真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

何故これほどまで長く続けられたのか。

1)多すぎず少な過ぎず。
このブログを始めたのは、2006年10月、ほぼ10年前。10年で800本だから、1年で80本。ということは、1ヶ月で、7本。ということは、平均4日で1本のペース。このペースが、私にとって、心地好い間合いだったのだろう。
注)もしかすれば、もう800本を越えていたかも知れない。一日に二本記事を投稿していれば。とにかく、今日が投稿日数800日目である。
2)日常から離れた空間。
「日常から離れた空間」と言う表現から、今、「秘密の花園」、という言葉が思い浮かんだ。私にとって、このブログは、秘密の花園、日常から離れた空間である。一つのテーマが思い浮かぶと、ブログと、ブログの読み手に向かって話しかける。
3)同じことの繰り返し的日常からの離脱。
私にとって、ブログを書くことは、趣味である。ある人は絵を描くことを趣味とし、別の人は山登りを趣味とし、さらに別の人は俳句作りを趣味とし、というようなものである。人は、日常だけの人生では生きづらいのだろう。
4)自分の勉強部屋。
自分でいうのも可笑しいけれども、このブログに記事を投稿していて、少しずつ、目に見えないほどのペースであるが、文章がうまくなって来ている、と思える。
いつものことであるが、テーマが思い浮かんでも、なかなか文章として流れて行かない。そこで、言葉の意味を調べたり、参考記事を読んだり、具体例を考えたりする。
このような行為が、私にとってはすごい成長の糧となっている。だから、読み手のために書いていると言うよりも、私自身のために書いている、と言った方が当たっている。
5)自分の思考時間。
あるテーマが思い浮かんだ、ということは、自分の中に、雲のようなほんわかとした情報の固まりがあるからだろう、と思う。そして、それを文章化しようという行為によって、自分の中で、整理整頓された思想にまで磨かれるのだろう。
注)時には、そのテーマから思い浮かぶ言葉やフレーズや文を、書き並べることもしている。これは、テーマの流れを読むのにとても役に立つ。
6)思考を深める。
日常を何気なく過ごすと、思考が、知識がとても浅いままで流れて行く。知識を、思考を深いものにするためには、立ち止まらなければならない。
肯定は、そのまま進むことを促す。疑問は、立ち止まることを要求する。否定は、時には、思考停止に陥れる。
疑問は、人を成長させる糧になる。他人を成長へと向かわせる言葉は疑問符であると思う。「何故なのだろうか」「正しいってどういう意味なのか」「本当にそうかなあ」。
7)他人のためではない。
他人を強く意識をすると、とかく、気取ったり、大袈裟に表現したり(盛ったり)、盗用などに走る可能性も生まれる。日記風になればいいなと思いながら書くように心掛けて来た。そうであっても、それができているかは、自分で判定するのは困難である。
8)儲けをあまり考えない。
ブログ記事投稿を、仕事としている人達もかなりいる。そのような人達にとって、PV(page-view)を稼ぐことは、大事な課題だろう。となれば、自分好みでなくても、PVを稼げるテーマに向かう誘惑に狩られる恐れありである。
継続は力なりである。書き続けると、自然にPVもついて来る、多分。
9)自分の足跡。
自分で撮った写真を眺める。そこには自分の人生がある。それと同じように、自分のブログには自分の人生が、これまで歩んで来た心の軌跡がある。自分の書いた文章(記事)を時に読み返して、さまざまな感慨にふけるのも楽しみである。