真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

文化と進化と環境と

「文化文明の進化論的な栄枯盛衰」という題名で書いたブログを書籍化しようと、2週間ほどかけて、原稿用紙100枚ほどに、まとめました。アマゾンで書籍化を試みたのですが、無料で集められる、ネットからの文を引用しているので、書籍化できないと断られました。ということで、ここに載せました。<<<<<[[[[進化の法則を知れば先が読める]]]>>>>>
まえがき
第一章:なぜ人間にだけ文化が生まれるのか
第二章:進化の汎用性、全てのものは進化し得る
第三章:進化の諸相
第四章:環境とその影響下の主体の変化
第五章:環境と生物は相互に関係し合う
第六章:働き・作用から見れば、生態系、散逸構造
第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論
第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す
第九章:文化へ流れ込む知の源泉
第十章:宗教を中心とした文明文化
第十一章: 科学技術中心の文化文明
第十二章: ネット(通信)中心の文化文明<<<<<[[[[進化の法則を知れば先が読める]]]>>>>>
[まえがき]
3.11以来、科学が信用信頼されなくなったように思えた。そのように考えた時、突如、”文化文明の進化論的な栄枯盛衰”という言葉(題名、テーマ)が思い浮かんだ。それで、ブログにその題名のもとで、短い記事(文章)を書いた。でも、どう考えても、それで完結したとは思えない。その後、何回も何回も推敲したくなって、とうとう、五回分の文章にまでなってしまった。でも、それでも、なおかつ、まだまだ、書き足らない。そこで、これは本の形式にしたいと考えた。
私にとって、進化論が、長年の個人的な人生テーマであった。といっても、私は文章に関しても、科学に関しても、まったく単なる素人に過ぎない。
文化文明も、それ以外の全て、生物無生物にかかわらず、有形無形にもかかわらず、進化するものだと、私は考えている。
そこで、今回、文化文明の進化を提示したいと思い、この本を描き上げた。 題名は、環境の重要さを知ってほしいので、”文化と進化と環境と”に変更した。
お読みいただき、感想を述べていただければ、幸いです。
第一章: なぜ人間にだけ文化が生まれるのか
[文化]
人類学(人類に関しての総合的な学問)においては、人間と自然や動物との差異を説明するための概念が、"文化"である。引用(fromWikipedia)
なお、文化とは、人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。 である。引用(from大辞泉)
[動物も生活する]
生活するのは人間だけではない。動物も生活する。なのに、何故、人間にだけ文化が生まれるのだろうか。そもそも、何故、人間は自らを自然や動物とは異なる存在だと見たいのだろうか。
[生活とは]
生活とは、人が生きている限り、その命を維持し、育むために行っている必要不可欠な活動である。ここまでは動物でもある。
ところが、人間用に、基礎となる「衣食住」の他、日常生活動作という名でいうようなものや、働くこと、余暇を営む、コミュニケーションをとり、生きることの中に積極的な意義を見出し、それを喜びとする営み、職業生活と私的生活、また、その間の社会的な生活といった分野にまたがるもの全てをいうという定義も付け加えている。
[余剰と外化]
結局は同じことをいうのだが、動物から、人間を分かつものは、「余剰」と「外化」だと感じる。つまり、文化は、「余剰」と「外化」から生まれ出る。ものの余剰と知の余剰、知の外化と身体の外化。人間と動物をわかちたいのは、動物にはなくて、人間にだけあるものを探して、動物の上に人間が存在すると見たいのだろう(私もそうかもしれないが)。
[外化の例示]
自転車や車は、足(身体)の外化したものと、包丁(切る機能)は歯の外化だと捉える。つまり、外化とは、道具(化)である。身体機能、例えば、移動する機能(足、脚)を、身体外の道具に移し替える。本などは、知(情報)、脳機能の外化である。ところが、動物は道具を作らない。動物は身体機能を外化しない。
[ミーム]
知の外化に関して、"ミーム(meme)"という用語がある。動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスが創作した語である。
それ(ミーム)は、人々の間で「心から心へとコピーされる情報」のことであり、”文化”を形成する様々な情報となっている。例えば、習慣や技能、物語といった、人から人へコピーされる情報である。
[進化の条件]
ミームにも進化という現象が生じており、それによって文化が形成される、という。「複製、伝達、変異」という三つの条件を満たしていれば、遺伝子以外の何かであっても、同様に進化するはずだと見ている。(fromWikipedia”ミーム”)
[遺伝子]
遺伝子は、「複製、伝達、変異」という三つの条件を満たすと、進化する可能性がある。この遺伝子は、体内にあって、遺伝情報を持つ素子である。ミームは、体外にあって、複製、伝達される情報である。
つまり、大きな違いは、体内か体外かの違いである。それと、有形か無形かの違いである。
[文化文明の発展は]
この余剰と外化が、文化文明を生み出し発展させてきたと思える。その内で、主に、知の外化を”文化”(外化した知)と呼び、身体の外化を”文明”(外化した身体機能)と呼ぶ傾向がある。
[文化と文明の区別]
もっと具体的に言えば、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な部分を"文化"というのに対して、"文明"とは、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。引用(fromデジタル大辞泉)
[ものの身体化]
外化の逆方向ともいえる、ものの”身体化”という言葉もある。例えば、自転車を乗りこなすとは、自転車をあたかも身体の一部であるかのように、乗りこなすことを言い表す。それを、自転車の身体化とも呼べるかもしれない。身体の外化の後に、物の身体化、再取り込みが生じるとも言える。
注)身体化と同じような意味で、”内化”という語がある。これは、外部のもの(情報)を内側に取り込むことである。
[身体の拡張]
「メディアはメッセージである」と主張した、ハーバート・マクルーハンは、身体(機能)の外化ではなく、テクノロジーやメディアは人間の身体の「拡張」であると主張する。自動車や自転車は足の拡張、ラジオは耳の拡張であるというように、あるテクノロジーやメディア(媒体)は身体の特定の部分を「拡張」する、と表現する。引用(fromWikipedia”マーシャル・マクルーハン”)
[メディアとは]
なお、”メディア”とは、情報が、送り手から受け手に届くまでに経由する、途中に介在する道具や手段を指し示す。例えば、音楽を歌手から聞き手に送り届ける手段として、ラジオ、CD、テレビ、あるいは、マイクなどがあり、それらをメディアと呼ぶ。送り手の意思を伝える手紙もメディアである。
日本では、メディアは、どちらかと言えば、情報発信機関(新聞、テレビ局、ラジオ局など)を指すことのほうが多い。
[身体(知)の外化の例示]
身体(特に知)の外化の一つの例示をし、それと同時に、情報の受発信の手段の変遷を示したい。
声⇒手紙・紙⇒固定電話⇒携帯電話⇒スマートフォン⇒ネットワーク端末(操作基地:屋外=スマートフォン/屋内=PC的テレビ:情報はクラウドに置いておく)。
もちろん、もっともっと細分化すれば、手旗信号とか、モールス信号などの表現内容を含めたりもできるだろう。ここでは主流的な手段に限定した。
[スマートフォン]
今、ネットワーク端末として、ipadの発売以来、Kindle Fire(読書端末)やNexusなどのタブレット、さらにはiphoneの発売以来、スマートフォンが隆盛している。
ともに、アップルがこの流れを作り出してきた。マイクロソフトは、Windows(とデスクトップパソコン)という遺産を大切にしすぎたために、時代を読み取れず、後手後手に回ってしまった。大企業によくある判断である。
注)アップルも大企業だといえようが、実際には、共同創業者スティーブ・ジョブズ氏の強い頑強な個性が個人商店的体質をも続けたといえよう。
[クラウド化したネットワーク網]
