真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

等身大の自尊心に引き戻す

[男の勘違い女のすれ違い]
◎私は次のコラム("日経ビジネスオンライン"内)を、とても参考になるので、しばしば読ませて頂いている。"男の勘違い女のすれ違い"
[ユニークな視点で解説]
◎このコラムについて、サイトは、次のような紹介文を載せている。"時事問題を独自の視点で切り込むタレントでエッセイストの遙洋子氏が、男と女が食い違うワケをユニークな視点で解説していく"。
[面白く楽しく勉強]
◎遙(ハルカ)洋子氏のコラム(エッセイ)を読むと、やはり女性の視点だなといつも感じ入る。私にはとてもその角度からは見えてこない。いや、もともとそういう視点を持っていない。だからこそ、面白く、楽しく勉強させてもらえる。新しい発見が期待できる。楽しみなコラムである。
[初めての女性コラムニスト]
◎私の興味のある分野では、女性コラムニスト(エッセイスト)の記事に出会えない。たぶん、今回が初めての出会いではないかと思う。私は女性が活躍していると拍手を送りたくなる、頑張れと声をかけたくなる。でも、もしかすれば、これは私の内部の男尊女卑から来るのかもしれないが。
[三人の娘への願い]
◎でも、私としては、これは、自分に三人の娘がいて、それぞれが社会に出て活躍してほしいと願っている気持ちの表れだと理解するのだが。私は三人ともに技術を身につけたプロの職業人として仕事をしてほしいと期待する。
[女性ばかりの利点]
◎今日書くのは、遙氏によるそのコラムの最新記事を読んでのものである。その出だし部分にこうある。彼女は、テレビ番組で、社長から社員まで皆、女性ばかりという、メキメキ業績アップの企業の、"女性ばかり"の利点を聞いたという。
[女だけだと早い]
◎それに対する社長の返事を遙氏は紹介する。


"女だけだと話が早い。動きも早い。結果仕事も早い"とこともなげに答えた。男性が混ざると"ああでもない"、"いやそれは"とやたら会議が長引く。
[気高い俺が邪魔]
◎遙氏自身も経験したことを紹介している。

男性上司が"俺は聞いていない"と機嫌を損ねた途端、多くの議論はこう着した。会議には"気高い俺"がいつも邪魔だった記憶がある。
[持ち込まれる感情]
◎邪魔な"気高い俺"とは、会議の中身とは関係のない、持ち込まれる感情(自尊心、自惚れ、嫉妬心など)だろう。大前研一氏も、日本の会議では、"論理的に話を進めずに、感情が入り込む"という。国会論議を見ても分かるが、日本の国会は論理的話し合いの場ではない。まだ、日本人は議論を知らないのだろう。
[第三者達には迷惑千万]
◎"俺は聞いていない"とストップをかける当事者には大切な要素なのだろうが、出席者内の第三者達には迷惑千万な事態である。"早く話を進めてほしい"とイライラする。私もこの事態には何回も出会した経験がある。進行係の技量が問われる。
[尊大化した自尊心]
◎等身大の自尊心は是非とも必要であるが、尊大化した自尊心("気高い俺")は、周りにはぷんぷん臭う、鼻をつまみたくなるほどの臭さがある。本人は自分を大きく見せたいからの無意識裏の行為なのだろうが、器に比べて中身の少なさが逆に強調されてしまって無様である。それが本人には見えていないのだろうけれども。
[自信が過信に]
◎出来る(と本人は思い込んでいる)人間はどうしても自尊心が尊大化する。あるいは、今まで大きな挫折をした経験がなければ、自尊心(自我と言い換えてもいい)は等身大より大きいのが普通である。自信がある人間はそれが過信に育つ。
[大きな挫折を体験]
◎それが何回も何回も挫折し叩かれて等身大の自尊心に引き戻される。能力があってしかも謙虚な人、腰が低い人は苦労人といわれるが、これはやはり(自我がへし折られる)挫折を何度もくぐり抜けたから身についたものだろう。どんな英雄物語でも、主人公は必ず大きな挫折を体験し、それに悩みやがて立ち上がる。
[人生の三段階]
◎以前このブログで、"人生の三段階を上昇する"という記事を書いた。そこで、"自我が確立"(第一段階)した後成熟(第二段階)へと向かい、さらにその後"自我を抜け出して更なる飛躍を果たす"時代(第三段階)を生きると述べた。
[自尊心を脱ぎ捨てる]
◎蛾(自我)は、地を這う毛虫(地我時代)からさなぎ(大きな挫折)を経由して、空を自由に舞う蛾(無我)に変身する。尊大化した自尊心を脱ぎ捨て、等身大となった自尊心は融通無碍に振る舞える。そこには"俺は聞いていない"とわめく"気高い俺"はさなぎの時期に溶解してしまっている。
[周りがよく見える統率者]
◎ここまで来ると、すりこ木を持った部下しか周りに寄りつかない、鼻つまみの上司から、周囲をまとめて大きな統合をなしえる統率者といえる。というのは、謙虚な、腰が低いというのは周りがよく見えて、周りの支えがあるから自分が成り立つと知っているからである。