真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

妻の母親がなくなって感じたことあれこれ

「検査入院して欲しい」
介護施設に入っていた妻の母親(義母)が、突然、施設から病院で検査入院して欲しいと言われ、入院していた。が、入院から10日ほどたった5月23日に亡くなった。
「いずれそう遠くない時期に」
◎義母は91歳であった。ほぼ老衰であったともいえる。面会に行っても、ほとんど寝たままであった。それを見てきたので、いずれそう遠くない時期に、という覚悟があった。
「脳のかなりの部分が機能していない」
◎入院先の医者が言うには、脳のかなりの部分(脳の三層構造で言えば上ニ層)が機能していなかったとのこと。
「骨は完全に死んでいた」
◎葬儀社の担当者が言うには、骨は完全に死んでいて、首はおろか、手も足も固まって全く動かない状態がかなり続いていたように思えるとのこと。
「骨が硬直していた」
◎死後硬直で、筋肉が硬直するのは知っていたが、骨が硬直していたので、遺体はまっすぐにできなかったとのこと。そういえば、火葬場での骨拾いに、骨が殆ど残っていなかった。
「食べて消化する部分のみ」
◎体のうちで機能し(生き)ていたのは、食べて消化する部分のみであった。しかし、妻が言うには、たまに薄目を開けていたようであるが。
「反射的に口を開けていた」
◎入院した理由は、その内の食べる部分(口を開けて飲み込む部分)も機能しなくなったからである。それ以前は唇にスプーンを当てると、反射的に口を開けていたとのこと。
「唯一の自立行為さえ」
◎その自力(?)でしていた唯一の行為さえも、しなくなってしまった。それで、食道か胃にチューブを挿入して、栄養分を流し込むかどうかの相談を受けた。
「チューブ挿入を断った」
◎もちろん、それをしなかったら、点滴による栄養補給を行うが、それのみでは、栄養的に体が持たないで衰弱死するとのこと。であっても、妻はチューブ挿入を断った。
「延命措置の拒否と尊厳死
◎私は、以前(2006/11/14)「延命措置の拒否と尊厳死」という記事を書いた。そこから引用。

私は自分の意志が尊重されないのは不愉快だと思う。家族や医者の意思から私を只生きながらえさせるのはまっぴらだという気持ちを持っている。それ故、自分に関しては、延命措置の拒否と尊厳死の尊重受け入れの希望を宣言したい。
「妻の決断に同意」
◎そういう私の考えからも、素直に妻の決断には同意できた。担当医師が言うには、一旦延命措置を取ると、途中で止めることはできない(医師の倫理的責任問題となる)から、予め決定して欲しいと。
「危篤の知らせを受けた」
◎決定から2日後くらいに危篤の知らせを受けたが、ついたときにはすでに絶命していた。食べなくなると、2週間以内に死亡すると思っていたのに、早すぎた。
「人並なことをしたい」
◎葬儀について、私は簡素がいいと思っていたが、妻は人並なことをしたいと希望した。すべてをひっくるめると、100万円ほどかかることになった。その内、寺関連費用が半分。
「人前葬儀を希望」
◎私自身の場合には、絶対に葬儀にそれほどのお金をかけて欲しくない。私は坊さんの御経も、葬儀も、してもらっても全く嬉しくない。完全な人前葬儀を希望する。
「三々五々の通夜と葬儀」
◎読経も、飾り物もなく、棺桶の上か前に各自1輪ずつ花を置いていく。二日間は、クラッシックの音楽を流し続ける。時間を決めない三々五々の通夜と葬儀を望みたい。
「死者は灰になるだけでなく」
◎私は「死者は灰になるだけでなく金にもなります」(2009/01/27)という記事も書いた。そこから引用。
「できるだけ自然でありたい」という気持ちは、私個人の思いだけではなく、人類にヒタヒタと忍び寄ってきている気持ちではないかと思えてきた
「人工的に過ぎる」
◎私は、何もかもが、余りにも自然から離れすぎてしまったのではないかと感じる。食べ物、暮らしぶり。生まれる前から死んだ後まで人工的に過ぎる。それにカネがかかりすぎる。
「自然な死に方を」
◎私は、高齢者の延命措置には、科学によって無理やり生きらされているように感じてしまう。そんな気持ちから、私はまだ尊厳死宣言を正式にしていないが、自然な死に方を是非ともしたい。
「科学の発達や医療技術の発達」
◎薬や手術や医療器具によって、生きるというよりも息させられている状態に置かれてしまう延命処置。科学の発達や医療技術の発達は人間をますます自然から遠ざけてしまうのだろう。
「制御を外れて自律展開」
◎思うのは、科学や技術は、もはや、人間の制御を外れて、自律展開しているように思える。忘れてはならないのは、科学や技術は、人工度を増す方向へと進むということである。
「人間は自然でありたい」
◎自然の一部である人間は自然でありたいという願いを持っている。「自然でありたいとの願い」は、時に愛が突如憎に変わるごとく、恐ろしい形で、私たちに襲いかかる。
「自然の中で寛ぎたい」
◎あるいは、それがその人の心を突き動かす。そのせいかどうか定かではないが、私は去年辺りから、花を眺め、花の写真を取り、自然の中でゆっくり寛ぎたいという気持ちが強くなってきた。
「自然から切り離してしまう」
◎科学の発達や技術の進歩は、単純に、人に幸せをもたらすとは限らない。これからも人間をますます自然から切り離してしまうだろうから。