これからは、さまざまなものが(クラウド化した)ネットワーク網に組み込まれ、その末端的端末(画面付きリモコン)として、スマートフォンが位置づけられるだろう。
[ユビキタス]
クラウド化した)ネットワーク網によって、いつでも、どこでも、だれでもが恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術を意味する、”ユビキタス”(Ubiquitous)が更に一段と現実のものになってゆく。例えば、即座に、音声翻訳をしてくれるサービスも現に存在する。
[物的手段を発明]
声は情報伝達手段として動物(特に二本足の鳥類)でも使える。例えば、うぐいすは、恋の歌声として、「ホーホケキョ」とさえずるが、相手を見つけた後は、「ケキョケキョケキョ」と縄張りを宣言する。
人間は、すぐさま消え去る声を変換(固定化)する文字を発明して、それを載せる物的手段を発明することで、文化を飛躍的に発展させてきた。これによって、時間という壁がぶち破られた。
[動物の原初的文化]
また、原初的な文化ならば、動物にも見られる。例えば、宮崎県の幸島の半野生のニホンザルの中で、ある子ザルがエサのサツマイモを小川で洗った。この行動は、母や兄弟姉妹、近くのこどもたちへと広がった。その後、この行動が、海水で洗うということに変わっていった。
これも今までに見られなかった(突然変異)し、その後群れに定着(伝達・複製)したので、文化といえる。
[文化とは]
改めて、”文化”(あるいは文明)の定義を示したい。「知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体」である。引用(fromWikipedia”文化””エドワード・タイラー”)
第二章:進化の汎用性、全てのものは進化し得る
[変異の附加で進化]
ドーキンスがいうように、「コピーされ伝達される情報」が文化であるが、それに「変異」(突然変異)が加われば、進化する。だが、進化とは本来生物にだけ適用されてきた。その本来の意味とは何なのだろうか。
[進化とは]
生物は遺伝子の突然変異によって多様化する。そのようにして多様化した生物の中から、環境に適応できる生物とそうでない生物が自然淘汰(自然選択)でふるいにかけられる。
そうして残った子孫のDNAは、滅びたDNAよりも適応力の強い要素を持っている。このようにして、生物のDNAが環境に適応できる方向へ変化する。これを進化とよぶ。引用(fromWikipedia”ミーム”)
[主役の交代]
情報の受発信の手段の変遷を示したが、それは進化ではないのだろうか。生物進化では、環境に適応できない生物は滅ぶという。しかし、受発信の手段の変遷では、以前の主役(例えば、固定電話)は、消滅するわけではない。ただ脇役へと引き下がるだけである。そういう形で、受発信手段が積み重ね(積み上げ)られていく。
[重層構造、階層構造]
例えば、産業においても、最初に一次産業(農業、林業、漁業、鉱業)が発生し、その後に、二次産業(製造業、建設業、電気・ガス業)がその上に積み上がり、さらに、その上に三次産業(小売業やサービス業など)が建て増されてきた。そのような構造を重層構造、”階層構造”と呼ぶ。これは、進化の基本的性質である。
注)このような産業分類には批判も多い。
[階層構造とは]
階層構造とは、各階を、下層から上層へと順に積み重ねて、全体を構成している場合の構造で、積み木構造である。階層構造を特徴づける性質は、「高次の階層は、それよりも低次の階層が備える性質をすべて持っている」、ことである。 引用(fromWikipedia”階層構造”)
[進化は階層的な拡大]
進化は、あるものだけを見ると、より複雑になること、より高度になること、より要素が豊富になること、である。例えば、シャープペンシルは鉛筆の進化といえる。が、全体を俯瞰すると、鉛筆の上にシャープペンシルが積み上がったというような、階層的な拡大である。鉛筆はまだ滅んではいない。
[地球の進化]
例えば、地球の進化とは、動植物が生息できる領域が、海だけ⇒海辺(水辺)⇒陸地⇒空(空中)と、生息域の拡大である。新しく生まれ出た生息域へは、新しく進化(適応)した生物が進出する。生物の進化も、生存域の拡大につれて、どんどんと階層的に(階層が深くなる)進化拡大していった。
そのことによって、地球全体が生物面で多様化し、環境面においても多様化し、豊富化して、今日のようなすばらしい地球環境が出来上がった。
[フロンティア]
そういう意味では、そのような(新しく生まれ出た)領域は、フロンティアであり、未開拓の分野、新しい分野、混沌とした領域である。
だけど学問・技術などの最先端でもある。混沌であるけど最先端。逆から言えば、混沌であるから最先端の役目を持てる。それは、進化が過去のものを取り入れながら、新しいものを作り上げていくるつぼからである。
注)るつぼとは、高熱を利用して物質の溶融・合成を行う際に使用する湯のみ状の耐熱容器のことである。
[過去の遺産を相続して進化]
情報の受発信の手段の進化も、過去の他の手段・道具の進化を取り込みながら、階層的な拡大を遂げていっている。
そういう点では、遅れて誕生してくるものほど、それだけたくさん過去の遺産を相続することで、進化的により高い位置を確保できる。だから、人間が最後(?)に登場したのも当然である。
[原子(元素)の進化]
物の元である、原子(元素)も進化してきたといえる。それぞれの原子の生成(誕生)は、温度と圧力という点でお互いに異なっている。つまり、生成誕生環境が異なる。原子にとって、進化は、温度という環境の違いによって、成し遂げられてきた。あたかもその現場は、るつぼを彷彿とさせる。
[水素核融合]
例えば、自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支える、ガス体の天体(恒星)内で、温度(環境)が約1,000万を超えると、4つの水素原子(原子番号1)から、1つのヘリウム原子(原子番号2)を作る、水素核融合が起こる。
注)太陽の中心核では、熱核融合によって物質からエネルギーを取り出す熱核融合反応が起こり、水素がヘリウムに変換されている。 引用(fromWikipedia”太陽”)
[ヘリウム核融合]
更に高い約1億程度になると、今度は、3つのヘリウム原子核がトリプルアルファ反応(つまり、ヘリウム3つが結びついて炭素が出来る反応)を起こし、炭素(原子番号6)が生成される。
[重い原子の合成]
温度がずっと高い30億度に達すると、ネオン(原子番号10)が核融合を開始し、シリコン、硫黄、カルシウム、アルゴンなど、重い元素が形成され誕生する。
[超新星爆発は原子の合成工場]
超新星(恒星の爆発現象)が爆発する瞬間、爆発したその恒星とその周辺は超高温の状態となる。このことによって、恒星での元素合成では果たせなかった、さらに重い原子の合成が行える環境が生み出される。つまり、超新星爆発は、重い原子の合成工場である。
第三章:進化の諸相
さまざまなものの進化を見てきたが、進化の持ついろんな相(特質)を見て行きたい。階層構造についてはもう述べたので、それ以外の面を見ていく。
[温度と原子合成の関係]
(環境)温度が高くなればなるほど、より複雑な原子(元素:原子番号が大きい)が生成される。新しいものが、新しい環境で生み出されるのが進化であれば、これらの現象は原子・元素の進化と呼べるだろう。
[単純から複雑へ]
水素は、陽子1つと電子1つからなる最も簡単な原子で、宇宙に最も多く存在する原子である。次にその存在が多いヘリウムの原子核は、2つの陽子と2つの中性子からなり、周りを2つの電子が回って構成される。炭素の場合は、陽子が6つ,中性子も6つ,電子も同じく6つ持つ原子である。
[過去の遺産を受け継いで進化]
ヘリウムは、水素よりも複雑だったので、水素の誕生後でしか誕生し得なかった。つまり、「過去の遺産を受け継ぐという形でしか進化」はできない。その結果、単純から複雑へと進化は進んでゆく。より複雑なシステムは、より単純なシステムを元にしてそれを取り込む形で形成される。これは宇宙原理(進化)の大原則である。同時に、これは弁証法的進化である。
[弁証法]
弁証法では、古いものが否定されて、新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのではない。古いものが持っている内容のうち、積極的な要素が新しく高い段階(階層)として保持される。ということで、それらを含めた用語として、止揚という語を用いる。引用(fromWikipedia”止揚”)
