真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

思わず私の口をついてでた言葉、「親父、さようなら」

この(2013年)8月2日に、私の父親のふるさと、福井県高浜を、バイクツーリングしてきた。なぜか、今年、親父の故郷を尋ねたくなった。
朝8時に出発して、ただひたすらに、走り続けた。3時間半後には、福井県小浜市に到着した。そこからさらに、本当の目的地、高浜へ走り続けた。
高浜駅に着き、海岸の方へ向かう。私が幼い頃に連れて来られた、場所を見つけた。その付近をバイクでウロウロとしてみたが、かなり変わっている。
家から3分ほどで砂浜に着いたと記憶している。だのに、砂浜はもはや無く、漁船の停泊する港に変貌していた。
今までに4〜5回来ている。その時の記憶を呼び覚ましてくれるような風景は、もうほとんどなくなっていた。
ただ、小さな島や岬には、見覚えがある感じがした。地元の人に聞くと、原発によって、街はすっかり変わってしまったという。昔見た田舎の風景はもうどこにもなかった。
高浜を去る途中で、思わず私の口をついてでた言葉は、「親父、さようなら」であった。その時、危うく涙がこぼれそうになった。
でも、何故今になって「親父、さようなら」だったのだろう。
私の父親は、もう20年ほど前になくなている。帰宅してから、改めて、何故今になって「親父、さようなら」だったのだろうかと考えてみた。
ふと気がついたのが、父親がなくなっても、なおかつ私は、父親の子供であったのだ。父の死後20年経って、初めて、「親父、さようなら」と言えたのだと気がついた。
親父は、死後も私の心のなかで、厳然として生きていた。私は、親父の死後も、親父の夢をしばしば見た。
今年(6月)、私の娘が結婚式を挙げた。娘にとって、それは、私達の家族から、新しい家族へと心が移っていく通過儀礼であったはずだ。
でも、娘だけの通過儀礼にとどまらない。私にとっても、自分の娘から、社会(世間様)の娘、新しい家庭の主人公へと、去っていくことを覚悟する、自分の娘であると見なすことを断念する通過儀礼である。
通過儀礼は、入学式でもあるが、卒業式でもある。入学式と卒業式を同時に執り行う儀式である。
そのように考えると、「親父、さようなら」は、私がもはや父親の子供であることを断念すべき(卒業すべき)との覚悟がやっとできたということなのだろう。
子どもという居心地のいい地位を捨てる覚悟がようやくにしてできたということだろう。何ともはや、甘ったれな人間だったのだろうか。
子どもという居心地のいい退路をいつまでも温存していたのだ。何か不都合があれば、親父の子供へと逃げ込んでいたのだ。
ということを考えると、私は、娘の結婚式に臨んで、娘の父親としての卒業式に臨んだという自覚が、親父の子供という居心地のいい居場所を手放す気になったのだろう。
私にとっては、親父の実際の葬式は、私の父親の死を自覚するという通過儀礼とは全く成り得ていなかったのである。
私の父親の肉体は、20年前になくなったが、私の心の内では、まだまだ父親として健在であったのだ。
父親のふるさとが大きく変貌していたが、私の親父が住む、私の内の心の現実は、昔のままだった。現実の風景の変貌を見て、私の心の内に住む親父像も、大きく変貌したのかもしれない。
追記)「浦島太郎」の昔話を思い出す。
心の成長、心の内の現実は、実際の現実と並行しては、進んでくれないようである。現実世界に置いてきぼりを食らった、私の心の遅さにも呆れたもんである。
現実世界が変化していっても、心の現実はなかなかそれに歩調を合わせてくれない。現実の世界と、それに合わせて作られた制度。政治の世界でも、それが当てはまる。
注)心理学的に言えば、私たちは、現実に対応しているようにみえるのですが、実際には、自分の心の内に構築された現実に対応しているのです。なので、同じ現実を見ても、各自それぞれ違ったふうに対応する、そうです。