真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「医者に殺されない47の心得」(by近藤誠)を読んでの感想

前回(2015/04/26)、このブログで、「科学の発達が、自然志向、本物志向をももたらす」、という記事を書いた。そこで、ちらっと紹介した本がある。
「医者に殺されない47の心得」(by近藤誠)を、娘から、読んでみてと、手渡された。読んでみて、たいへん驚いた。
私が、前々から思っていたことを、肯定するような話であった。私は、以前(2012/07/05)、このブログで、「自分の寿命は自分で決めたいはわがままですか」、という記事を書いた。
そこから引用。
1)「私は、70歳を超えたら、生死に関わるような病気をしても、治療をしないことに決めた。平穏死、自然死、大往生、枯れるような死。を望みたい」
2)「これらの本は、科学や技術が、人を幸せにしているのだろうかと、問いかけているように私には思える。今の医療は、長く生きながらえさせることが、素晴らしいこと、幸せなこと、と勘違いしているのではないか」
3)「私も、薬漬け、治療漬けの挙句に苦しんで死ぬような目には会いたくない。癌などになった場合には、末期になるころには、自ら、食事を絶って、枯死したいものである」
注)「食事を絶って枯死する」という発想は、私の母から学んだ。私の入院中の母(80歳前後)は、父の死んだ日から、絶食して2週間後になくなった。私は、母のその強さ、覚悟を尊敬している。
さらに、もっと前(2009/01/27)に、このブログで、「死者は灰になるだけでなく金にもなります」、という記事も書いた。
そこから引用。
1)「再び地上に出てくる水(伏流水)のように、人々の心の底を流れていた、余りにも人工化した文化への違和感が表面化し始めたのではないかとも思える。人類の(集合)無意識(ユングの用語)が持っている「自然の中に帰りたい」という本能的願いが再び地上に出て来たのではないか」
2)「人間も自然の一部なので、死ねば自然に帰して欲しい、と私は願う。人間を余りにも特別扱いにするのに違和感を覚える。自然はお互いを差し出し合うことによって循環し、成り立ち、永続する」
3)「人間は人間を特別視する余り、自然を忘れてしまった。そのツケが今や我々に津波のように、襲いかかろうとしている。そして、もう次から次へとその影響が現れ、我々を不安な気持ちに追い立てている」
人間も自然の一部であり、私も、自然な死に方を望む。科学や技術で、無理やり生きさせられる生は望まない。それで、平穏死、自然死、大往生、枯れるような死を望んた。
そのような私の望みを、「医者に殺されない47の心得」(by近藤誠)は、後押ししてくれた、肯定してくれた、ように思える。
なお、もっともっと前(2008/02/24)には、私は、このブログで、「あなたは受け入れるか、闘うか」、という記事も書いていた。
そこから引用。
1)「私は、いまだにどちらを取るべきか迷う。つまり、「受け入れ(てい)る」か「現実を変えようする」か、どちらの道を進むべきかに」
2)「私が一番迷うのは、「変えられない」という判断である。要は、この判断次第ではないのだろうか。闘って、勝利した場合は、万々歳である、見事変えられたのだから」
3)「しかし、戦いに数年以上の期間を要し、その期間に時間と費用とを多大に費やさねばならない。その結果が、負けでは、その気落ちはいかばかりだろうかと案じられる。それならば、いっそう、自然に任せて、 法爾させてゆく方がよいかもしれない。戦いに費やす時間と費用を、人生を有意義に過ごす(「気持ちを切り替え、別の価値観に目を向ける」)ことに使うならば、「いちばん楽そうな」人でいられる」
私は、60歳を超えた今となっては、病気に対しては、何のために戦うのかという疑問も生じている。戦って勝利したとしても、大きな負傷を負っての勝利では、その後の人生は楽しいのかと。
「近藤 誠の著書たち」fromアマゾン