[弁証法は進化を説明する論法]
つまり、弁証法は、特にヘーゲル弁証法は、進化を説明する論法である。世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法・法則とされる。引用(fromWikipedia”弁証法”)
[宇宙の変化は進化]
弁証法は、進化を説明する論法であるというよりも、宇宙の変化を法則化すれば、それが自ずと、進化という方向に収束するということである。
つまり、宇宙の変化方向が、いわゆる進化方向である、ということを意味する。といっても、全体を眺めての話である、個々の現象には、退化(下変化)や横変化も、さまざまな相が当然含まれる。
[転換はオーバーラップ]
主役と脇役の転換は、オーバーラップ(年時の重なり合い)する。主役から脇役への引き下がり、逆に、周辺にいた脇役の主役への躍進などは、劇的に遂行されるわけではなく、長い時間をかけて変遷する、見かけ上はどれだけ劇的であってさえも。転換時には、主役を超えるほどの能力、機能、情報量を”潜在的”に備えている。
[政権交代の頓挫の理由]
ということを考えると、日本の(自民党から民主党への)政権交代は、小沢氏がいみじくも読んでいたように、民主党の圧倒的準備不足が露呈して、頓挫してしまったのもうなづける。
[正反合で完成]
もしかすれば、民主党は、自民党の単なる反に過ぎなかったのでは、弁証法的に言えば。弁証法では、正(同じ政界に存在)⇒反(新しい生き方の模索)⇒合(過去から進化蓄積した手段・道具の取り込み)へと、到達して完成する。
[戦国時代の終了]
織田信長によって終止符が打たれた、戦国時代(日本全国を群雄が割拠し、天下統一を目指し合い争った戦乱の時代 )は、1467年の応仁の乱か1493年の明応の政変から始まり、1568年の織田信長入京か、1573年に室町将軍足利義昭が信長によって追放されたのを終わりとする。
[破壊と構築]
しかし、この革命(権力体制や組織構造の比較的短期間に行われる抜本的な社会変革)は、古い体制(群雄割拠)を破壊した信長だけで完成したのではなく、その後に続く、豊臣秀吉徳川家康による、新しい(日本全土を統一して一人の権力者の支配下に置く)体制の構築によって、ほんとうの意味で、完結する。
[革命者と実務者]
歴史を見ていくと、どうも革命者と実務者は同一人物では無理があるようだ。この二つは別の人間であるべきだろう。
なぜなら、革命や現政権を倒すということは、戦乱のカオスの中で飛び抜けた戦略的な能力と迅速な判断と決断力、力強いリーダーシップを必要とし、血しぶきを浴びる覚悟が必要だ。
が、実務者にとっては、むしろそういった能力は邪魔になる。むしろ、能力のある人間を選別し伸ばして、どう政権運営を行っていくかといった、長期的な視野と経済、経営能力が必要になる。引用from"革命者と実務者"
[起承転結]
突如、戦国時代を持ち出してきたのはもうお分かりだと思うが、物事の展開や物語の文章などにおける構成は、起承転結を標準とする。これは、弁証法での展開、正反合とも符合する。起承=正、転=反、結=合であろう。革命においても同じことが言える。
[宇宙の基本原理]
『栄枯盛衰は世の習い』は、宇宙の基本原理である。生物界では、進化とは、結果的には、環境変化にともなって、主役(時代の先端を華々しく進むもの)が次々に交代していく歴史であった。
[諸行無常]
仏教では、これを、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない、"諸行無常"だという。引用(fromWikipedia)
注)個人的感想なのだが、仏教は、宇宙や人生上の現象を負の側面(諸行無常、苦など)からばかり眺めているように思える。それは、執着を捨てて諦念させることを目的とするからかもしれないが。つまり、正から反へと移行させるために。
第四章:環境とその影響下の主体の変化
[環境とは]
環境とは、一般に、生物や人間を取り巻く外囲(環界)のうち、主体の生存と行動に関係があると考えられる諸要素・諸条件の全体をいう。引用from世界大百科事典
[陸地が主役的環境に]
例えば、生物(主体)にとって、初期には、海(水中)が、主役的環境だった。のが、酸素の発生(光合成によって酸素を生み出すシアノバクテリア[藍色細菌]の誕生)によって、宇宙からの有害物の防御シールドが形成された陸地が、主役的環境に躍り出た。二酸化炭素のオレンジ色の地球から酸素の青い地球へ大変貌を遂げた。
[メタン環境]
酸素発生以前には、陸地は生存不可能な劣悪な環境下にあった。例えば、原始地球においてはメタン菌(メタンを合成する古細菌の総称)によって生成されたメタンによって地球大気が暖められていた。しかし、今や、メタンは、メタンハイドレートとして、一躍脚光を浴びる存在へと変貌してきている。
注)メタンは、油田やガス田から採掘されエネルギー源として有用な天然ガスの主成分である。20世紀末以降の代替エネルギーとしてバイオガスやメタンハイドレートが新エネルギーとして注目されている。 引用(fromWikipedia”メタン”)
[メタンガスが温室効果]
地球初期の太陽は今よりもずっと暗く、弱かった。メタン菌が生成するメタンがなかったら,地球全体が凍結してしまっただろう。メタンによる温室効果は地球を暖めておくのに不可欠だったに違いない。メタン菌の生成したメタンガスが温室効果をもたらし,原始地球の気候や環境に絶大な影響を与えていた。つまり、メタン菌が最高権力者の座にあった。引用from”原始地球の気候を支配したメタン菌 | 日経サイエンス
[地球環境の大変化]
地球上のすべての大陸はかつては1つに集まって,原始的な超大陸をつくっていた。その超大陸パンゲアと呼ぶ。これが約2億年前に分裂を開始した。これは、環境の大変化であり、爆発的多様化を促進させる。これは、恐竜を絶滅させた、隕石の落下よりも、超超長年月をかけた、地球環境の大変化である。酸素の発生に匹敵する猛烈な環境の大変動である。
[カンブリア大爆発]
5億4200万年前から5億3000万年前の間に突如として今日見られる動物の門が出そろった現象をカンブリア大爆発とよぶが、私にとってだが、残念ながら、約2億年前に開始した大陸の大分裂が原因だとは考えられない。進化の大爆発は、大規模で激変的な環境変化によってもたらされると思えるのだが。
注)一説には、目の誕生があげられている。視力の獲得によって、敵やエサが見えるようになって、生存競争が激烈になったと考えられる。それが進化を促したと。
[生物分類]
生物分類は、界、門、網、目、科、属、種の7段階で行われる。上から段々と細かな違いによって分類分けをする。例えば、界は、動物界、植物界、モネラ界と三分類されている。ちなみに、門では、生物全体はおよそ100の門に分類されている。なお、人は、動物界、脊索動物門、哺乳綱、サル目、ヒト科、ヒト属、ヒト種である。
[ガラパゴス]
進化論で有名になったガラパゴス島がある。そこは、他の大陸と隔絶されているため、独自の進化を遂げた動植物が数多く生息する島である。一つの超巨大大陸が幾つもの大陸へと分裂することは、それの巨大版である。大きな環境変化は、大きな進化を促す。
[進化の停滞(固定化)]
主役ではなくなった、海(水中)での進化が、今では、停滞(固定化)したように思える。飛躍的な進化は、辺境地帯(フロンティア)に限られるのだろうか。人間でも、動物でも、若者は大きく変化進化するが、成熟すると、それが止まるように感じられる。
[進化派と固定派]
つまり、環境変化にともなって、進化するグループ(人間的に言えば、不満分子たち、反旗を翻す者達)と、固定化するグループ(現状に満足している者たち)が存在するのかもしれない。
[固定派は退却]
ほとんどを占める固定化グループは、自分たちが適していた元の環境へと引き下がる、退却することによって、その環境での適者生存者の位置を確保する。例えば、メタン菌は、酸素のない、生存可能な環境でのみ生存する、当たり前といえば、当たり前の話だが。
[進化と固定]
進化とは、新しい環境により良く適した突然変異を獲得することで成し遂げられる。逆から言えば、進化を止める(固定化)とは、今まで適していた環境に居続けるためには、次から次へと生まれ出る突然変異を捨て去ることである。変化を拒否することである。
[弁証法的固定化]
弁証法的に言えば、固定化とは、正にとどまって、反へと進まないことである。反へと進んだものの中から、合へと止揚を成し遂げるものが現れる。止揚するだけの能力のないものは、反乱分子としてしか評価されない。
