真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

金融市場は裸の王様の寄り合い

ある所でバナナのたたき売りをしている。
そこに大勢の客が物珍しそうに集まって来る。
たたき売りが、「今日のバナナはすごいよ」。
「どうだいくらで買う」と大勢の客に向かって叫んだ。
千円出すよ。--よし売った。
では、このバナナはいくらで買う。--俺は2千円で買う。--よし売った。
さあ、このバナナならいくらで買う。--俺なら5千円で買うぞ。--よし売った。
とバナナは次から次へとどんどん値がつり上がって売れていった。
ある男が、そのような雰囲気に飲まれて、「よし、俺は1万円出すぞ」とと大声で言った。
隣にいた息子が、「そのバナナはスーパーで、300円で売っていたよ」と周りにも聞こえるほど大きな声で叫んだ。
その声で、バナナを買った人々は、はっと我に返って気がついた。自分たちはまさに「裸の王様」だったことに。
でも、今本当にスーパーではバナナが店頭から消えていますが。
ダイエット食だそうです。テレビタレントが実演してからバカ売れだそうです。
しかも、たまに売り出されると、それが一ヶ月前の5倍の値段になっていました。
虚の世界でも、実の世界でも、バナナは怖いですね。
その前の大騒ぎした納豆は、一ヶ月もたたずに元の木阿弥に帰りましたよね。
でも、設備を増設して泣いている業者もあるそうです。
このバナナ(あるいは納豆も)を株券、証券に置き換えてみれば、いままさに起こっている金融危機ですよね。
世界中が狐に取り憑かれたかのように、実体のない紙切れに高額なお金を払い続けてきた。
誰かが5千円だと騒ぐからそれを信じた。
また、誰かが1万円と叫ぶからそれを信じた。
そして、誰かがもっと高く買ってくれるだろうという「妄想・幻想」の元にそれを売り買いする。
でも、そこへ純真な子どもの「あなた方は裸の王様だよ」というほっぺたをはたく一言。
そこで、みながはっと我に返る、これは単なる紙切れに過ぎないことを。
極端なことをいえば、紙切れをバカ高い値段で取引をしているのと同じことですからね。
そういえば、昔トイレットペーパーを買いだめに走りましたね、命がけで。私もでしたが。
これも誰かが、千載一遇のチャンスだとして仕掛けたのでしたね。
とはいえ、トイレットペーパーも紙切れですが、紙幣も紙切れですね。
なのだから、紙切れを紙切れで買って、儲けた儲けた、損した損したと。
夜も寝ずに、戦い続けている大人たちが大勢いることも確かです。
それを、隣にいた息子から見れば、あり得ないだろう、このおじさんたちは。
どうして、紙切れでこれほどまで真剣に「ままごと遊び」をしているのだろうかと。
自分たちでもそこまで真剣には遊べないよというほどの熱の入れようが不思議でならないだろうと想像できます。
それは離れた所から見れば、滑稽にも見えるし、猿芝居にも思えるのですが。
紙遊びをする裸の王様たちを支えている、踊らせているのは、「妄想・幻想」である。
その妄想という泡がはじけてしまうと、熱狂の音楽が鳴りやむと、
全員踊りをやめて、自分たちが裸の王様であったことに気づく。
よくある話ですが。
心理学者「岸田秀」(fromWikipedia)は、常識として疑われることなく通用している意味、観念を「幻想」と言い切り、徹底的な相対化を行う。
また、「吉本隆明」(fromWikipedia)は、「共同幻想」という。みんなが共同してあるもの(国家、証券、紙幣などなど)をかついで進んでゆく。
全員がかついでいる間は、それは実物と見えている。
が、かつぐのをやめると、それは幻想として見える。
それ「妄想・幻想」(マーヤー)は、仏教がとっくの昔から説いていたのですが。
人間は根っから(中が空洞の)「しゃぼん玉」が好きなんですね。