真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

私を成長へと導いて行ってくれたもの

私を成長へと導いて行ってくれたものは、以前、このブログ内で書いた、「自分の人生を振り返っての自己分析 - 真 夢人 日記」、で述べた。その中から引用。
「ある時職場で課題として原爆の詩を読まされた。声を出して読んでいる最中に、私の中で、あぶくが背骨を伝って浮き上がってきて、胸(心臓)のところでパチッとはじけた。その瞬間、私は嗚咽していた。でも、その嗚咽を、何故嗚咽をしているのだろうと、感じているもう一人の私がいた。嗚咽をしている私と、それを不思議に思っている私(この私を自分だと感じていた)と二人いた。そして、その時から、私は原爆の詩で嗚咽をした私と同じレベルに達したいと願うようになった。」
つまり、私を成長へと導いて行ってくれたものは、私の中にいる、私よりも遥かにレベルの高い存在であった。その存在は、折々に、口出しをしてきた。時には、手出しさえしてきた。
私が仕事をやめる気もなかったのに、勝手に、「辞めます」、と宣言した。
時には、職場のトップ達がいる部屋に乗り込んで、「みんな、社長の独走をしないように、しっかりと、いうべきことを言ってるか?」、と、一アルバイトが、トップ達を、叱咤激励することもさせられた。勿論、しばらくして、その職場を去った。
あるいは、こんなこともあった。母親が認知症にかかり、父親が、一人で、家事全般をこなしてきたが、遂に、悲鳴を上げた。父親は近くに住む叔母さんに相談した。多分、私に迷惑をかけたくない、との思いからだろう。
だが、叔母から、そこへ、私も呼ばれた。そこには、保健所の人も同席していた。
すると、その話し合いの場で、「母親と父親と両方とも、引き取って面倒見ます」と、私が宣言した。「え!待ってよ!妻とも相談しなきゃ」。でももう後の祭りである。
あるいは、このブログへ、記事を書きながら、今、これを書いているのは、どっちなのだろう、と迷うこともしばしば。時には、自分は、こんなことを考えていたのかと、感心することもたびたび。
しかしながら、思ったのは、この言動が、自分のものかどうか分からないということは、嗚咽した存在にかなり近づいたということなのではないか、ということであった。
皆様も、「この言動が、本当に自分自身のものか」と、疑問を持ったことはないでしょうか。もしかすれば、それは、あなたの中のたましいが、あなたにさせたのかも知れませんよ。
なにせ、私の中のたましいは、とてもお節介ですからね。時には、独裁者的でもあるのですからね。たまには、どこかへ置き去りにして、走って逃げたいぐらい。