[破壊だけでは混沌に]
革命では、主役を転覆させる段階から、新しい秩序を形成する段階へと持ち込む能力が要求される。秩序形成能力がないままに、破壊だけ起こすと、その後に長い混沌が待っている。
[進化と固定]
ドーキンスは、ミームの説明の中で、進化の条件として、「複製、伝達、変異」を上げた。同じ物を、複製、伝達し続けるのが固定化であり、そこに変異を取り入れるのが進化である。
[薬剤耐性という進化]
微生物や昆虫の薬剤耐性獲得は、変異と選択による進化の最も身近な例の一つである。殺虫剤に対する病害虫の耐性、疾患を治療する抗生物質抗癌剤など、薬剤に対して抵抗力を持ち、これらの薬剤が効かない、あるいは効きにくくなることを、薬剤耐性と呼ぶ。引用(fromWikipedia”薬剤耐性”)
[逃亡派ととどまり派]
これによって、薬剤が処方される環境から逃げる固定派と、薬剤下での環境でも生き続ける進化派とに分岐してゆく。薬剤を強力に広範囲に使い過ぎると、固定派が滅び、進化派が主役に躍り出る。つまり、人間が進化の手助けをしていることになる。
[細胞は全て同一DNAを持つ]
変化の拒否には、もうひとつの方法がある。例えば、多細胞生物では、神経細胞、皮膚細胞、筋肉細胞など、それぞれ形状や機能の違う様々な細胞から構成されている。しかし、これらの細胞は全て同一のゲノムDNAを持っていて、ひとつの受精卵から細胞分化の過程を経てできあがったものである。
[遺伝子発現]
同じゲノムDNAを持っているので、実際にはどんな細胞にでもなれるわけである。それにもかかわらず、それぞれの細胞が最終的には違ったもののになるのは、細胞によって機能する(変身するための)遺伝子(遺伝子発現)が異なるためである。
[遺伝子発現の抑制]
この遺伝子発現に重要な役割を果たすのが、ゲノムDNAのメチル化である。メチル化された部分の遺伝子は発現が抑制された、つまり「鍵がかかった」(封印された)状態となる。細胞の種類によって鍵のかかった場所(遺伝子の所在地)が異なっている。
これによって、何にでもなれる潜在的可能性を持つ細胞なのに、特定の細胞へと固定化される。
[遺伝子発現と再生医療]
遺伝子発現を封印(メチル化)されていない(川上)段階の細胞を使うのが、再生医療である。そして、そこから再度特定の遺伝子の発現を促して、お望みの(川下)細胞群を生成する。
改変引用from”細胞分化を決定するゲノムDNAのメチル化を認識する機構を解明”
[固定化方法]
生物進化での固定化は、突然変異の拒絶によって行われる。他方、細胞分化の固定化は、遺伝子発現の封印によって行われる。両者に共通しているのは、不必要な情報(変化をもたらす情報)の封印である。
[適者生存者とっての突然変異]
すでに適者生存者にとっては、どんな突然変異も、その環境下では不利なものである、新しい環境下では有利なものであっても。
新しい環境が生まれない、つまり、環境が安定してしまえば、その環境への適者生存者にとっては、突然変異は不利な方向へと向けさせる厄介者でしかない。
[変化と安定]
進化(変化)と安定という、両者があって、つまり、変化がありながらも、全体としては安定しているという状況が維持されなければ、安定的には続いてはいかない。
[成長点]
植物には成長点があり、そこだけが変化成長する成長部位(フロンティア)である。全てが変化しては、順調な成長が望めない。安定した基盤があってこそ、その上に建て増しをすることができる。
注)成長(生長)点とは、茎の先端部にあってその茎の延長部と新しい葉とを作り出す茎頂と,根の先端付近にあってその根の延長部を作り出す根端をいう。
注)人間の場合、成長ホルモンは脳下垂体前葉のGH分泌細胞から分泌されるホルモンで、細胞分裂を盛んにさせる。例えば、幼児期に骨端の軟骨細胞の分裂増殖を促し、骨を伸張させる。別の例としては、特定のアミノ酸の取り込みを促し、タンパク質合成を促進する。 引用(fromWikipedia”成長ホルモン”)
[建て増しは最上階に]
建て増しを出来るのは最上階に限られる、それより以下の下位(既存のもの)は安定している必要がある。細胞でも、成長や変化をする部署(いま話題のips細胞がそれ)が決まっている。それはごく一部である。
第五章:環境と生物は相互に関係し合う
[二種類の環境]
環境には、動的環境(主なものは、エサと敵)と、静的環境(気候、水の有無などの生活基盤)とがある。
動植物は、同じ場所(静的環境)に生存しても、種によって、動的環境は大きく異る。つまり、生態系が異なる。
ニホンザルとシカは、同じ静的環境に生息していても、動的環境が異なるので、併存が可能である。
[アフォーダンスとは]
認知心理学ギブソンは、”アフォーダンス”という語を創りだした。それは、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味・価値を言い表す。
[環境に潜在する意味・価値]
アフォーダンスは、環境の側には本来的にさまざまな意味・価値が潜在しているが、それぞれの動物(有機体)の能力・機能・状態などによって、引き出す意味・価値が異なってくる、という。
[生物は受動的か]
ダーウィン進化論では、生物側は、単なる受身的な存在のように感じられる。しかし、アフォーダンスでは、生物側が、より能動的な存在とみなしているようにも思える。次に示す「棲み分け理論」も能動性を読み取れる。
[棲み分け理論]
日本の生態学者、文化人類学今西錦司は、「棲み分け理論」を提唱した。例えば、カゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。
それぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成される。つまり、動的環境や静的環境を、すこしずつずらす、グラジュエーション化することで、変種(新たな亜種)が生まれ、多様化すると見た。
[縦横の変化]
これは横への変化(変種)である。これによって、縦への変化(進化)を説明するのは困難だろう。縦への変化(進化)を促すには、酸素の発生とか、巨大な隕石の落下、新たな環境の大規模な創成など、地球規模的な変化が必要なのではないか。
[小さな進化と大きな進化]
「棲み分け理論」が示すような、小さな進化は、必ずしも環境変化を伴わずとも、生まれ得るのではないかと思える。しかし、大きな変化は明快な環境変化を伴うと考えられる。と言うよりも、環境変化が、必然的に進化を促すといえる。
[ガイア理論とは]
ジェームズ・ラブロックによって提唱された、”ガイア理論”は、地球というシステム全体をとらえる理論である。 地球があたかもひとつの生命体のように自己調節システムを備えている、という。 また、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げている、ともいう。
生物はその環境に適応するように進化してきたと考えられてきた。しかしガイア理論では、生物は環境に適応するだけでなく、環境を改変すると考える。
さらに、岩石、大気、海洋、微生物から樹木、ユリ、クジラたちにいたるまで、あらゆる組成物が、絶え間なく物理環境と相互作用を続け、ガイアという自己制御システムが生み出されている。
全ての生物には、自分で自分の体調を物理的、化学的にコントロールするホメオスタシスの機能があるように、地球という一個のシステムは、まるで生き物と同じような動きを持っている。引用from”リンククラブ探検隊”
第六章:働き・作用から見れば、生態系、散逸構造
[環境とは]
“環境”とは、主体(人、生物)を取り巻く家庭・社会・自然などの外的な事の総体である。狭義においては、その中で人や生物に何らかの影響を与えるものだけを指す。 引用(fromWikipedia”環境”)
[生態系とは]
ある程度閉じた、一定の区域に存在する生物と、それを取り巻く非生物的環境を、一つの系とみなし、”生態系”という。”系”とは、ある関係をもって、一つのつながりやまとまりをなすもの、をいう。
[環境と生態系の違い]
環境と生態系の違いは、環境といえば、ある主体から見た環境である。環境の”環”は、円を意味し、環境という意味の英語は、”environment”であるが、”environ”は”包囲する”という意味である。それに対して、生態系とは、相互に関係する一つのつながりやまとまり、という組織を指し示す。
[主体のあるなし]
