真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ギリシアの神「プロメテウス」と似非科学者

[脳科学に興味]
◎幼い頃から、科学が好きな者として、また素人的に脳科学に興味がある者として、「「似非脳科学者」を見分ける基準を考える」=from" 大「脳」洋航海記"を読んで感じたことを書きたい。まずそこから引用。

現代においては目先の利益や単なる売名のためだけに神経科学の実像を歪めて人々をミスリードし、その反動として「神経科学なんて信用できない学問だ」と人々から侮られるような事態を招きかねないような行動を取る怪しげな個人・集団が少なからず見受けられます。
そのような、神経科学を貶めるような動きを看過するわけにはいきません。神経科学という学問を人類の役に立てる日まで守り育てるためにも、そういうムーブメントは神経科学者自身が監視し、抑えていくべきなのではないでしょうか? 
正しい学識を社会に提供し、誤った言説を否定するのも、同じくらい重要な研究者の社会的使命だと思いますので。
[似非脳科学者]
◎私は、この文章を読んで、さらに特に「似非脳科学者」という言葉から、「プロメーテウス」(fromWikipedia)を思い浮かべてしまった。
[プロメーテウス]
◎「ギリシア神話」に出てくる「プロメーテウス」は、「神々の姿に似せて創造された人類に、「火」を伝えたとされる」神である。
その行いに怒ったゼウスは、権力の神クラトスと暴力の神ビアーに命じてプロメーテウスをカウカソス山の山頂に張り付けにさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強いられた。プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問が行われていた。
[似非脳科学者への非難]
◎皮肉を言えば、「似非脳科学者」への非難は、「科学の神」ゼウスが、「権力」の神と「暴力」の神に命じて、「似非脳科学者」プロメーテウスを山の山頂に張り付けにしようとしている状況だとも感じる。
[科学は似非宗教だと弾圧]
◎昔、宗教が持っていた「権力」(+権威)と「暴力」(+威圧的態度)によって、科学は「似非宗教」だと弾圧され非難されてきた。
[事実を営々と積み上げ]
◎しかし、科学は、黙々と事実を営々と積み上げることによって、宗教側からの弾圧と非難を徐々に徐々に跳ね返してきた。
[科学は宗教が陣取っていた位置に着いた]
◎そして、今や科学が、かつて宗教が陣取っていた位置に着いた。今や科学の方が、自分たちがかつてされたのと同じように、「似非科学」を弾圧し非難する立場に立つことができた。
[似非科学はプロメーテウス]
◎しかし、かつての科学と同じように、「似非科学」は、不死であるため、その肝臓は夜中に再生するという「プロメーテウス」である。
[肝臓は貯蔵し解毒する]
◎なお、肝臓は、「余分の炭水化物をグリコーゲンに変えて貯蔵し、また有毒物を解毒するなど重要なはたらき」をする臓器である。肝臓が貯蔵し解毒する対象を、「知識」と置き換えると面白い比喩となる。しかも、肝臓の再生が夜中であるというのも暗示的だ。
[科学の上に哲学が立つ]
◎私は、「科学の上に哲学が立っている」と思っている。その哲学であるが、それは、内省と思考によって理論を組み立てる。現時点までに知られている事実を踏まえて、それらの事実の上に思考実験で得た理論を積み上げる。
[自律しない前に宗教を信じるべきではない]
◎私が以前(2008/01/22)このブログで書いた記事「細木数子と江原啓之についてどう思うか」から引用。
私自身は、自身が自律しない前に、宗教を信じるべきではないと思っている。というのは、その宗教に取り込まれてしまう、飲み込まれてしまうと感じるからだ。依存心が強い人の場合、似非宗教者の餌食になってしまう可能性が高い。
[自分で立つほどのものを持つ]
◎自律(自立)とは、依存しないでも自分だけで立っていられるほどのものを持っている状態である。似非宗教者の餌食になるのは、宗教に対して自己判断できないほどの貧弱な知識しか持たないからである。
[思考実験=仮説]
◎科学の役目は、その思考実験(仮説)に対して、具体的実験から事実を紡ぎ出すことによって、真否を実証することである。思考実験(仮説)そのものが悪ではないはず。
[真否を実証されるまで待てない]
◎しかし、一般大衆は、思考実験(仮説)が事実によって真否を実証されるまで待てない。あやふやでも良い、今すぐほしいのである。
[一か八か試してみたい]
◎末期ガン患者は、未承認、未認可のガン治療薬や治療方法であっても、それがほしいのである。もちろん、承認済み、認可済みであるに越したことはない。そうでなくとも一か八か試してみたいのである。
[今なぜ脳科学なのか]
◎「今なぜ脳科学なのか」といえば、「認知症」があげられる。高齢化社会、高齢者が増加する社会。高齢になればなるほど、「認知症」の可能性は高まる。
[認知症の恐怖]
◎「認知症」にかかるのは自分でもいやだし、また周りにもずいぶんと迷惑をかけてしまう。それは何としても避けたい、という強い思いが老人に向かう世代には強くある。
[切実な思い]
◎真性(新生)の脳科学は、それを忘れないでほしい。また、残念なからまだまだそのような切実な思いには応えてくれそうもない。そういう無意識的な焦り、苛立ちが一般大衆側にあるという事実もお忘れなく。
[可能性を秘めたフロンティア]
◎私は、「似非科学」は「混沌」と「事実」とか混ざり合うフロンティア(開拓において最前線となった辺境地帯、広い可能性を秘めた開拓の対象となる領域)だと思う。
[玉石混淆の中から玉を選り分ける]
◎新しい分野が興るのは、「フロンティア」からであると感じる。玉石混淆の中から「玉」を選り分けるのが、科学の一つの仕事ではないか。霧がかかった場所から霧を吹き飛ばして事実をありのままに見せるのが科学ではないか。
[権威のお墨付き]
◎科学による「似非科学」のレッテル張りは、最初から、権威のお墨付きがついたものだけを一般大衆は有り難く受けとれと感じてしまう。
[一般大衆者にとっての似非科学]
◎真性科学者の皆さん、「似非科学」は、一般大衆者からは、「フロンティア」にたむろする玉石混淆の「プロメーテウス」だと感じていることだけはお忘れなく。