真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

一連の食材偽装事件と佐村河内の詐称事件との共通性

佐村河内の詐称事件が社会を賑わした。私は、偶然にも、彼のゴーストライターだったという人(新垣隆)の暴露会見をテレビで見て驚いた。残念ながらというか、幸いにもというか、私は佐村河内を全く知らなかった。
参照)新垣隆さんが告白「私が佐村河内守さんのゴーストライター」
その後、その事件のまとめサイトの一連の記事を読んで、ある程度の内容がつかめた。それで、今日はそのことについて考えたい。
佐村河内は、俳優志望でいくぶんか役者を経験しているだけあって、素人を欺くのはたやすかったのではないだろうか。彼は悲劇の音楽家を演じていたのである。
カネになる有名人には、必ず商売上手が、吸い寄せられるように集まるが、この場合も例外ではなかったようだ。
あたかも、砂糖の山を地面におけば、あちらからも、こちらからも、四方八方から蟻がたかってくるように。
今は、大々的に、話題作りをして、特に、そこに物語性を含ませれば、また、新規性が加味されれば、人気がでることが多い。
参照1)アイドルの「物語性」にだまされてはいないか? | 福森亮太ブログ
参照2)NTT ADVERTISING, INC.;物語を発掘し、効果的に表現する「語り部的役割」を広報が担う
それは、ネットであれば、炎上と称して良いかもしれない現象である。ある意味、話題を食べて楽しむ風潮。
その背景には、ゴシップ的な、自分達自身が話題になるのではなく、話題にしても、実害のない内容を、語り合って楽しむ風潮、があるのかも。
今回の佐村河内の詐称事件で、ゴーストライターを使っていたということに関して、実力がなく、有名性に依存した、半詐称だとは感じるが、実際には、ゴーストライターは、ごくありふれた事柄になってしまっている。
作家の世界でも、音楽の世界でも、芸術の世界でも、ゴーストライターは、ありふれた存在となっている。
有名であっても、実力があっても、いつも、賞賛されるような作品を出し続けることは至難の業であろう。
日展などの事件も、有名性によりかかりすぎた、既得権益に、よりかかりすぎた、そして、既得権益を守ることが主な仕事になっている団体によって引き起こされた出来事であろう。
参照)日本最大の公募展「日展」で出来レース芸術がマルチ商法まがいの“派閥”の食い物に|ダイヤモンド・オンライン
また、先ほど書いたように、有名になれば、商売上手が必ずその人の周りに集まる。そして、売れるように、企画を次々に提案してくる。
それに抗するのは、かなり苦しいだろう。特に、才能が枯れていれば。これは、政治の世界でも、ほんとうに多い。
ところで、今回のこの事件は、去年(2013年)に、ホテル・レストランでの発覚した食材偽装問題と共通性を持っているように思える。
複数のホテル・レストランで提供している料理に使う食材が、メニューに表示していたのとは異なる食材を用いていた一連の食材偽装事件のことである。
共通項は、中身よりも、表示、包装、話題性に重きをおいた、行き過ぎた商業主義である。
これらはこれから来る時代への大きな警告だろう。
中身を楽しむよりも、誇大過剰包装をありがたがる、日本人的な指向に対しての警告である。
ある意味、日本人の権威に弱い体質でもあろう。これらは、日本人が未だ、自分の本物の実力を持たずに、成り上がり的体質に留まっている証ではないか。
豊臣秀吉が、派手好みであったのと通じる体質である。
一人ひとりの実力が試される時代の到来である。そして、実力がないと、どうなるかを暗示している一連の出来事である。