真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

喫煙室を設置した高校をどう思いますか

[高校寮に喫煙室]
「高校寮に喫煙室 設置容疑で愛知の私立高校を家宅捜索」=From"asahi.com朝日新聞社)"の記事を読んで、「問題は難しいな」と悩んだ。
[服装、態度で不合格の発想]
◎以前(2008/11/11)、私はこのブログで「「服装、態度で不合格」の発想はどこから来るのか」を書いた。
[システム自体が崩壊]
◎その中で、システム(組織)自体が崩壊すれば、その中のもの全員が立ちゆかなくなるから、トップはシステム(組織)維持に努めなければならない義務があると書いた。ある意味、生徒を取るかシステム(組織・学校)を取るかで、システムを選択したといえる。
[妥協しなければならない場合]
◎「服装、態度で不合格」は理想としては良くないかもしれないが、現実としては個人(ボトム)を守るかシステム(トップ)を守るかで妥協しなければならない場合も多い。日本人は妥協が下手である。妥協という言葉自体に悪いニュアンスが立ちこめている。
[指導困難な学校]
◎今回の場合も、「20歳まで喫煙禁止」を貫くだけでは、システムが立ちゆかない状況にある指導困難な学校が、現実を少しでも改善する方法として「喫煙室」を設置した。私の感じでは、この高校は貴重な存在に思える。
[記事からの引用抜粋]
◎「指導困難な学校」を感じさせる内容を、私の独善的な引用抜粋で、しかも読み手を誘導するような偏見的に引用する。お許しを。では、記事からの引用。
1)「在学生231人のうち喫煙者は男子47人、女子25人の計72人」2)「昨年1月に女子生徒寮でたばこが原因とみられるぼや騒ぎが発生」3)「 不登校生や中退者などの生徒を幅広く受け入れる全寮制の学校で、成人の生徒も1割ほどいる。入学前から喫煙習慣のあった生徒も多い」4)「喫煙を続ける生徒には、専門のカウンセラーによるカウンセリングを受けさせるなどしていた」5)「2010年に完全禁煙を目指す方針で、PTAもこのシステムを了承しているのだそうだ。タバコを郵送してくる親もいる」
[法律に触れる問題]
◎私がこの「問題は難しいなと悩んだ」理由は、法律に触れるからだ。「服装、態度で不合格」の場合は法律に触れる問題ではないと思う。
[理想から入るか、現実から入るか]
◎話は違うが、私は、以前に「理想から入るか、現実から入るか」という記事を書いた。また「理想(目標)と時間」も書いた。
[現実が理想から大きく離れている事態]
◎理想(「20歳まで喫煙禁止」)を掲げるのは素晴らしいし必要なことだけれども、現実が理想から大きく離れている事態では、愛知の私立高校のような事例では、「喫煙室」などという妥協が必要ではないかと考える。
[喫煙室設置は致し方ない]
◎正直言って、今回の場合、いろんな報道記事を読むと、現実問題として「喫煙室」設置は致し方ないのではないかと密かに思っている。この場合、悩ましいのは、「20歳まで喫煙禁止」という法律を破っていることだ。
[角を矯めて牛を殺す]
◎法律があるので、学生に絶対「20歳まで喫煙禁止」をあくまで守らせるべきだと言うのはたやすいし正論であろう。が、結果的には、現実問題として、「角を矯めて牛を殺す」ことになるのを恐れる。
[事実をありのままに認識]
◎私の考えは、現実(学生の喫煙)をいったん受け入れ(もちろん許可するのではない)る。受け入れるのは、認めるのでも、肯定するのでもない、事実をありのままに認識することである。それを良いことだとか悪いことだとかの評価を抜きにして。
[そこから引き上げる教育]
◎そこで終わらせるのでは教育ではない。そこ(現実)からいかに引き上げてゆくか、成長させてゆくかを試みるべきだ。例えば、今の点数は30点である。では、これからどのようにして40点に、50点に引き上げるか、ともに考え、努力してゆきましょうと持ってゆく。
[それではダメだとはしない]
◎現実が理想からかけ離れているから、「それではダメだ」とはしないで、今ここの現実を基準にして、これから上に向かって進んでゆきましょうという考え方を私は取りたい。
[法治主義]
◎日本は「法治主義」である。「法治国家」では、「いかなる場合においても法律から外れた行動をしてはならない」が、逆から言えば、法律に書いていなければ何をしてもよいとも解釈できる。
参考資料→「法治国家」(fromWikipedia)
[独善主義]
◎この「法律に書いていなければ何をしてもよい」が最近とみに蔓延しているのではないか。モンスターペアレント給食費を払える能力があるのに、払わなくても済んでしまうから払わないでおこう、という意識がちまたで強くなってきたように思える。個人主義(独善主義)の行き過ぎである。
[知性よりも理性で対応]
◎このよう場合、「法治主義」で法律を基準にすれば、道徳(モラル)は不必要なのだろうか。私は、法律よりも上に存在するのが道徳(モラル)で、精神部分を問うのが道徳(モラル)であると思う。知性よりも理性で対応する心が求められる。
[法律より下を期待してもいいのでは]
◎このように、法律だけを行動の基準にするのでは、社会はうまく回ってゆかないだろう。つまり、法律より上を期待することがあるならば、法律より下を期待してもいいのではないかと思う。
[執行猶予]
◎もちろん、「法律より下の行為を認める」のはあくまで執行猶予であり、猶予期間として見なすべきであるが。そして、それは保護観察的な行政的サポートをつけるべきであるが。
[周りの理解と協力が必要]
◎このような「法律より下の行為を認める」場合には、周りの理解と協力が絶対に必要不可欠である。それがなければ、例えば、麻薬中毒患者が麻薬から手を切るための努力が、批判やあざけりやさげすみなどによって、ぶち壊されがちだからだ。
[温かい目で見守り支える]
◎つまり、「法律より下の行為」からの立ち直りの時の「周りの理解と協力」とは、温かい目で見守って、支えてゆく体制である。それが是非とも必要になる。
[系統的脱感作法]
心理療法の中に、「系統的脱感作法」という治療法がある。一般レベルにまで達していない「行動」を少しずつ引き上げて、そのレベルにまで、慣れさせる治療法である。
[行動の病]
◎ある意味未成年者の喫煙は、行動の病である。徐々に治療してゆかなければ、完治しないだろう。それを無理矢理即座に基準的行動を要求するのは、彼らを輪の中から追い出すことにしかならない。
[社会の姿勢が問われる試金石]
◎輪の中で教育してゆくか、基準から外れたものを、果物を選別するように、ふるい分けてゆくか。この事例は、社会の姿勢が問われる試金石かもしれない。もっともっと議論すべき問題である。
参考資料→「喫煙 高校」=From"Googleブログ検索結果"