環境には、ある主体を取り巻くものという意味合いが強いが、生態系は、相互につながったまとまりという集団志向的な意味を表す。この違いはとても大きい。
[オートポイエーシス的システム]
ある主体から見た環境という視点からは見えてこなず、生態系という一つのつながりやまとまりで見れば、オートポイエーシス的システムを思い浮かべる。
例えば、細胞では、核酸酵素代謝物のような様々な生化学的な構成要素からなり、細胞内の組織化された構造を作り上げている。同時に、物質とエネルギーの外部との交換に基づいて作動しているこれらの構造は、その構造を維持しつづけるようにその構成要素を絶えず生成または分解している。(fromWikipedia”オートポイエーシス”)
[生態系はオートポイエーシス]
構造の方に目を向けないで、そこで働いている作用(機能)をオートポイエーシスという。生態系は、オートポイエーシス(構造を維持しつづけるようにその構成要素を絶えず生成または分解する働き)という視点から見る。
[散逸構造とは]
そのような構造を、オートポイエーシス的システムという。これはまた、散逸構造ともよく似ている。”散逸構造”とは、エネルギーが散逸(ばらばらになって行方がわからなくなる)していく流れの中に自己組織化によって生まれる、定常的な構造、をいう。
[エントロピー増大の法則]
しかし、”エントロピー増大の法則”はいう。その法則では、自然界では、常に、エントロピー(乱雑さ、無秩序度)が小さい方から大きいへという方向に進む。つまり、自然は秩序から無秩序へという方向に進む、散逸する方向へと進む。ということを言い表す。
しかし、実際には、自然界では、その法則に逆らうような現象がいっぱい起きている。
[台風は散逸構造]
台風がそれに該当する。高温の海面から蒸発する水蒸気が放出する潜熱が原動力、エネルギー源である。軽くなった空気は上昇する。すると地上付近では周囲から湿った空気が中心に向かい上昇し、さらに熱を放出しエネルギーを与える。このような条件を満たすときに台風は発達する。上陸して、エネルギーの供給が止まると、弱まり、やがて消滅する。
[自給自足とは]
自給自足とは、生活に必要な物資をすべて自ら手に入れる生活のあり方であり、生物はすべて自給自足である、という。自給自足といっても、他からエネルギーを得ていないという意味ではなく、エネルギーを自分で(自力で)獲得しているという意味である。
車のように、車自身がエネルギーを自分で獲得しないで、人間の手で補われる存在は、自給していなく依存的だという。
例えば、地球自身は、太陽から得るエネルギーの合計と宇宙に放出するエネルギーの合計は等しく、均衡が保たれている。つまり、 定常的な構造、自給自足的散逸構造体である。
生態系も、オートポイエーシス的システムも、散逸構造も、共通点は、自己組織化によって生まれる定常的な構造、である。つまり、自給自足することであろう。
[生物と無生物の境界線]
生物も、無生物も、互いに関係を保ちながら、一つにまとまった、系として、活動する存在である。となれば、生物だとか、無生物だとか、システムだとか、と区別する意味が薄れてくのではないか。
[自然は自律的に創造]
自然は、車を作ることはできないが、車よりももっと複雑なカエルを創造することができた。しかも、自然に、自己組織化によって、自律的に。自然は、一つのまとまったシステムを自律的に創造できる存在である。
散逸構造論がいうように、エネルギーの流れが一旦できると、その流れが途絶えない限り、 自己組織化によって定常的な構造が生まれ、維持されるのだろう。
[相互環境性]
相手は自分にとっての環境であると同時に、自分は相手にとっての環境でもある。例えば、草食動物は、草を食べるが、フンをすることで、草に栄養を与えている。また、死骸になることで、土に滋養分となる。
つまり、円環的な持ちつ持たれつの関係にある。お互いがお互いの(動的、静的)環境になり合っている。
この関係、エネルギーの流れ(食物連鎖)が続く限り、生態系が維持されるのだろう。
[共進化]
“共進化”とは、一つの生物学的要因の変化が引き金となって別のそれに関連する生物学的要因が変化すること、である。持ちつ持たれつの関係ならば、相手が変化すれば、こちらも自動的に変化せざるを得ない。
[縁起の法]
仏教には、 釈迦が悟ったという”縁起の法”という教えがある。「これあればかれあり、これ生ずるが故にかれ生ず、これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す」。つまり、全ては相互に関連しあっているということである。
[無為自然とは]
人間も自然によって創造されたものである。人間も周りの環境と自己組織化によって生まれる定常的な構造の一部になり得る存在である。老子の説く無為自然とは、このようなことをいうのではないだろうか。なお、”無為自然”とは、人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせることである。
[生存環境の前進]
生存環境は変化しないものではなく、進化論がいうように、変異を受け入れて、徐々に変化していく。
大きな視点から言えば、海だけだった生存域は、陸地が生存可能になって、水陸を行き来する、水辺の両生類が、進化的に主役へと変遷していく。
更には、その後に、水辺を必要とはせず、環境的に優位に立てる、純粋な陸生生物である爬虫類が、主役へと躍進する。
[徐々に変化、進化]
どんな個体(動植物共に)も、他との(互いに相手の環境になり合う生態系的な)関係を持たずに存在することは不可能なので、にじりながら進むかのように、徐々に変化、進化を遂げていかねばならない。
[新しい主役に躍り出るもの]
自分を作り替えていくことで、今までの系(生態系)を離れての存在が可能となり、新しく誕生した環境に、飛び込んで、適合したものが、新しい主役に躍り出ていく。
[恐竜の絶滅]
ほぼ完全に海から開放された爬虫類である、恐竜が、不幸な出来事によって滅ぶよりももっと以前から、次の主役(猿)は、裏で着々と準備を進めていて、機会をうががっていたのである。
[恐竜絶滅の原因]
恐竜に降って湧いた不幸な出来事とは、直径10キロほどの隕石が、メキシコのユカタン半島近くに衝突したことである。その結果、巻き上げられた大量のチリは、太陽光を遮り“衝突の冬”が訪れた。その10年ほど続いた“冬”の間に植物は枯れ、続いて、それをエネルギー源とする草食恐竜が死に絶え、その食物連鎖上にあった肉食恐竜も絶滅していった。
[エネルギ流入の途絶]
これは、散逸構造を維持していた、ある種のエネルギ(この例では、植物)の流入が途絶えたために、ドミノ的に、構造が崩壊したともみなせる。つまり、散逸構造の崩壊である。
[草刈り場]
猿の生育環境は、森(世界の森林面積は約40.3億ヘクタールで、全陸地面積の約31%を占める)であり、恐竜のそれは、草原であった。恐竜の絶滅によって、主役の去った草原は、次の主役の座を狙うものたちにとって、草刈り場となった。
不毛の地にまず舞い降りるのは通常植物である。その植物を求めて、動物たち(草食動物、続いて肉食動物)が入り込んでくる。
[巨大恐竜のような大企業]
という点で、日本でも、今まで主役を張っていたが、新しく生まれ出た環境、移り行った環境に適応できていない、巨大恐竜のような大企業には、早く主役の座を退いてもらいたいものである。
[ものよりも体験、ものよりも思い出]
すでに、消費者である、特に先進諸国の消費者の心模様が大きく変化しつつある。ものよりも体験、ものよりも思い出、の時代である。ものはそれを高めてくれる脇役である。先進諸国では、ものよりも、体験・思い出、など心や感情を重要視する時代に入っている。
[実体験する]
テレビや雑誌やネットで、東にすばらしいもの(例えば、高原のお花畑)を見れば、それを実体験したくなる。西に美味しいケーキがあると聞けば、それを五感したくなる。南にライブがあると知れば、それに没入したくなる。
[韓流支える人々]
それの走りが韓流ではなかったか。子育てから開放された、戦後世代の女性たち。次には、仕事から開放された男ども。彼女ら、彼ら(私もその一人であるが)が、ものよりも体験・思い出の主役たちである。
彼らは、自分達の親世代とは違って、祖父母の役割に甘んじてなどいない。元気ハツラツの活動的な熟年男女である。
[熟年男女の行動力]
情報提供者たちよ、若者にばかり焦点を当てずに、熟年男女の行動力にも目を向けよう。世界に目をければ、先進諸国には、そのような暇とお金を持て余す熟年男女であふれ返っていますよ。
