真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

全国統一の呪縛はいつまで続く

[室町時代]
◎戦国時代に突入する前の、室町時代は、指導権争い、家督相続争いなどで、上層部、支配層がまことに不安定であった。つまり、絶対的優位にある人物の登場がなかった。主導者の日替わりメニュー的時代であった。
[戦国時代]
室町時代の後にやって来た、"戦国時代"は、"明応の政変"(クーデター)によって幕府体制(中央政権)が崩壊した"1493年"に始まった。不安定ながらもまだ形として残っていた構造が瓦解した。そして、この時代は約100年間も続く。
[織田信長]
◎この戦国時代を終焉へと向かわせた、織田信長(1534年〜1582年)は、敵対する勢力すべてを次々に撃ち破り、"本能寺の変"で倒れる1582年までに、日本の中央部を制圧して、実質的に天下統一寸前にまで突き進んだ。
[豊臣秀吉]
◎その跡を継いだ、豊臣秀吉が、(関東独立を目指す)後北条氏を征伐滅亡させて、全国統一への軍事活動が終了した。その年"1590年"をもって、戦国時代の幕は閉じられた。
[惣無事令]
◎戦国時代の幕引きを果たした、豊臣秀吉は、"惣無事令"(大名同士による領土紛争は全て豊臣家が司法的最高処理機関としての役割を担う。この法令に違反する大名には厳しく処分するとの宣言)を発布して日本全土を名目的に統一した。
[司法行政立法の掌握]
◎つまり、司法行政立法のすべてを握ったことを意味する。更には、太閤検地を実施し、身分統制令を発布して、貨幣の統一を完成させる。
[中央集権国家作り]
◎このような諸制度の確立によって、これまで各地方でばらばらであった日本全ての諸制度を一つにまとめた。つまり、あたらしい制度を全国一律に適用させた。これが中央集権国家作りの始まりである。
[独立権力の叩きつぶし]
◎軍事的には、織田信長がほぼ全国統一したといえる。しかし、これは逆に言えば、逆から見れば、織田信長が独立権力を叩きつぶしただけである。どんなことでもそうだが、古いものを壊すときには、必ず大きな抵抗勢力が前に立ちはだかる。
[全国統一的制度の持ち込み]
◎叩きつぶした廃墟に、矢継ぎ早に、全国統一的制度を持ち込んだのは豊臣秀吉である。これほどの制度を次々に打ち出せたところを見ると、彼には優れ者のすばらしい部下がいたのだろう。
[徳川家康]
◎秀吉亡き後、関ヶ原の戦いで、徳川家康は実質天下を取った。さらに、大阪夏の陣で豊臣一族を滅ぼし、日本の実質的支配者として諸大名に承認確認させた。しかし、これは統一したと言うよりも、統一後の主導権争いでの、トップの交代に過ぎない。
[全国支配の安定化]
◎徳川家は、諸大名の勢力を抑制統制して名実ともに全国支配を安定化する目的で、"一国一城令"を発布した。これにより安土桃山時代に3万〜4万もあったといわれる城が約300まで激減した。その結果として、家臣団や領民による、城下町への移住と集住が大きく進んだ。
[武断主義から文治主義へ]
◎そして、徳川家光(江戸時代中期)が死去した後には、幕府は、今までの"武断主義"(軍事力による支配)から、"文治主義"(朱子学などの学問による支配)へと転換を計った。これによって、武力による支配は終焉した。
[主導権争奪戦]
◎戦国時代とは、日本国内にあって、日本という大きな組織の中に一員という意識がまだ生まれる前の、互いに主導権を奪おう、奪われるまいとする、勝つか負けるかの紛争時代であった。
[意識改革]
◎天下統一は、全国が統一され、そこに全国規模の司法行政立法が布陣されて、それぞれの領主は、もはや自分は単なる一地方の支配者に過ぎないと悟る、という意識改革でもあった。
[独立心の火を消した]
◎これは、もはや独立心の火を消し去り、以降、常に目は中央、トップを仰ぎ見るという意識も植え付けた。この中央集権制度は、地方に、完全に独立心という、"自分のことは自分の手で"という、意識を消滅させてしまった。
[中央がどんどんふくらむ]
◎かくまでに、地方(周辺)がどんどん衰え、中央がどんどんふくらんでゆく、という構図がいまだに消えることなく、延々と燃え盛っている。
[地方はやせ細る]
◎しかし、以前(高度成長期)のように、中央は地方にどんどんお金を還流できなくなっている。その結果、地方はますますやせ細ってゆくばかりである。
[再生は権限移譲]
◎地方の再生は、地方に権限移譲して、半独立状態にした上で、地方の独自色を打ち立てる以外にないだろう。
[時代に逆行]
◎しかるに、お金は出さないのに、口だけは盛んに出して、しかも手(権力)も出す首相がいる。中央集権、全国一律を盛んに推し進める首相がいる。これは時代に逆行していると言わざるを得ない。