真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

団塊世代は何を想う

[団塊世代真っ只中]
◎私は団塊の世代真っ只中(58歳)である。でも、"団塊真っ只中"というよりも、"断崖真ん前"にいる世代かもしれないが。私たちは、自分たちの親を断崖から突き落としていったかもしれないという責念の想いもある。
[家庭内天下り先の破壊]
◎私たちの親世代は、いろんな面でわりを食ってきた。それ以前の世代(祖父母)に与えられていた、家庭内での隠居身分(知恵袋)という定年後の天下り先を破壊されてしまったのだから。私たち世代は、老人ホームで淋しい老後を過ごす社会も生み出してしまった。そういう意味では、私たち世代は自分たちの親に対してとても親不孝をしている。
[二つの任務から解放]
◎という慚愧をひとまず脇に置いて、団塊世代は今や二つの任務から解放されつつある。ひとつは(社会的)仕事(家事も含めて)である。もう一つは子育てである。しかし、逆に生き甲斐であった、仕事と子育てとを取り上げられて悲嘆に暮れている方々もいるかもしれない。
[仕事は全体として成功]
◎私個人の振り返りではなく、団塊世代一般として見た場合、仕事の方では全体として成功したように思える。廃墟からの経済復興、もちろんそれらは親世代が必死になった後を引き継いだというべきだろうが。というよりも、親世代のお陰で大人になった頃は楽ができたというべきか。
[富士登山]
◎親世代がエンジンをかけ、ある程度のスピードにまでのせた乗り物を、私たち世代がその後の息の長い経済の成長期から繁栄期を経てバブルの崩壊にまで走らせ続けた。私はそれを富士登山のイメージとダブらせてしまう。頂上で万歳万歳といいながら旗を立てた後、一気に底へと滑り落ちた。
[子育ては成功したと言い難い]
◎他方、子育ては経済におけるほど成功したとは言い難い。20代から30代の世代を送り出したのが団塊世代である。彼らの中からさまざまなゆがみが吹き出してきたように思う。底流を流れていたマグマが火山として吹き出すように。
[自由と平等と個人との尊重]
団塊世代の子育てキーワードは、"自由と平等と個人との尊重"であった。これはそれまで(戦前戦中の教育)の反省から来るものなので、当然の帰結だろうと感じる。特に戦勝国アメリカの輸入思想が日本中を席巻した。この三つの言葉が御旗のように振り回され、あらがいがたい力でのしかかってきた。
[針は揺れ過ぎた]
◎しかし、針は大きく揺れ過ぎた。"自由"と"平等"と"個人"の反対概念(私は対概念だと思うが)、"規律"と"競争"と"集団(組織)"が霞んでしまった。もっと言えば、"規律"と"競争"と"集団(組織)"が悪で、"自由"と"平等"と"個人"が善だととらえていた。
[揺り戻し]
◎その揺り戻しが今来ているのかもしれない。それが今社会的事件として私たちの前に証拠として提出されているのかもしれない。規律もしつけも置き忘れたかもしれない。無競争は意欲の元を断ち切ったかもしれない。集団の無形成がイジメの集団発生を生んだかもしれない。
[遊びが団塊世代の前に]
◎子育てともう一つ、"仕事"の反対概念、"遊び"が団塊世代の前に差し出されようとしている。その前触れが"韓流"であった。一足早く子育てを終えて仕事をする夫をさて置いた、お母さん方は追っかけを始めた、いや、再開した?。それは団塊世代問題を触れ回る太鼓のお囃子のようにも響いた。
[団塊世代の故郷はない]
◎遊びが我々の前に差し出されても、今の日本には、団塊世代の故郷はもうない、特に心の故郷は。今のテレビ番組は団塊世代が見たくなる内容ではない。テレビは若者世代を追いかけ回した。しかし、悲惨にも、テレビは若者世代からひじ鉄を食らった。彼らは完全にケータイに恋している。
[故郷は韓国にあった]
◎そこで団塊世代が見出した故郷は韓国にあった。そこに団塊世代の心の故郷があった。私の妻は、TSUTAYAで一抱えほどの韓流ドラマのDVDを借りてきて、今居間で、お菓子とお茶と犬を横に置いて、もう何時間も居座り続けている。腹を抱えて笑い、ほほに涙を伝わせて見入っている。子ども帰りしたようなほほえましいおばさんとして。
[故郷を求めて]
団塊世代は、"ああ帰って来たんだ"、といえる風景、光景が眼前に見える故郷を求めている。地方(田舎)は団塊世代をターゲットに選ぶべきだ。暇とお金とがあるけれども、帰るべき故郷を無くしてしまった団塊世代に昔の夢をもう一度見させてください。
[人生)を見回してみたい]
◎夢中で走り続けてきた時代(人生)を、ゆっくりともう一度感慨を込めながら見回してみたい。これを書いているときに私の目にうっすら涙がにじんできた。私の心の底にも過去が顔を出したいとうずいている。思いっきり過去を堪能できる場所と時間がほしいと、私の過去が叫んでいる。
[過去の懐かしい日々]
◎もう一度走り続けてきた、道中をゆっくりと振り返ってみたい。あの世に帰る前にもう一度眺めてみたい心の故郷。耳に、眼に、舌に、肌に、触れさせてみたい過去の懐かしい日々を。
[団塊世代復権の時]
◎それぞれの世代が大切にしてきたものが大切に保存されて思い起こせる、再体験できる機会を提供する、社会であってほしい。少し前までは、テレビにも、街にも、店にも、若い世代向けのもので溢れかえっていた。今は、そういう意味では、団塊世代復権の時なのかもしれない。
[さまざまな世代に光が当てられる社会]
◎というよりも、さまざまな世代に光が当てられる社会であるべきなのだろう。虐待やイジメや自殺などで、幼い世代に暗い影が差しているのだから。それらは、"もっと光を"、という叫びかもしれない。