真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

人生はやり直しがきくか?

[本の題名で買う]
◎トイレに入ると、見かけない本が見えた。妻は本を衝動買いする。題名に引っ張られて、心動かされ思わず買ってしまう。やはり見た目が9割か?。そして、数ページ読んで放り出してしまう。そんな本が家の中にごろごろ転がっている。私も以前には本の題名で買って、後で、悔しさに泣きながら"時間と本代返せ"と叫んだことが何度あったことか。
[違和感がよぎった]
◎何気なく取り上げて、表紙を見た。そこには、"人生は100回でもやり直しがきく"(by"アレクサンドラ・ストッダード"from"PHP"/副題"幸せの道の選び方")とあった。その時、"うん?"と違和感が胸をかすかによぎった。また、本の題名にうさんくささも感じた。
[リセットする]
◎"人生をやり直す"とはどういうことだろうか。パソコンにするように、リセットする(初期状態に戻す)ことだろうか。パソコンは操作する毎に変化が付け加えられるが、それらを無かったこと(リセット)にすることだろうか。何とも疑問が消えない。
[幸せの道の選び方]
◎そこで、私はその本の見出し(35ほどの中見出しと120ほどの小見出し/外国の本には多い形式)だけを飛ばし読みをした(中身を読む勇気はなかった)だけだったが、そこから持った印象が、"人生をやり直す"とは、今進んでいる道とは"違う道へと舵を切る"ことだ。副題"幸せの道の選び方"とあるように。
[人生はリセット出来ない]
◎私の考えでは、人生は、パソコンにするようなリセットは出来ない。ただ出来るのは、区切り(けり、"蹴り"ではない)をつけて新しい道へと進み出すことだ、岐路を新たに創り出して。その本ではそれを"人生をやり直す"といっているのだろう。
[過去を削除出来ない]
◎人生には、過去のすべてが刻み込まれて、それらを削除することは出来ない。ただ出来るのは、過去を忘たり、忘れたふりをすることだけだ。人生に後戻りはない。それ故に、映画などでは過去へと戻ってやり直すというストーリーが魅力的に映る。私も若い時代に戻れたらと、どれほど願っただろうか。そうなれば、こんな惨めな人生を今頃は歩んでいなかったのにと。
[人生は前に進むのみ]
◎リセットには進んだ分の削除を含む。だから、削除機能を持たない"人生"をやり直すというのは意味的にはおかしい。人生は前にしか進めない。それ故に、自殺他殺は行為者にとっては人生の削除なのだろう。
[無駄な人生も無意味な時間もない]
◎私は、失敗の人生も無駄な人生も無意味な時間もない、と強く主張する。私の失敗の経験からして!!??。ただ、過去の出来事を、失敗、無駄、無意味にするのは私たちの態度次第である。過去のすべてものは現在において、あるいは未来において生かされるならば、有効に利用されるならば、それは失敗でも、無駄でも、無意味でもなかったことになる。それが例え人の死であっても。
[育てる肥やし]
◎それらは今の私たちを育てた肥やしである。過去があったからこそ今がある。人生での成功は、過去を今に未来にどれほど生かせてこれたかにかかっている。失敗、無駄、無意味があったのではなく、それらを今に未来に生かそうとしないで、結果的に、失敗、無駄、無意味にするのは私たちなのである。
[過去を振り返る時間]
◎過去を今や未来に生かすために、過去を振り返る時間がどうしても必要である。一人でぼけーっとする空白の時間が是非とも必要である。過去の時間を今に生き返らせる作業がどうしても必要である。しかし、私たちは忙しすぎる。いや自分を忙しい状態に追い込んでいる。
[空白時間を恐怖]
◎かなり多くの人々が、忙しくない自分が怖いのである。以前私はこのブログで、"空白の恐怖""空白の恐怖から無の恐怖へ"を書いた。私たちは何もない空白や何もしない空白時間を恐怖する。それを逃れるために依存症を引き起こす。ある人は酒(避け)に、別の人はパチンコに、ある人は衝動買いに、走る。最近はケータイ依存症の人も増えたようである。
[過去の蘇りが怖い]
◎何故空白を恐怖するのか。自分に自信のない人は、自分の過去が自分を脅かすとの無意識的恐怖を抱く。過去の蘇りが怖いのだ。心を時間を空白にすると、過去が甦ってくる。闇の向こうに映し出される哀れな自分の姿におびえる。
[瞑想や座禅]
◎宗教では、過去を振り返る時間を、瞑想や座禅という形で確保してきた。瞑想・座禅は、見据えることによって、さまざまなものを、深く広く強くさせる。あなたの視野を、あなたの知識階層を、あなたの心を、あなたの洞察力を、あなたの他人への思いやりを、あなたの夢を、あなたの意志を。
[挫折は進行にストップを]
◎挫折は、進行にストップをかける。挫折は進むことを挫折させる。これは人に過去を振り返る時間をプレゼントする。挫折は神から仏から天からの贈り物である。挫折は太い一本道(例えばエリートコース)を分岐させるだろう。分岐した道は細い道かもしれないが、花が咲き乱れる桃源郷かもしれない。
[挫折や成功は心の中に]
◎浦島太郎のように、竜宮城に案内されて、乙姫さんや魚たちの踊りなどで楽しい一時を過ごせるかもしれない。私たちは何をもって挫折というのだろうか。私たちは何をもって成功というのだろうか。挫折や成功は私たちの心の中にしかない。挫折だと思えば挫折であり、成功だと思えば成功である。
[人生をやり直す必要はない]
◎あの本が薦めるように、人生をやり直す必要はさらさらない。紆余曲折(挫折の連続)の人生こそが、充実した人生ではないだろうか。逆に太い一本道を歩んでいって、乙姫さんからは声をかけられなかった寂しさを、高級ホステスさんに癒してもらっているのではないだろうか。
[人生に成功も失敗もない]
◎"人生はやり直しがきく"ことへの違和感は、この言葉に、人生には成功者と失敗者とがいることを暗に示しているのではないかという奇妙感であった。人生に成功も失敗もなく、ただあるのは、それぞれの個性的な人生だけだという思いである。小泉さん、"人生いろいろ"ですよね。