[草刈り場の形成]
次の主役の登場を早める最大の手段は、主役が退くことによる、規制緩和(草刈り場の形成)である。また、新しい主役たちに、新しい行動の場を提供しよう。
[日本の経済環境]
今の日本で、円高(輸入に有利)という環境から、円安(輸出に有利)という環境へと大きく環境が転換したことで、主役の交代があるかもしれない。
第七章:単純から複雑への変化を指し示す進化論
[私のいう進化論とは]
なお、私が今まで使ってきた進化(論)とは、厳密な科学的用語ではなく、環境の変化によって、より高度な、より複雑な、より要素が豊富な、方法・手段を用いる(有形無形の)形式へと、主役が交代してゆく過程という意味である。それが生物であろうと、無生物であろうと、無形の形式・システム・組織(例えば、プログラム)であろうと。
[進化論の主流]
生物進化論に関しては、”総合説”が現代進化論の主流であり、これも含めて”ネオダーウィニズム”と称する。”自然選択”と”突然変異”を理論の柱とする。その内、自然選択とは、厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えることである。
[スペンサーの進化論]
イギリスの哲学者、社会学者、倫理学者、スペンサーは、進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉える。
[スペンサーに賛同]
私はその考えに賛同している。というよりも、私は彼の考えにインスパイア(思想などを吹き込んだり、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、ひらめきや刺激を与えたりする)されたといえる。ということで、この本では、文化文明の進化を述べている。
[進化は上への変化]
“進化”とは、今まで例示で示してきたように、例えば、情報の伝達手段が、声から紙へと主役が変遷してゆく(“階層的な)上への変化”、上へ積み上げてゆく変化である。
[徐々なる変遷]
もちろん、音声から、一気に紙へと変化(進化)したわけではなく、古くは、石とか、木簡とか、ということで、声から文字へと変遷したといっても構わない。
[横への変化]
石から木簡への移行ならば、横への変化(多様化をもたらすグラジュエーション化:亜種)であるが、木簡から紙(より複雑度の高い素材)への変化は、縦(上)への進化である。
[進化した要素を知る]
がしかし、例示では、どちらかと言えば、情報を載せる乗り物に力点を置いている。つまり、その進化が何についてなのか(要素)も考慮する必要がある。そうでないと、退化した部分もあるから、論点がずれてくる。
第八章:余剰の発生が文化文明を生み出す
[人間の文化文明]
ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、やっと、ここからが、本来のテーマである、”人間の文化文明の進化論的栄枯盛衰”を見て行きたい。まずは、余剰について考えたい。
[自然物(動植物)採取]
散逸構造体である動植物は、エネルギー源を取り込まなければ命を維持できない。人間は、食料として、動物植物を捕獲、採取する。人間はといったが、これは当然ながら動物も行なっている。
[自律と死]
生物であれ無生物であれ散逸構造体は、自律できなくなると、死を迎える、命が絶える。例えば、台風でも、エネルギーの補給がなくなれば、消滅する。なぜか、生物の場合にだけ、命というようだが。
[生物の絶対必要条件]
生物の場合でも、さまざまな有形無形のものが、一つの系としてまとまっていたものである。ただ生物の絶対必要条件は、細胞の存在である。細胞があるものには、命があるとみなされる。
[生死を超えるとは]
生死を超えるとは迷いを超えることである、仏教的には。迷わせているのは自我、我執である。自我は、自分という視点から物事を見る。その自我を取り去り、自分という視点を取り去ると、働き(機能)しか見えてこなくなる。つまり、物質的構造が消え去る。だから、そこには、人間的な意味での死は存在しない。ただあるのは、自律的働きの停止だけである。
[自然物生産]
農耕が開始されたのは、新石器時代(紀元前8500年頃)からである。新石器時代には、農耕や牧畜の開始によって社会構造が変化し、文明の発達が始まった。農耕や牧畜とによって、余剰の発生、余裕・余暇の発生が生じた。
[余剰の発生によって]
そのことで、人類は、動物から人へとのぼった。集団の規模が格段に大きくなった。集団の規模の拡大が新たなものを持ち込んだ。
[動物から人間を分かつもの]
動物から、人間を分かつものは、「余剰」と「外化」だと感じる、と最初に述べた。だが、人と動物を分かつものは、”言葉”と”道具”だとも言われる。もちろん、動物にも、萌芽的な段階の言葉や道具使用は見られるが。量的な差異が、質へと転化するほどの圧倒的な差異が、人間の場合には見られる。
[質とは]
質とは、中身・内容を問題にすることである。例えば、睡眠に関して、時間の長さとか回数という量的な面と、ぐっすり眠ったとか、うとうとしただけとかの眠りの内容の良さを問題にするときに、質という言葉を使う。
[質の差]
例えば、カエルが木の切れっ端を乗り物として使う場合と、人が木を加工して船(乗り物)を作る場合とは、乗り物の質が異なるといえる。そこで、木から船へと名前を変える。名前は、有形の形や、無形の機能とかに付与される。
[食料生産外の時間が発生]
農耕牧畜によって、全員が自然物(食料)生産に従事しなくてもよいほどに、つまり、余剰が生み出されて、食料生産外の時間(文化的活動)が発生した。
[大規模な灌漑農耕]
より厳密に言えば、「大河の水を利用した大規模な灌漑農耕が、豊かな収穫を可能にし、大量の余剰生産物を生みだした。これが、文明の発生へとつながっていった。したがって、農耕=文明ではないのであって、大規模灌漑農耕が文明を生む基盤」であった。引用from「農耕と牧畜の開始(文明への始り)」
であっても、幸島の猿の文化のように、小さな集団にも文化は芽生える。
[キノコ栽培するハキリアリ]
植物栽培は人間だけの専売特許ではない。ハキリアリは、キノコを栽培する。が、残念ながら、彼らには、それによって、余剰や余暇が発生したようには思われない。相変わらず、黙々と働き続けている。
[時間を持て余す犬や猫]
食料生産外の時間を持て余す飼い犬や飼い猫でさえ、それらを文化的活動へと振り向けることはない。昼寝を貪り続けている。でも、しゃべる犬や猫の存在が、Youtubeにたくさんアップされているが。
[文化的活動のさらなる条件]
ということで、食料生産による、あるいは、家畜化することで、余剰や余暇が発生しただけでも、文化的活動が自然に生まれるわけでもない。さらなる条件(進化)が必要である。
[文化的活動とは]
文化的活動とは、有形無形の人工物(例えば、文字)や生命活動に必須ではないものを創作、生産、活用する行為である。必要を離れた部分での活動である。楽しみのための活動である。もちろん、初期的には必要から発生したとしても。
第九章:文化へ流れ込む知の源泉
[宗教中心の文明文化]
釈迦は紀元前5世紀頃に、キリストは紀元元年(?)に誕生した。その頃に、宗教(キリスト教、仏教・儒教など)が中心の文明文化が生み出された。世界を解釈する方法・手段として、宗教教義が誕生していった。また、抱え込む集団の規模が大きくなったので、統一・統制するための手段が必要となった。
[最も古い埋葬]
最も古い埋葬の例は、ネアンデルタール人のものがよく知られている。すなわち、埋葬の起源はおよそ10万年前にさかのぼる。これは死者に対して特別な意識を持っていた可能性を示唆する。 宗教の萠芽である。だから、宗教が集団の統一・統制するためだったとも言い切れないが。
[神から与えられた十戒]
がしかしながら、キリスト教では、十戒という十の戒律が提示された。モーセが神から与えられたとされる10の戒律である。あなたの父母を敬えとか、殺してはならないとかの、道徳的なことも述べられている。キリスト教以外でも、多くの宗教は、道徳的規範の指示を教典に含んでいる。
[道徳とは]
道徳とは、社会や共同体において、その構成員の大多数によって共有されるべき、より健全で快適な共同生活を送る為に守るべき、又は行うべきと考えられている規範、行動の指針である。改変引用(fromWikipedia”道徳”)
[本能的知]
