真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ヒヒに笑われてませんか?

[面白い研究結果]
◎今日は科学界で、"おっ"と目をむく発表があったのでそれを取り上げる。アメリカとフランスの研究チームが、面白い研究結果をアメリカ科学アカデミー紀要(電子版)に近頃発表した。
[写真を何枚記憶できるか]
◎その研究内容は、鳥や動物が写真を何枚記憶できるか、その能力を調べたら、ハトは約1000枚、ヒヒは5000枚以上だった。
[ハトとヒヒの記憶能力]
◎細かい実験内容は省くが、 二者択一で、正解の写真を間違わなくなるまで繰り返し見せて、覚え込ませた。開始後3年半から5年間の実験での正解率はハトで62〜68%、ヒヒで78〜80%の割合で、一定の記憶が保たれていた。
[ヒヒは5000枚覚えている]
◎ハトは800〜1200枚を覚えるのが限界だが、ヒヒは少なくとも3500〜5000枚覚えている上、なお多数の写真を記憶する可能性が高いとみられる。と研究チームはいう。
[私は鳩よりバカか]
◎鳩は1200枚も写真を記憶するが、私にはとうていそんな能力は発揮できない。では、私は鳩よりバカなのだろうか。皆さんは鳩に勝てる自信はありますか。鳩に勝ててもヒヒには勝てないでしょう。ヒヒがそれを知ったらヒヒッと笑うかも。
[僕の歩く道]
◎話は変わるが、今、毎週火曜日夜10時に、草薙剛主演の、"僕の歩く道"が放送されている。(役の上での)彼も記憶力はすごい。とはいっても、何に対してもそのすごい記憶能力を発揮するのではないと思うが。
[写真的記憶能力]
◎彼の能力は、鳩やヒヒと同じ写真的記憶能力である。それは右脳が担当する。私たちが彼やヒヒほどにその能力を発揮できないのは、私たちが主に左脳で記憶するからである。もちろん左脳だけで記憶するのではなく、左脳が主導して、左脳優位で、記憶するのだが。
[左脳記憶と右脳記憶]
◎左脳記憶と右脳記憶の違いはといえば、右脳記憶は、写真的記憶、つまり、そのまま切り取ってコピーする。そのままの"コピペ"(コピー&ペースト)ですね。それに対して、左脳記憶は、そのままではなく、加工編集した上で記憶する。
[女性も右脳記憶]
◎女性もかなりの人が右脳記憶する。見たもの、食べた物、聞いたものを、ずらずらずらずらと、一時間でも二時間でもしゃべり続けられるのはそのお陰である。そのような女性は写真的記憶、右脳記憶優位である可能性が高い。
[左脳は再現能力も貧弱]
◎それに対して、左脳は記憶能力に関しては極めて貧弱である。だから、二時間半の映画を見ても、その感想を聞かれると、"ウン面白かった"、でちょんである。二時間半の映画が一言で片付けられてしまう。左脳は再現能力も極端に貧弱である。
[左脳の得意分野は]
◎では、左脳は何の役に立っているんだと、いぶかられるかもしれないが、左脳の得意分野は、加工編集である。あるいは分類抽象である。
[忠実に再現し続ける]
◎"僕の歩く道"の主人公、輝明(テル)は、リンゴを2cm幅に切りなさいといわれると、忠実にそれを再現し続ける。また、一続きのつながりを途中でさえぎられると、混乱する。一続きは最後まで終了しなければ落ち着かない。
[左脳は融通が利く]
◎左脳は、その点、融通が利く。融通が利くと言い方は良い方を表現しているのだが、悪くいえば、ずるく振る舞える。適当に扱う、適当に手を抜く、自分に有利な方を選び取る。
[自我の正体]
◎などなどのずるさは左脳が先導するのだ。右脳はあるものをあるがままに受け取り、受け入れる。が、左脳は、加工編集分類抽象する。つまり、自分に有利なものと不利なものとを分類し、自分の都合に合わせて加工編集する。これが自我の正体である。
[左脳優位への告発]
◎"僕の歩く道"は、そのような左脳が主導する、ずるさ、いやらしさ、小賢しさ、屈折した心根を描いてゆく。そのような不正直さ、素直でない心を、無言で、輝明(テル)は周りのものに突きつけてゆく。自らの態度を手本として示すことによって。
[実感とともに気づく]
◎私たちは、それを面と突きつけられると、自分がぐらつく。そして、そのぐらつきに素直に向き合うことによって、自らの不正直さ、素直でない心に本当に実感とともに気がつく。
[心を打ち砕く]
◎言ってみれば、輝明(テル)は、禅の師である。禅は、相手の心の至らなさ、低さに鉄槌を下して、その心を打ち砕く。打ち砕かれた者は、あらたにより高い、より大きな心の建設を始める。これを繰り返す。これが心の成長である。
[頭がいいとは何か]
◎私たちは、彼輝明(テル)を、私たちよりも能力が低い、バカだといえるのだろうか。彼ほどに人の心を作り替えて、高めてゆける能力を持っているのだろうか。頭がいいとか、良くないとかは何をもって判断するのだろうか。
[真っ直ぐな道]
◎彼の歩く道は、正直で、素直の道である。そしてそれは釈迦が説いた、無我の正道(八正道)でもある。とはいえ、ひねくれた心の持ち主である私は、彼が示す真っ直ぐな道は歩けそうもない。逸脱のしっぱなしである。