真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

評価は何のためにするのか

[能力主義成果主義]
◎日本では、能力主義とか、成果主義とかで、評価が大流行である。では、いったい何のために評価するのだろうか。評価することの意味を考えてみたい。
[評価は差を付けるため]
能力主義成果主義の導入には、人それぞれの間に差を付けなければ導入したことの意味がなくなる。つまり、評価は差を付けるためにするのであろう。でも、それで良いのだろうか。
[基準値に対する出来不出来]
◎基準値に対する出来不出来などの評価は、うまく使えば有効だが、使い方を間違うと逆効果になる。とはいっても、ほとんどの事柄でその言葉が当てはまるので、ほとんど何も言っていないに等しいが。
[自律性と関係]
◎評価は、自律性(自主性・能動性・積極性)と関係がある。どう関係があるかといえば、自律性が旺盛な者に、評価を導入すると、逆効果として現れることが多い。何故か。
[評価は行動を縛る]
◎評価には、通常具体的な評価項目(といっても、抽象的言葉も多い)が並べられている。これは、評価を受ける人間の行動を縛る効果がある。あなた方の評価はこれこれについて調べますよとの宣言書でもある。
[どんどん自己展開]
◎自律性が旺盛な者は、どんどん自己展開をして、指示に盛り込まれないものまで、必要とあらば手を伸ばす。自己判断ができる。彼らには、目的・目標を示し、アウトライン(概要)を示せば、取捨選択しながら融通無碍に仕事を進めてゆく。
[評価で縛れば]
◎そういう彼らを評価で縛れば、評価にない項目で貢献しても得点を得られない。そこから、意欲を無くし、仕事に面白味を無くし、無気力化してゆく。特にそれを分からない上司の下では。貴重な人材を根腐れさせてしまう。自立心高き者は、大きな水槽の中を自由に泳がせる方がよいのだ、鯨や鮫やイルカやシャチのように。
[基準を示す]
◎それに対して、自立心が育っていなく、依存的態度が目立つ者に、自由を与えすぎると、怠けたり、自律的な者に依存して、努力せずしんどいことは他人にだっこにおんぶを求める。彼らにははっきりした基準を示さないと、自分でどんどん基準を下げてゆく。
[評価表に従って行動を縛る]
◎このように、依存性の高い者には、評価項目を並べた評価表に従って、行動を縛る必要があるだろう。とはいっても、他方では、彼らを育てて自立心を伸ばしてゆく指導、研修、訓練を与えねば、いつまで経っても、評価表で行動を縛り続けなければならなくなる。単なるお荷物に成り下がる。
[自律性で効果が分かれる]
◎評価の導入は、今まで述べたように、自律性という基準(軸)で、効果が分かれる。つまり、その組織にとって、最も必要な人的資質は、自律性(自主性・能動性・積極性)だといえよう。
[思うままに才能を発揮]
◎例えば、かの有名なグーグル(Google)では、基本方針、"世界中の情報を検索の網にかけて体系付ける(この言葉は正確な表現ではないが)"、を示すが、社員各自はそれに沿って自分の自由(思うまま)に才能を発揮することが期待されている。
[指示を出さない]
◎日本のGoogleでは、村上社長は何も指示を出さない。仕事は各自"好きなことをやる"ということで、上司からの命令はない。個々人に、指示が出されているわけではないという。しかし、グーグルから、続々と新しい便利なソフト、機能が生み出されている。
[超有能な若者が集まる]
◎とはいえ、ここには世界中から超有能な若者がじゃんじゃん湯水のように集まっているのだから、当然といえば当然であるが。最先端の企業は得である。といっても、人が集まるのは自分の能力をうまく生かしてくれる所という期待があるからだろう。人材を腐らせる企業に有能者は来ない。
[ムチは逆効果]
◎ここには、競馬馬に当てられるような、評価というムチは一切ない。彼らはそのようなムチを一切必要としない、逆にムチは全くの逆効果にしかならない。といっても、評価がないわけではない。世の中が評価するのだ。アクセスや利用・使用という形で。
[魔法の粉は期待]
◎心理学などでは、人を意欲的に、自律的に、活動・行動する魔法の粉は、"期待"である。私たちは"期待"に弱い。人を熱くすると、すぐに期待(気体)になって上昇する。これは冗談ですが。
[良い評価を得たい]
◎しかしながら、成長途上者は、他人からの良い評価を得たいと願う。例えば、子ども達が描いた絵がどれほどまずくとも、"何だ下手な絵だな!!"と、真正直に批評しようものなら、子ども達の心は、空気の抜けた風船のようにしぼんでしまう。経験と知識とで固めた自己評価という基準(鋳型)を持たない故に。
[何のために評価する]
◎そして、もう絵は描きたくないと、絵に対する意欲はしなびて捨てられてしまう。評価を下した目的は、それだったのか。そうではないだろう。何のために評価・批評をするのか考えた上で態度に表すべきだ。
[意欲を引き出す評価]
◎必要なことは、次ぎにまた描こうという意欲を引き出す評価を示すことである。"活き活きした絵だね"、"この赤がとても効いているよ"、"この筆づかいが豪快だ!!"とか、そしてその後に、"もう少したくさん色を使えばもっと引き立つかもしれないね"と、次への期待を添えておく。
[相手次第の評価]
◎すると、子ども達は、その言葉をかみしめながら、次の絵の構想を練り始める、目を輝かせながら。つまり、評価をするにしても、相手次第である。自信満々の者には、きつい目の評価によって、自信が自信過剰、自惚れへと発展しないような手綱の引き締めが必要だろう。
[良い刺激剤]
◎自信喪失気味の者には、過大評価ぐらいがちょうど良い刺激剤になる。それが、自信喪失から、"じゃあやってみようかな"の意欲や期待へと変貌してゆく。全く芽の出ない種には、たっぷりと水を与えよう。
[視野の狭い評価]
◎査定に反映させるというためだけの視野の狭い評価では、良い評価を与えられない。次への発展が生まれ出ない。一律の機械的な評価からは失うものが多すぎるのではないか。
[相手に応じた評価]
◎つまり、結論的にいえば、評価の目標は評価をすることにあるのではなく、次の仕事への意欲へと、結びつけてゆくものである。だから、相手を見ながら、相手に応じた、評価を与えることでなければ、本当の評価とはいえないのではないか。