真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

高い集中は、不必要な意識を排除する能力から生まれる

「虫歯数本がチクチク」
◎このところ、虫歯数本がチクチク痛み出した。時によれば、夜中の3時前後に強く痛み出して目が覚めることも。何かをしている時には、その痛みは忘れているが、休憩などに入ると、チクチクが戻ってくる。
「治る見込みは全くない」
◎治療は嫌だが、さりとて放っておいても治る見込みは全くない。それで意を決して歯医者に予約を入れた。可愛い女性の声が応答する。それを聞いてほっとした。私は可愛い女性の声と猫の声が大好きである。
「緊張しながら口を大きく」
◎もうその歯医者から遠ざかって3・4年あるいは5年振りくらいだろうか。待合室で呼ばれ、診察室の椅子に座り、仰向けに寝かされて、緊張しながら口を大きく開けた。
「器械が大きな唸り声を上げて」
◎「20年ほど前にかぶせたものの周りが化膿してますね。このカブセを取りましょう」と、聞き覚えのある声が言う。やっぱりな。口の中で、器械が大きな唸り声を上げて、その金属製のカブセを切り始める。
「筋肉があちこちで食いしばって」
◎はじめはその音に圧倒されて、そこから意識を離すことができなかった。でも、少しして、私は自分の体の筋肉があちこちで食いしばって踏ん張っているのを感じた。
「筋肉の硬直を解いていった」
◎そこで、まず最初に、右足の力を抜く。その次に、左足の力を抜く。それから、左肩の力を抜く。その後、首の力を抜く。このように全身に張り渡された筋肉の硬直をすこしずつ解いていった。
参考資料⇒「自律訓練法」=from"Wikipedia"
参考資料⇒「簡単!ストレス解消法〜筋弛緩法をやってみよう〜」
「全く不必要な行動」
◎これらの筋肉の食いしばりは、歯の治療には全く不必要な行動である。必要な行動はただ口を開け続けておくことだけである。でも、私の全身は必死で防御反応を取る。
「不動智神妙録」
◎それについて書いている時、「沢庵宗彭」禅師の言葉を思い出した。彼は、「不動智神妙録」で、次のように言う。
参考資料⇒「不動智神妙録」関連の著書たちfrom"アマゾン"
「心は何処に置くべきぞ」。我答へて曰く
「何処にも置かねば、我身一ぱい行きわたりて、全体にひろごりてある程に、手の入る時は手の用を叶へ、足の入る時は足の用を叶へ、目の入る時は目の用を叶へ、其入る所々に行きわたりてある程に、その入る所々の用を叶ふるなり」。
「万一もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用を欠くべきなり。思案をすれば思案に取らるる程に、思案をも分別をも残さず、心をば総身に捨て置き、所々に止めずして、其所々にあって用をば外さず叶ふべし」。
「働かせずにおく」
◎不必要な行動(思考・意識・注意なども含めて)を働かせずにおくことが、必要なときに必要なところにすぐさま働かせる(手の入る時は手の用を叶へ)のに、最適な選択である。
「集中力を使い分けよう」
◎所で、私は以前(2007/02/08)このブログで「二種類の集中力を使い分けよう」という記事を書いた。そこから引用。

集中には二種類ある。それらは、(粗い浅い広い)右脳的集中と、(細かい深い狭い)左脳的集中である
注)私はこれ以外にも、1)「集中力再び」、2)「集中力三度」、3)「集中力四度」を書いている。参考にしていただければ有り難い。
「二種類の集中力」
◎私はその二種類の集中力を沢庵禅師のいう内容と比べてみた。すると、「心を何処にも置かない」のが(右脳的)集中で、「入る所々の用を叶ふ」のが(左脳的)集中と一致するように思う。つまり、彼も集中を分けているように思える。
「弓と禅」
◎さらにもう一つ思い出した。ドイツの哲学者「オイゲン・ヘリゲル」=from"Wikipedia"が書いた「弓と禅」にある文章。そこから引用。
参考資料⇒「弓と禅」関連の著書たちfrom"アマゾン"

(弓の指導者阿波師範)「意図なく引き絞った状態の外は、もはや何もあなたに残らないほど、あなた自身から離脱して、決定的にあなた自身とあなたのもの一切を捨て去ることによってです」。
(師範の言葉)「弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ている」と。
「心を何処にも置かず」
◎沢庵禅師も、オイゲン・ヘリゲルも同じことを言っているように感じる。必要なところにだけ仕事を任せて、心を何処にも置かずにまるで関わりのないようにじっと見ているだけにする。
「能力をどれほど引き出せるか」
◎このように、ある目的を達するために、どれだけ不必要な能力・行動・力(筋肉)を働かせないように出来るかが勝負である。その人間の能力をどれほど引き出せるかの違いでもある。
「意識できなくても働いている」
◎しかし、自分では働かせているとは意識できなくても、実際には働いていることが多い。不必要な関わりをどれだけ排除できるかが、その人の集中力の高さである。
「意識の上に乗せて排除」
◎私たちが最も心すべきは、訓練すべきは、意識しないでも働いてしまう不必要な行動(思考・意識・注意など)を意識の上に乗せて、それらを剥ぎとる、排除する、取り消すことである。