真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ある余生の過ごし方

私(64歳)は、毎日のように夢を見る。夢をみる理由は、起きなければならない時間が決まっていないからである。10時半や、11時過ぎに起きることも珍しくはない。
毎日夢を見るが、目が覚めた瞬間に、「あれっ?どんな夢を見ていたんだっけ?」と、忘れていることが多い。
しかし、心が動いた夢は、目覚めた後も鮮明に記憶していることがある。これは、起きている時の出来事に関しても同じであるが。
みなさんは、一日を終えて、どれだけの記憶が、残っていますか、蘇ってきますか。この残った記憶を、蘇らせることが、成長の糧となります。
成長とは、新しい事柄が溜まっていき、活動の糧となることです。瞑想とは、牛の反芻のように、残った記憶を、反芻する行為なのです。その時には、冷静な、より広い視野に立って、新しい発見をしながら眺められます。
今朝見た夢も、記憶に残っていた。残念ながら、記憶に残ったわけが見つからなかったが。
場所はイギリス(たぶん)の郊外。60代後半から70代の女性が主人公。庭があって、建物が2つ以上ある。私(夢中では若者)は、そこに英語の勉強に行っている。そこには、勝手にボランティア活動的に、通う小柄な(日本人ぽい)女性(50代から60代前半)もいる。私は、大きな木のテーブルのあるポーチで、女主人から本読みの指導を受けている。そこへ、頭のよさそうな、同じ日本人の若い男が、同じテーブルに着く。私は、少しいらつく。
こんな内容だった。ここから先は、想像も、期待も込めた、私の話を進めていく。
日本も含めて、先進諸国は、子育てを終わった世代が、どのように、その先を過ごすか、が課題となっている。
日本は、まだ、あまり、そこに多様性がないような気がする。
この女主人は、趣味的に、社会と関わり続ける。若い外国人を、語学学習を兼ねて、そこに、安い料金で泊める。ベッドメイキングから、食事作りから、洗濯などなどは、宿泊者が、各自で、共同で行う。お金のない若者たちには、利用しやすい方式である。そこを拠点に冒険の旅に出かける。
逆に、これを日本でも、郊外で、ごく普通に行われるといいなあと思う。あるいは、世界中でごく普通に行われると、若者の海外との交流がもっともっと気軽に行われるようになるだろう。
自分の国という視点からだけでなく、世界という視点を獲得した、若者が増えることによって、世界がますます一つに向かっていけるのではないか。
私も、もうすぐ65歳である。四人の子どもたちは、一人結婚し、もう一人もまもなく結婚する。もう一人はアメリカに研修に出かけている(本人はそこを拠点にしたいらしい)。最後の末娘は26歳。
もう子育ては終わったと言えそうである。家庭の主人という役割からは降りてもよさそうに思える。ということで、私自身のこれからはどうなっていくのだろう。どうしたいと思っているのだろう。
そんな気持ちが、こんな夢を見させたのだろう。そして、そんな夢に心が動かされたのだろう。まだまだ迷える高齢者である。