真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

64歳になった今感じていること、思っていること

私はこの8月で、64歳になった。3.11前後くらいから、私の人生観の方向が転換していきだした。それまでは、社会への関心や意識が強かった。このブログへも、週に2〜3回は、更新してきた。そして、600回(これが624本目)を超えてしまっている。
だが、その頃から、異なる方向へと意識が向かい出した。私自身も自らがどこへ向かおうとしているのかがわからなかった。最近その向かう方向が、自然(Nature)だなと思えてきた。自然の懐にゆっくりやすらぎたいという気持ちが強くなってきた。
最終的な安らぎは、母なる大地に抱かれて眠りにつくことだろう。生きとし生けるもの全てにとっても。自然の懐でやすらぎたいは、その前段階だろうか。
話題をかえるが、私には、子供が四人いる。だが、彼らは、次から次へと、我々夫婦の元を離れてゆく。それはとても寂しいものだ。
だけれども、子供たちの世話が私の肩に重くのしかかっている間は、この子たちが独立してくれれば、随分楽になるだろうと、独立してくれることを心待ちにしていた。
だが、いざ子供たちが、一人また一人と独立していく今となっては、その寂しさはとても、つらいものである。その辛さに涙することも時々あった。
そこで、私は、自分が親から独立していった時のことを考えた。親が寂しがるとは、露程も考えたこともなかった。体験してようやく親の気持がわかった。理解できた。感じ取ることができた。
だから、存命中の親に対して、いたわるような、慰めるような言葉はかけたことがなかった。それどころか、未熟な私は、親への苛立ちさえしばしば感じ、親に対して、それをぶつけてきた。
両親は、私や姉が独立していって、随分と寂しい思いをしただろうと、今になって、やっとわかった。なんという、なんという親不孝であったことか。
自分は、なんと親不孝な息子であったかと。親の写真に向かって、ごめんな、ごめんなと、頭を下げたことも何度もあった。頭を下げずにはいられなかった。
私は、親ほどの年齢に達すると、寂しい、不安、悲しい、というような感情は、もう完全に克服できているのではないかとおぼろげに思い込んでいた。高齢者とはそんなものだと思い込んでいた。
でも、いざ親と同じ年齢に達すると、すべての感情は、うれしいことか、悲しいことか、厳然と心のなかに存在している。苦しいことではあるが。
子供たちが去ってから、寂しいという感情は喪失して欲しいとも願った。でも、自分の子供たちが近くにいない寂しさを感じられないのも、これまた、逆に、悲しいことではないかとも思える。悲しいことを悲しいと感じないのも悲しいことではないか。
この悲しみは寂しさは、私に、子供たちへ向かう強い気持ちが、心のなかに厳然と残っている証だとも感じられる。だから、悲しさ寂しさがあることもありがたいことである。
また、話題をかえるが、私は、人生の前半は、いろんな物(物質的なものだけでなく精神的なものをも含めて)を獲得していく時代だと思っている。自分を大きくしていく、高めていく時代。
そして、後半(分岐点は45歳頃か)にかけて、そのようにして獲得したものを、次から次へと、喪失していく時代であると感じる。これはほんとうに辛いことだが、子供たち孫たちのことを考えれば、それに耐えていかねばならない。
注)ちなみに、男の厄年は、1)25歳前後、2)42歳前後、3)61歳前後、らしい。なんとなく、私の関心事が変化していった時期と一致しているように思える。
1)25歳前後=仕事に面白さを感じ始めた頃。2)42歳前後=上昇志向から、水平志向へと切り替わっていった頃。3)61歳前後=社会志向から自然志向へとシフトしていった頃。大きく下降していく時期の始まりでもある。
今感じるのは、今激しく後悔するのは、前半の時代にもっともっと、全力で生きていけばよかったのに、と涙する。
更にまた、私は、今、自分の両親に対して済まない気持ちが、強く溢れてくる。
そのうちでも、自分の子供たちに対して、もっともっと真剣に関わっていたならと、激しく悲しむ、済まない気持ちに圧倒される。
ということで、今更ながらではあるが、私は、一期一会という言葉を、心に強く刻みつけねばと思っている。一瞬、一瞬を、全力投球で、全身全霊で、対峠する。
子供たちに、ほんの微々たるものしか、与えられなかったので、せめて心をこめて、子供たちに洋々たる世界が開けていることを願う。子供たちに素晴らしい未来が待ち受けていることを願う。