真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

あるコラムを読んで感激

[視点を与えるコラム]
◎私の書いているのも"コラム"(批評的な短い評論)かなと思うのだが、コラムは、他のたいていのものでもそうだろうが、知識・情報と事柄への(特に自分の持っていなかった新しい)ひとつの視点を与えてくれる。そういう目的のためにも、私は他人の書かれるたくさんのコラムを読ませていただく。
[日経さんに感謝]
◎特に"日経"さんは多くのコラムを日々掲載されるのでとても有り難い存在である。さらに日々メール(10通くらい)でさまざまな情報を送っていただいているので本当に助かっている。ぺこり感謝。
[厚労相機械的発想に異議]
◎今日は、そのような日経内のコラムの一つである、"宋文洲"氏による、"傍目八目"、に載った評論から話題を取り上げる。それは、2007年2月1日(木曜日)掲載分の、"厚労相機械的発想に異議あり"、という題(コラム)である。
[子供を産む機械]
◎そのコラムでは、新聞やテレビなどの報道で、国民に広く知れ渡った、柳澤伯夫厚生労働大臣が、女性を"子供を産む機械"だとする発言を取り上げられていた。
[人口減を女性のせいにする]
◎宋氏は、"少子化対策の総責任者の発想というものは、いかに人の心を無視した機械的なものかをあらわにしたと思います。そして言葉こそきちんとしていますが、人口減を女性のせいにするおじさんがいまだにいることも明らかにしました"、と述べておられます。
[中見出し]
◎内容を推察していただくために、中(?)見出しを掲げる。それらは、(1)子供を生まないのは女性の責任か。(2)重圧下の男性は子沢山を望むか。(3)今、明るくない社会は明るい未来を作れない。であった。
[コメントの多さ]
◎今回の私の話題(ブログ)は、氏の評論に対してというよりも、特に注目したいのが、氏のコラムに対する、"コメントの多さ"である。72件も(まだ受付中なのでもっと増えているかもしれない)のコメントが寄せられている。比較のために、同じサイトの別のコラムニスト(複数人)へのコメント数をあげると、どれも一桁である。それを考えれば、氏の今回のコラムに対するコメント数の多さは際だっている。
[年齢性別に片寄りがない]
◎そこで私は、その評論へのすべてのコメントを読ませていただいた。コメント者の性別も年齢も記載されていないので、はっきりしないが、文面から察するに、若い人も、中堅クラスも、高齢者も、男性も女性も混じっている、つまり年齢的にも性別的にも余り片寄りがないように思えた。
[さまざまな論調]
◎次ぎに、コメント内容を要約的に取り上げる。"機械"という言葉尻に囚われるな、話された内容や文脈と切り離すなという発言も、女性を機械に"たとえる"という発想自体が許せないとする人も、言葉"機械"に対してマスコミや野党は"騒ぎすぎ"だという論調などさまざまであった。
[思考回路が時代遅れ]
◎まず、厚労相の発言に対して、私自身の考えを述べたい。たとえ"たとえ"であろうとも、女性に対して"機械"という表現は使うべきではないと思う。そういう発想が自然に出てくること自体が問題(思考回路が時代遅れ)だと考える。特に、発言者が"厚生労働大臣"だというのが情けない。そういう面では特に専門的な知識を持っているべき役職なのだから。
[今日の話題]
◎私の考えを述べたが、しかし、今日の話題は、大臣の発言を批判することが目的ではない。コメントの異常な多さについて感じたことを述べたい。
[何故コメントが多い]
◎何故コメントがこんなにも多いのだろうかと考えてみた。出て来たのが、話題が専門的知識の必要な内容ではなかった、身近な事柄であった、ということが大きいだろうと思う。日頃の自分の体験や感じたことや自分の信条から誰しも発言できうる内容であったということが大きいと感じた。
[内容の身近さ]
◎マスコミが"騒ぎすぎ"るのも、原因(影響力の大きさ、内容の身近さ)がそこにあるからだと考える。自分自身のこととしてとらえうる内容だ、まさに誰しも自身にとって重大な事柄だと感じているからだろう。
[自分の言葉で語れる]
◎それ故に、誰もが体験から信条から、自分の言葉で語れる、発信できる。それが"コメントの異常な多さ"として現れたのだろう。
[さまざまな視点]
◎コメントを読んで、実にさまざまな視点から、発言されているなと感じた。中でも、特に女性の活き活きした生の言葉が鮮烈だった。さまざまな視点は、それぞれの人が今まで経てきた経験・体験が異なるからだろう。異なる経験からは異なる信条・意見が生まれるのは自然である。
[民主主義]
◎それらのコメントを読んで、これが"民主主義"なんだろうなとしみじみ感じた。それぞれの人の歩んだ人生の道が感じられて、みんなの意見にうなずきたくなった。あなたはそう感じたのですかと。それぞれのコメント(と背後に感じられる人生)にいとおしささえ感じた。
[ひとつのコールへ向かう]
◎でも、コメントを読んで、気になったのは、それほどの数ではないが、相手を斬り捨てるような発言が散見することである。民主主義は、さまざまな異なる信条・意見を出し合って、それらを前にして、さてこれらからどのような結論へと導き入れるかと、みんなが知恵を出し合って妥協をし合いながら、ひとつのコールへ向かうことだと思う。
[たくさんのコメントに感激]
◎今回のような場では、それぞれのコメントを読んで、さらに議論を深めるという次の段階がないので、ちと物足りなさはあるが、たくさんのコメントが寄せられたという事実にはとてもすばらしいことだと感激をした。