎私は、「科学が横暴だ」と感じることが時々ある。いや、今日のテーマと同じで、科学者には横暴なせんえつな人を時々見かける。
[心理学の発展を遅らせている]
◎これは私が、心理学を少々かじったこにに起因する。心理学は、特に臨床現場から生まれ出た心理学は、科学の側から、科学的でないと批判され続けてきた。これが心理学の発展を遅らせている面があるように感じてきた。
[全体と個々]
◎今日のテーマは、科学と科学者、全体と個々。言い方を変えると、科学という領域と、科学が今までに獲得した、実証し得た知識とは違うのだということである。この違いを区別しない科学者もあるように思える。
[区別をはっきり自覚すべき]
◎もっとはっきり言えば、この区別をはっきり自覚すべきなのに、全体と個々を勘違いしている科学者や科学を信奉する人々が意外にたくさんいるのではないかと感じる言動を見聞きする。
[特定できた知識と未知の領域]
◎別な言い方をすれば、アマゾンの熱帯雨林全体と、その中に生息する生物を特定できた知識とは違うのだということである。
[完成図柄と個々のピース]
◎更に別の言い方をすれば、ジグソーパズルの完成図柄と、個々の一つ一つのピース。いまだ、科学という完成図柄に当てはめられているピースの数はそんなに多くはない。
[区別は一体いつできるのだろうか]
◎ある事象を科学が特定できないということは、それが非科学的だということにはならない。その事象(ピース)は、科学完成図柄の内部に置くべきものか、外に置いておくべきものかの区別は一体いつできるのだろうか。
[非科学的だとの断定もできないはず]
◎科学の方がそれを特定できるほどにまで発達発展できていない可能性だって多分にある。その可能性は永遠に否定できない。それならば否(=非科学的だ)との断定もできないはずだ。
[獲得したピースから特定]
◎科学者が特定に使えるのは、すでに獲得したピースからでなければならない。ある事象が本当は科学で証明できる範疇に入っているとしても、科学者がそのピース(知識)を持ち合わせていなければ、証明しようがない。
[科学は証明できなかっただけ]
◎例えば、「たましい」は、科学で実証できてはいない。だからといって、そのことによって、「たましい」が存在しないという証明がなされたということにはならない。単に科学は証明できなかったというだけのことである。
[電波は非科学的なものであった]
◎例えば、電波は、1888年にハインリヒ・ヘルツによる実験で発見された。つまり、この年以前には、電波は非科学的なものであったが、その発見によって、科学という範疇に迎え入れられた。 とはいえ、電波(電磁波)は元々から科学の領域に入っていたのだが、
[物理学が取り扱える範囲は狭かった]
◎このように、物理学が取り扱える範囲は、昔は狭かった。例えば、近年では、アインシュタインの誕生によって、その扱える範囲(それまではニュートンの物理学)は広がった。
[実証の前に理論的予測で予言]
◎先ほど述べた電波は、マクスウェルの論理的予測に基づいて、ヘルツによって発見された。このように実証の前に、理論的予測という形で予言されることも多い。
[科学が扱える範囲は膨張]
◎電波の発見が実際に示したように、科学が扱える範囲は、宇宙が膨張しているのと同じように、どんどんと膨張している。
[科学が扱える範囲は未熟段階]
◎これは逆から言えば、 科学が扱える範囲はまだまだほんの未熟な段階であり、科学的に証明、実証できないからといって、否定すべきではない。例えば、「たましい」だって、科学的に実証される日が来るかもしれない。
[今の科学が持ち合わせる知識は一握り]
◎科学が将来的に扱い得るであろう領域はとてつもなく広いであろうが、現在ただ今の科学が持ち合わせている知識は本当に一握りでしかない。
[インチキとの断罪は行き過ぎ]
◎だのに、科学的に証明できないものは、偽物、インチキ、と断罪するのは行き過ぎであるのではと感じる。科学的に証明できないものに対して、科学者はその辺をどう見ているのだろうか。