真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

生きる目的は何なのだろうか

[藤村操]
◎唐突な話題なのですが、旧制一高(現在の東京大学の前身)の学生だった「藤村操」(fromWikipedia)は、明治36年1903年)5月22日に、華厳滝(栃木県日光市にある有名な滝)で自殺した。
[巌頭之感]
◎彼はその時「不可解」の文字で有名となった遺書「巌頭之感」を残した。それが当時のマスコミ・知識人に大きな波紋を投げかけたそうである。
[社会に大きな影響]
◎大きな波紋とは次ようなものであった。厭世観から起こしたエリート学生の死は、「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。
追記on2010/08/01)社会が大きな影響を受けるのは、多くの人々の無意識内に醸成していたが、未だ表面化していない問題を面と向かって突きつけられたからであろう。
[大きな影響を与えたことは事実]
◎とはいえ、自殺の数ヵ月後に、本当の原因は失恋であったと判明した。それが事実か否かは分からないが、とにかく、「社会に大きな影響を与えた」ことだけは事実のようである。
[厭世観]
◎ちなみに、「厭世観」とは、「現実世界では、善より悪が、快より苦が支配的・優越的であるとの考えを持つこと」、「この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観」(要するに悲観的な人生観)だそうである。
[エリート学生の死]
◎そこで、「エリート学生の死は、明るい未来を展望できる「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え」たという部分に私は注目した。
[考える機会と時間を社会全体に与えた]
◎今までの当然とした考えや行動に、ストップをかけた。あるいは、反省、「ちょっと待てよ」と考える機会と時間を、社会全体に与えたからだ。その点(大きな波紋・影響)について考えた。
[欲求階層説]
◎というのは、以前に紹介し、解説した、さまざまな欲求は横並びではなく、縦に階層構造を成している「欲求階層説」と、今の世界金融危機と結びつけるためである。
参考資料→(私のブログ)「今を知るために日本の歴史を振り返る」
参考資料→(私のブログ)「欲求階層説と個人と国家」
[発達課題]
◎さらに、心理学者エリクソンのいう「発達課題」(fromWikipedia)とも関連させたかった。
[人生は成長か停滞かに分岐]
◎彼は、課題をクリアーすれば、次の新しい段階(レベル・階層)へと進む(昇る)ことができるという。もし、課題を達成できなければ、その状態に固着(停滞)するともいう。そこで人生はさらなる成長かそこでの停滞かどちらかに分岐するという。
[慣性]
◎さらに、私の考えを述べるために、物理学でいう「惰性」「慣性」も持ち出したい。それは、物体に外から力が働かないとき、その静止した物体は静止を続ける。動く物体は運動状態を変えず、 等速直線運動を続ける、という。
[変化を与えたかったら外から力を]
◎つまり、もし、相手の考え・行動に変化を与えたかったら、外から力を加えなければならない。ということで、冒頭の遺書「巌頭之感」を残した藤村操は、立身出世を美徳としていた当時の社会に大きな影響を与え得たといえる。
[長く続けると惰性]
◎マスローの階層する欲求にしても、エリクソンの発達課題にしても、長く続けると、「惰性」「慣性」するだろうから、多分外力を与えないといけないと思う。
参考資料→「自己実現理論」(fromWikipedia)
[新しい階層へと登る機会は外から]
◎ということで、新しい階層へと登る機会は主として外からやってくる。しかも、それは挫折として、その人の前に立ち現れる。だから、挫折は、今までの慣性的な欲求・課題の遂行を止める役目を担う。
[夢で三階もあるよと指し示された]
◎ちょっと話がそれるが、私はもうかなり以前だがある夢を見た。それは、「あれ、私の家にはまだ上の階があったんだ」と気づく夢であった。私の家は二階建てだったが、夢で三階もあるよと指し示された。
[今回の金融危機社会にいい機会]
◎そういう意味で、今回の金融危機(世界恐慌とも呼べるかも知れない)は実は社会にとっていい機会であるかも知れない、新しい階層へと登るには。
[生きる目的は何なのだろうか]
◎実をいえば、今回の題名として、「生きる目的は何なのだろうか」を思いついた。そして、この題でブログを書き進んできたが、この流れとこの題とは結びつくのだろうか。
[挫折は未来からの招待状]
◎「生きる目的は何なのだろうか」と、ふと考え込む人は、もしかすれば、何かに挫折した結果ではないかと思う。そして、先ほどから述べてきたように、挫折は未来からの招待状であるといいたい。
[白紙の招待状]
◎もちろん、その招待状には、場所も、時間も、目的も書かれていない白紙の招待状なのだが。さらには差出人さえ分からない招待状である。
[書き込むのは受け取った本人自身]
◎そこに、それらを書き込むのは、それを受け取った招かれた本人自身である。「生きる目的」は他人から与えられるものではなく、自分自身が書き込む白紙の招待状なのだ。
[その人の持つ人生観]
◎「白紙の招待状」を受け取って、「不可解」と嘆くか、「何を書き込んでもいいのか」と世界が全面展開する様に目を輝かせるかは、その人の持つ、人生観なのだろうと思う。