真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

集中力四度

[四度目の話題]
◎またまた集中力について書く。これで四度目である。今回書こうと思い立ったのは、「集中力には、二種類あると以前に書いた」が、これらは切り離された別個のものなのかなと疑問を感じたからである。それについて書きたい。
[動くことがない定]
◎集中(力)とは、仏教でいう、「定」(fromWikipedia)で、「心を一処に定めて動くことがない」集中状態である。仏教でも、「戒定慧」の三学の一つであり、重要な能力と見なしている。
[止と観]
◎仏教の話が出たついでに話題に出すが、仏教(特に天台宗)では瞑想を「止」と「観」との二つに大別する。「止」とは、「心の動揺をとどめて本源の真理に住する」ことである。また「観」とは、「不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察する」ことである。(引用fromWikipedia「止観」)
[仏教も二種類に切り分ける]
◎このように、集中力を仏教でも二種類に切り分けている。が、それでもなおかつ、本当に別個の二種類であるのだろうかと思い直した。単なる言葉の違いだけかもしれないと感じた。
[言葉上の切り分けに過ぎない]
◎私の中でも、はっきりと明確に分かれているわけではなかった。というのは、宇宙は、基本的に、矛盾したものが同居する「矛盾的自己同一」であるからだ。一本の棒の真ん中に線を引くと左右と区別される。元々一本の棒ではなかったのだろうか。言葉上の切り分けに過ぎないのではないか。
[矛盾的自己同一]
◎この言葉(絶対「矛盾的自己同一」)は哲学者「西田幾多郎」の言葉なのだが、私にとってこの言葉は「キャッチフレーズ」(私の信念)のようなものである。今までの私のブログの中で、12回も使っている(意外に少ないかな??)。
[広い範囲をカバーするズームレンズ]
◎その時(?)、私が若い頃の一時期凝っていた、「写真レンズ」(fromWikipedia)の「ズームレンズ」と同じではないかとひらめいた。広角から望遠へと広い範囲をカバーするズームレンズ。
[二種類の集中力がまとまる]
◎ズームレンズの比喩を使うと、右脳的集中時には、広角に視野が退かれているが、何か目標が定まれば、そこへ向けてスゥーッと左脳的集中という望遠になる。この例を使えば、二種類の集中力が見事に一つにまとめることができる。
[鷹の目]
◎と書いてきて、待てよこれと同じものをすでに書いたぞ、と思い出した。私のブログ「二種類の集中力を使い分けよう」(2007/02/08)で、「右脳的集中と左脳的集中とをイメージ的に表現すると、鷹が上空高くから地上を右脳的集中で広範囲に漂うように見渡し、動くモノを見つけると、次には左脳的集中で、それを特定した上でまっしぐらに急降下するというイメージである」と書いている。
[集中力はズームレンズ]
◎目標の有る無しによって、二種類の集中力を自然に使い分けていると考えると、すんなり納得ができる。ほぼ比喩ではなく、集中力とは、「ズームレンズ」そのものではないかとも思える。
[二種類の読書方法]
◎鷹のように話は飛ぶが、以前「二種類の読書方法を比較してみた」(2008/11/08)という記事を書いた。その二種類の読書法とは、「速読」と「遅読」である。
[二種類の集中法の変形]
◎これも今までの考えを当てはめると、二種類の集中法の変形と思えてきた。つまり、速読を、広角の右脳的集中が受け持つ。それに対して、遅読を、狭い範囲を大きく映し出す望遠の左脳的集中が担当する。と。右脳的集中による読書が「速読」で、左脳的集中による読書が「遅読」。
[止と観も二種類の集中法の変形]
◎と、謎解きのまねごとをしてきたついでに、仏教の瞑想「止」と「観」をも考えてみた。心の動揺をとどめて住する「止」を右脳的集中に当てはめ、事物を正しく観察する「観」を左脳的集中に当てはめることも無理ではないぞと思える。
[右脳と左脳]
◎所で、「右脳」と「左脳」についてだが、以前に、「「身体的な経験と感覚」の右脳と「頭で理解」の左脳」(2008/10/27)と、「脳は右脳と左脳との矛盾的自己同一」(2007/02/07)と、「ヒヒに笑われてませんか?」(2006/11/10)とで扱った。
[空間は面、時間は線]
◎基本原則は、右脳は、「広角的並列的空間」である。それに対して、左脳は、「焦点的直列的時間」である。なお、空間は面(立体)を表し、時間は(直)線を表す。
[並列と直列]
◎次に、「並列」と「直列」とであるが、これは「乾電池」を思い浮かべて欲しい。例えば、10本の乾電池があるとする。それらすべてを並列につなぐと、いくつも同時並行的作業を可能とする広角の右脳的集中になる。
[乾電池全部を直列]
◎逆に、乾電池10本全部を直列(直線)につなぐと、強烈な注意力を産み出す望遠の焦点的左脳的集中が生まれる。
[乾電池の本数を増やす]
◎もしかすれば、私たちの集中力は、比喩でいえば、乾電池の本数を増やすことによって、その広さを信条とする右脳的集中力と、その強さを信条とする左脳的集中力の方面で伸ばせるのかもしれない。
[知識でなく実践]
◎と、集中力についていろいろと考えて、ネット情報をあちらこちら調べてきた。がしかし、仏教(特に禅宗)で強く戒めているのが、大事なのは「知識」ではなく、「実践」である、ということである。
[不立文字、教外別伝]
◎それを仏教(禅宗)は、「拈華微笑」という。言い換えると、「不立文字、教外別伝」(文字を立てず教外に別伝する)である。伝えたいことは、文字による教えではなく、言葉に文字にできない事柄である。つまり、「実践」である。
[自戒しないと自壊]
◎だから、仏教的には、私のような単なる物知りは、ほとんど何の価値もない。これは私に対する自戒です。自戒しないと、自壊するかも。