動物の場合には、種が共有する、生まれながらの、強力な本能的知を持ち合わせている。が、人間の大脳新皮質には、生まれながらの知を持ち合わせない。よって、規範、道徳、ルールなど、共通認識が必要となる。
[脳の三層構造]
アメリカのポール・マクリーンは、”脳の三層構造説”を唱えた。人間の脳は、?爬虫類脳→?旧哺乳類脳→?新哺乳類の順番で進化し、機能を複雑化させ高度化させてきた、という。
注)脳科学的には、彼の説は厳密なモデルとしての正確性はないようである。
[爬虫類脳]
“爬虫類脳”は、呼吸、心拍、体温維持、摂食、睡眠、覚醒など生命の維持(身体的知)に関わる、つまり自律神経系の中枢である脳幹や間脳(視床視床下部)を指し示す。自己保全という目的に機能する脳部位である。
[旧哺乳類脳]
“旧哺乳類脳”は、感情、記憶、快・不快の価値判断など、生物として生きていくために必要な能力(感覚感情的知)に関わる、海馬、扁桃体を含む大脳辺縁系、のことである。
[新哺乳類脳]
哺乳類で初めて出現する“新哺乳類脳”とは、思考、学習、会話、芸術など、高度な精神活動(精神的知)に関わる右脳と左脳に分かれる大脳新皮質である。
[大脳新皮質が担う文明文化]
文明文化を創造する能力は、主に大脳新皮質が担う。人間の場合には、大脳新皮質が主役になることができるが、犬や猫では、大脳新皮質が主役の座を奪うことができない。
[本能は旧哺乳類脳から]
旧哺乳類脳が、感じ取った情報を、動物的な感覚(生得的知と後天的情報の合成)によって、判断した結果生み出した知を本能という。犬や猫は、その旧哺乳類脳が主役となる。
[脳の主役交代]
脳においても、主役の交代という形での進化が行われている。たぶん、主役の交代は、機能別脳内容(???)の量的な多さ・大きさが決定するのだろう。
[赤ん坊の脳]
だから、人間においても、赤ん坊の段階では、すでに大脳新皮質が存在しても、判断できるほどの体験知が蓄積されていない。つまり、赤ん坊段階での大脳新皮質は空っぽの貯金箱にすぎない。
[爬虫類脳から機能する]
故に、生得的知に従って働く爬虫類脳が主役の段階から人生をスタートする。そして、後天的な体験によって獲得された知が加味された本能に従って働く旧哺乳類脳や、後天的な体験がほとんどを占める 新哺乳類脳が順次主役に立つ。つまり、大脳辺縁系で発生する欲求や情動を、大脳新皮質の知性や理性がコントロールする。
[本能からの離脱度]
旧哺乳類脳は、自由度がかなり低い(本能的知から離れられない)が、新哺乳類脳 は、圧倒的な自由度を誇る。この圧倒的な自由度が、動物的本能からは、考えられないような、行動をしでかす。
[内装は下から順に]
なお、幼い頃に、感情や快・不快の価値判断的な体験(旧哺乳類脳に蓄積)をあまり積まずに、早期に知的体験(新哺乳類脳に蓄積)を積み過ぎると、冷たい知的(理詰め)な大人になる可能性も高い。
第十章:宗教を中心とした文明文化
[仏教の誕生]
仏教誕生の背景には、従来の盲信的な原始的宗教から脱しようとした、ことがあげられる。それは、都市国家がある程度の成熟をみて、社会不安が増大し、従来のアニミズム的、または民族的な伝統宗教では解決できない問題が多くなった、ことによる。引用(fromWikipedia”仏教”)
[宗教の文明文化の栄盛]
宗教中心の文明文化の栄盛を、象徴的に表す出来事が、4世紀、キリスト教の公認・国教化である。テオドシウス帝は380年にキリスト教ローマ帝国の国教と宣言した。
[その頃日本では]
日本列島では、2〜3世紀に存在したとされる国のひとつ、邪馬台国(約30の国からなる日本の都)は、卑弥呼(呪術を司る巫女のような人物)が治める女王国であった。
[宗教の文明文化の枯衰]
早々と、宗教の衰退の話に入るのであるが、それは、内容を紹介することが中心ではなく、文化文明の変遷が中心テーマだからである。ということで、宗教中心文化文明の枯衰を象徴的に示す出来事は、西洋では魔女狩り(15〜18世紀)である。
[アヘン戦争]
アヘン戦争は、宗教の衰退と直接関係はないが、東洋の西洋への敗北を象徴する出来事である。日本では、それに匹敵するのは、黒船の来航であろう。アヘン戦争や黒船の来航は、西洋の科学技術の圧倒的優位性を見せつけるものであった。ここから西洋の東洋への優位性が本格化していった。
[魔女狩り]
魔女狩りが発生したのは、当時のヨーロッパを覆った宗教的・社会的大変動が、人々を精神的な不安に落としいれ、庶民のパワーと権力者の意向が一致したことが原因だと見られている。改変引用(fromWikipedia”魔女狩り”)
[民族的神話]
ほとんどの民族では、世界を解釈するための、解釈を統一するための、神話が生まれた。神話とは、現代的に言えば、思考・思想を統一するための教科書である。日本も例外ではない。仏教が伝来するはるか前から、神話が存在した。
[仏教の衰退]
現代日本国家は、法律の厳格な適用によって人民を統治する法治主義国家である。中国では、紀元3世紀頃には仏教が盛んで、統治手段としていた。が、その後、為政者が、儒教に切り替えたので、仏教は衰退した。
[聖書は世界解釈書]
キリスト教の聖書も、世界解釈書である。また、それは、キリストによって、ユダヤ民族だけの教科書ではなく、民族を超える普遍性を与えられた。
[時代変化についていけない宗教教義]
宗教教義では、時代につれて、条項が追加されるかもしれないが、根本部分は不変である。教義を遺伝子(ミーム)だとみなすと、環境・時代の変化についていけない生物は、淘汰されるのが自然哲理である。
第十一章: 科学技術中心の文化文明
[科学技術中心の文化文明]
宗教的・社会的大変動という混沌から、科学技術中心の文化文明が西洋に起こった。西洋主体に生まれた科学知識に従って世界を解釈する時代が到来した。
[それでも地球は動く]
科学技術中心の文化文明の栄盛の到来を呟く言葉が、”それでも地球は動く”(byガリレオ・ガリレイin17世紀)である。これが、世界解釈の手段の転換を象徴する言葉である。
[カトリック教会公認の天動説]
2世紀に、プトレマイオス(古代ローマ天文学者、数学者、地理学者、占星術師)によって体系化された天動説は、13世紀からカトリック教会公認の世界観であった。
[天動説とは矛盾するデータが蓄積]
しかし、宇宙を観察した事実を積み重ねていくと、天動説とは矛盾するデータが蓄積されてきた。そのことによって、聖書(宗教)や宗教が公認する解釈よりも、科学的知識の方を信じる人々が多くなった。
[より普遍性を高めた科学知識]
確かな証拠をもって証明するという実証を重んじる科学的知識は、宗教を超えた、更に普遍性を備えた、高めた世界解釈書となった。特に、17世紀に誕生した、ニュートンは、近代科学文明の成立に多大の影響を与えた。
[科学的知識は世界共通教義]
宗教教義では、民族により、信仰者・宗教者によって異なるが、科学的知識は、世界共通教義とも言える。科学技術によって、西洋は、世界を征服したと言っても過言ではない。日本の昭和時代の繁栄や、今の中国の隆盛も、その西洋の科学技術がもたらしたものである。
[枯衰を前兆する出来事]
またまた、早々と歩を進めるが、科学技術中心の文化文明の枯衰を前兆する暗示するような出来事として、2001年9月11日にアメリカ合衆国で9.11が、その十年後の2011年3月11日に3.11が起こった。
[3.11]
特に、3.11は、世界的に、特に、科学技術の力によって達成した先進諸国においては、科学技術万能主義・科学技術信仰の崩壊(科学技術だけで世界を構築することへの不安)を加速させた。その前兆的な事件が、1986年4月26日にソビエト連邦(ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所での原子力事故である。
[9.11]
9.11によって、先進諸国(特に西欧諸国)はすばらしい、科学技術は幸福をもたらす、などの先進諸国の優位性、と科学技術への確信が大きく揺らいだ。
[世界貿易センタービルの崩壊]
また、科学技術は人々を幸せにするだけではないことを思い知らされた。私は、世界貿易センタービルの崩壊から、バベルの塔の崩壊を思い浮かべてしまった。もしかすれば、それは西洋の優位性と科学技術への信頼の崩壊を象徴するものであるかもしれない。
[科学技術への信頼が揺らぐ]
3.11によって、自然の猛威の圧倒さを見せつけられて、人間の自然への優位性と、科学技術への信頼、科学者技術者を無批判的に信頼することへの確信が根本から揺らいだ。
[世論調査]
日経新聞は、2013年5月27日に世論調査をした結果を掲載した。内容は、「政府や電力会社が行う原発の安全対策」についての調査である。
