真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

失敗とは何か

[人生に失敗はつきもの]
◎人生に失敗はつきものである。失敗をして、たとえば、入学試験に、就職に失敗してがっくりと、意欲をなくしてしまった。私もすぐに意欲をなくしてしまう性質なのだが。それで今日は失敗について考えてみたい。記事完成に失敗しなければいいのだが。
[試行錯誤]
◎失敗とは、もはやそれに対して、先へ進むことを完全にあきらめたことを意味する。だから、それでもなおかつ先へ進む意志があるならば、それは単なる試行錯誤でしかない。失敗のない試行錯誤は存在し得ない。
[目的と手段の取り違え]
◎ たとえば、大学入学試験で志望校を不合格して、他の大学に入れば、失敗とはいえない。志望大学合格だけが最終目的ならば、志望校不合格は失敗だといえる。が、最終目的は学問・研究であろう。入学だけ、入学通知を受け取ることだけが終着点ではないだろう。もしそうならば、目的と手段の取り違えである。
[試行錯誤は歩み]
◎ 試行錯誤は、歩みのようなものである。歩みは、右足を出したら、次には左足を出す。それの繰り返しによって、前へと進んでゆく。ここで右足を成功、左足を失敗(不成功)と名付けると、歩みは小さな成功と、小さな失敗(不成功)の繰り返しで成り立つ。成功も必要だが、失敗も同時に必要なのだ。
[失敗は一つの前進]
◎ 実験など(化学実験に限らない)では、失敗(不成功)は一つの前進である。というのは、未知が一つ消えたのだから。未知を一つ一つつぶしてゆくことによって、成功への未知が道となる。未知が既知となることによって、道(法則)が形成されてゆく。いったん形成された道は、誰もが不安なく通れる道となる。
追記)私は実験において 失敗など一度たりともしていない。この方法ではうまく行かないということを発見してきたのだ。byトーマス・エジソン
[挑戦の証]
◎それ故に、失敗(不成功)は、新しいことに挑戦している証であり、勲章を意味する言葉ですらある。他人が不安なく歩ける道作りに挑戦していることの証である。
[負け宣言]
◎ 先ほども述べたように、失敗とは、先へ進むことをあきらめて、完全に停止した時点で告げられる負け宣言である。だから、停止しない失敗は、不成功である。単に、成功しなかっただけだ。成功への道を途上しているだけを意味する言葉である、ただ成功へと行き着いていないことを。
[挑戦心が乏しい]
◎それを逆から見れば、不成功(失敗)が少ないのは、未知への挑戦心が乏しいことを意味するかもしれない。未知は試行錯誤でしか前へは進めないのだから。前に道はない、後に道はできる。
[『高村光太郎』−詩『道程』からの引用]
◎僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄を僕に充たせよ/この遠い道程のため/この遠い道程のため
[成功しました]
◎ さらに、失敗の逆で、"成功しました"は、もはやこれ以上先へ進む意志がありませんとの行動停止宣言でもある。成功とは、失敗がなくなったことであり、もはや前へは進めないことの勝利宣言でもある。あるいはお手上げ宣言でもある。進むことをやめたとは、衰退を始めたということである、常に変化が起こっている世界にあっては。
[停止宣言]
◎こう書いてくると、失敗も成功も、もはや先へは進みませんの停止宣言といえる。先ほど述べたように、歩みには、右足と左足が必要なのだから。二人三脚である。車の両輪である。失敗も成功も歩みを止めたとの宣言である。
[ものごとは途中経過]
◎これは何を意味するかといえば、あらゆるものごとは、途中経過でしかないということである。停止をしない限り、あらゆる事柄は、途中経過である。切れ目のない一本つながりである。果てしない電車の線路である。失敗と成功という二本の線路である。
[部分を切り取り]
◎しかし、何かを表現しようとすれば、始まりも終わりもない事柄に対して、そこからある部分を切り取らなければならない。言葉は新聞から一つの記事をスクラップするようなものである。あたかも、大きなケーキをいくつにも切り分けるように。その内の一切れが言葉である。
[個人個人で皆違う]
◎ だから、どう切り取るかは恣意的なものである。人それぞれ違っている。それ故に、言葉が示す範囲は個人個人で皆違ってくる。食い違い、すれ違いはそれぞれが使う言葉の示す範囲が異なるからである。同じ言葉は同じ意味、範囲を表すという思い込みが食い違い、すれ違いを生み出す。