・「信頼できる」3.3%・「どちらかというと信頼できる」21.6%・「どちらかというと信頼できない」36.7%・「信頼できない」35.7%
信頼できるの合計は、24.9%、それに対して、信頼できないは、72.4%。
朝日新聞社が2013年6月8〜9日に実施した全国世論調査によると、日本経済の成長のためだとして原発を積極的に利用する安倍政権の方針について、反対が59%に上り、賛成27%。
停止している原発の運転再開については、反対は58%で、賛成28%。
[科学技術は善悪の彼岸]
実際には、科学技術自体が悪いのではない、科学技術は善悪の彼岸にある。逆から言えば、科学者が安全などという評価的言葉は使うべきではないと思う。確率だけで表現すべきだったのだ。この辺りから、御用学者という言葉に真実味をもたらす。
[科学技術への信頼失墜]
それを社会生活に利用する、応用する(政治家を含めて)人々のほうが、信頼をなくすような、行動をとってきたことが、科学技術への信頼失墜の原因である。日本でも、原子力事故により、科学者の発言が金科玉条のようには信用されなくなってきている。
[発展途上国には宝]
とはいえ、発展途上国には、科学技術は、今なお物質的豊かさをもたらす重要な手段であることには変わりがない。温度差は大きいのである。先進諸国でも、物質的豊かさか、精神的豊かさか(安全安心などの心理的豊かさも含め)の選択が問われている。
第十二章: ネット(通信)中心の文化文明
[ネット(通信)中心の文化文明]
西洋の衰退や科学技術がもたらす負の側面によって、科学的知識や技術一辺倒から、ネット(通信)中心の文化文明へと移行が始まっている。この文化文明のキーワードは、『集合知』である。これからは、科学技術をも含む、集合知によって世界を解釈する時代となってゆく。
[中心的情報の変遷]
これまで見たきたように、中心的(世界解釈用)情報が、(神話・民族宗教⇒)広域宗教教義⇒(西洋的)科学技術知識⇒グローバルなネット上集合知へと変遷してきた。
[一部から全員へ]
宗教教義や科学知識が、ごく一部の人々(宗教者、科学者)によってのみ与えられた、のとは異なり、集合知は、全世界のすべての人々が生み出すことができる。
[一般人による受発信]
そういう意味では、一般人には、今まで与えられるだけであった教義(生活指針)を、発信する側にも回ったということが言える。ということで、集合知は、初めて、すべての人々(全世界)が、受発信する、世界解釈書だとも言える。
[集合知の大きな担い手]
1998年に創業した、Googleは、人類が使うすべての情報を集め整理するという壮大な目的を持って、グローバルに(より広い環境に、より普遍性を持って)、知・情報を提供することによって、集合知の大きな担い手となってきた。
[時代精神を受けた存在]
Googleは、まさしく、登場すべき時に登場した世界的企業である。時代精神(ある時代に支配的な知的・政治的・社会的動向を表す全体的な精神傾向)を受けた存在である。
[国単位の崩壊]
Googleの創業、集合知、全世界が同じネット上で集うなどを考えると、日本とか中国とかの国単位が、もはや意味をなさなくなる、前兆でもある。
[楽天ユニクロ]
楽天は、英語を社内共通語とすると宣言した。ユニクロに至っては、いずれ世界同一賃金にすると発表した。アマゾンは、全世界でネット通販を展開する。FacebookなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス:social networking service)は、世界中からの友達を誘い合う。
[国の壁の崩壊]
これによって、ベルリンの壁が壊されたように、国の壁が壊されて、当たり前のこととして、人材採用と、人事異動が、世界規模へと拡大する。人、もの、金の動きが、グローバル化する。
[課税はどうなる]
気になるのが、国単位で課税されている税金がどうなるかということである。私は、アマゾンを利用しているが、アマゾンに支払った消費税は、どうなっているのだろうか。
[国連への期待]
今後、ネットがさらに世界的に普及すれば、税金や社会保障や法律などなど、義務と権利の問題が、大きく浮上してくるだろう。となれば、国連への期待が今後大きく高まるのではないだろうか。
[TPP不参加は鎖国化]
今、日本でTPPの参加が問題になっているが、これも国際化の流れの一環である。TPP不参加は、孤立化、村八分化でもある。TPP不参加は、鎖国化への道ともなる。今時の鎖国化は、北朝鮮に見られるような、極端な貧困をもたらす。散逸構造論を思い浮かべられよ。
[お山の大将俺一人ではない]
世界経済を引っ張ると自負する中国も、TPPからの孤立のままでは、お山の大将俺一人ではいられないと気がついて、その流れの中に入らねばという焦りが垣間見えている。
[マイクロソフト]
このようなグローバル化と、知や情報のネット化の基礎を構築したのが、コンピュータソフトのマイクロソフト(特に、基本ソフトであるWindows)である。もちろん、ネットへの入り口の役目をするのは、ブラウザであるが。これが全世界的な共通基盤を築き上げた。
[飛行機のコモディティ化]
もちろん、物質面で、グローバル化の流れを作った陰の功労者は航空機でもある。さらに、航空機会社はLCC(格安航空会社)化、すなわち、飛行機のコモディティ化(タクシー化)の流れが凄まじい。
[国境の破壊者]
全世界を股にかける商社アマゾンや、情報と情報基盤を提供するグーグルは、国境を破壊する、崩壊させる、破壊者であり、かつまた、新しい世界の創造者でもある。
[アマゾンやグーグルは創造者]
アマゾンやグーグルは、単なる破壊者ではなく、新しくより便利なものを提供する(創造者である)ことによって、古いものを駆逐するという手法をとっている。
[今の時代に要求される能力]
今のようなグローバル化の時代に要求される能力は、世界中から流れこんでくる情報の混沌の海から、つまり、地に沈んだ図を読み取って統合するコーディネート能力である。どんな情報が図であるかは、個々人によって、国によって、企業によって、集団によって異なる。
[コーディネート能力]
今後ますます、人事面で最有力視される能力が、このコーディネート能力、さまざまな要素を一つの形にまとめる能力、である。社員は、バイトを差配する、人事する、コーディネートする能力が要求される。
[集合知というアゴラ]
集合知というアゴラ(古代ギリシアの国家における民会の開催場所)を形成する者・組織(例えば、ヤフー、TwitterFacebook、少し違うがアマゾン、規模が小さいが、日本では、楽天cookpadなど)が、今後ますます主役の座につき、さらなる王座を狙う存在となる。
[Web1.0と2.0]
一時、Web2.0という言葉が盛んに用いられた。ネット世界(Web世界)の進化は、Web 1.0は(観客として)「見る」だけの世界。Web 2.0は(舞台にたって演じる演技者として)「使う」世界。
[Web 3.0]
Web 3.0は(観客であり、演技者であり、演出家であり)「作る、自由に加工する」世界、共有化されたデータベースを駆使して自分世界を実現できるインタラクティブ(Interactive:双方向的)な世界である。
[One for All, All for One]
ネットの普及によって、グローバリゼーション(普遍化)とパーソナライゼーション(個人化)とが、同時並行に進行している。一人がすべてのために、全てが一人のために。"One for All, All for One”
[グローバルとパーソナル]
基盤としてはグローバル(普遍)であらねばならないが、末端的には、個別化の要求に沿わねばならない。日本は、今の家電業界が端的に示すように、グローバリゼーション(普遍化)の面でも、パーソナライゼーション(個人化)の面でも遅れを取っている。未だに高度な技術技術で売ろうとする。
[インターネットの発展]
ネット(通信)中心の文化文明の栄盛は、当然だが、インターネットの発展によってもたらされた。営利目的のインターネットサービスプロバイダが、1980年代末から1990年代に出現した。
[Windows95]
1995年にWindows95が発売される。これが、ネットを一般社会に普及させた最大の功績者である。とはいっても、基本ソフトであるWindows自体はネットとはあまり関係がない。Windowsはパソコンの普遍化と普及とをもたらした。私もこれを買うことによって、ネットにからめ取られてしまった。