真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

下流社会の誕生

[総国民中流意識を持っていた日本]
◎日本では、バブル期(昭和後期〜平成初期)には、総国民中流意識を持つといわれていた。所が、最近は、階級社会、下流層の誕生などが発言されている。その発生原因は、小泉内閣による構造改革の進展だともいう。
[構造改革は競争原理主体]
◎部分的には正解なのだろう。構造改革は、密室を開放して、流動性、自由の風を大いに取り入れようという趣旨である。つまり、実力主義、がんばった者がたくさん取れる、競争原理主体なのだから。今までは、どちらかいうと、協力、強調、平等に力点が置かれていた。
[下流階層は負け犬集団なのだろうか]
◎気になるのは、下流層が、経済面(経済的視点)でしか評価・判断されていないことである。もっとも、所得格差によって階層を分けるのはうなずける。テレビなどでは、セレブがもてはやされているが、下流階層は負け犬集団なのだろうか。
[親と同居する寄生的独身者が激増]
◎事実、10万円台の収入で、結婚もままならず、親と同居する寄生的独身者(パラサイトシングル)が激増しているようだ。この傾向はアメリカでも起こっているとの報道もある。規制の緩和によって、寄生が増加するのも皮肉なものであるが。
[下流層形成は永続的なものなのか一時的か]
◎この傾向は永続的なものなのか、不景気時に一時的に発生したものなのだろうか。あるいは、下流層の形成は事実としても、それが仕方なしに形成されたものなのか、自らの意志で下流層に留まっているものなのかの識別が必要だろう。
[路地裏長屋暮らし]
◎日本が高度成長路線を邁進するまでは、路地裏長屋で貧しいながらも、楽しく、その日その日を生き生きと暮らすという江戸庶民的な暮らしが続いていた。もしかすれば、この時代への里帰りともいえなくはない。
[日々の暮らしが立ちゆくだけでよいと考えるフリーター]
ニート、フリーター、オタク。彼らはある意味で、経済活動を第一義的なものとはしていないのではないだろうか。とにかく生きて日々の暮らしが立ちゆき、他の活動に回す少々の余裕があればよいと考える人々もかなりいる。
[のんびり生活でよい]
◎私の周りにも、そのような人々がかなりの数に達している。彼らの話を聞いていても、収入は多いに超したことはないが、あくせくと働いてまで収入を増やしたいとは思わないと、彼らはいう。のんびり生活ができればそれでよいと答える。つまり、競争から抜け出た、離脱した人々かもしれない。
[人生上の活動はさまざまある]
◎人生上の活動は、経済活動、文化活動、政治活動などなどがある。その内で、経済活動、お金儲けだけに生きるのは余りにも寂しい。とはいえ、それは単に私の感想に過ぎないかもしれないが。
[経済活動をよりよいものにするための余暇活動だった]
◎経済活動だけではなく、それ以外の活動に人生をかける。しかし、それが余暇活動と以前には呼ばれていた。経済活動をよりよいものにするための余暇活動(だから余暇、余った暇と呼ばれた)という意識である。
[経済活動に力点を置かない故の下流層か]
◎私には、ニート、フリーター、オタクなどは、すべてはいわないが、新しい意識層がかなり、少なくともある程度存在するのではないかと思う。経済活動よりも上に個性的活動(文化活動、精神活動)を据える。経済活動に力点を置かない故の下流層なのではないだろうか。新しい意識を持った人々の階層。
[現代日本は文化を創造することに重点が移っている]
現代日本はもはや、もの自体を作ることが主流ではなく、文化を創造することに重点が移っている。さまざまな日本の文化が海外に進出し、受け入れられている。
[文化発信]
◎文化創造は個々人の中で文化を発信するという形で現れている。ブログやSNSなどは無償の文化発信である。それが経済に結びつくかどうかである。結びつくかどうかが運次第であるが、目的ではない。
[研究調査すべき]
社会学者はその辺を真剣に研究調査すべきなのではないだろうか。社会的には、厄介者、お荷物的に見なされる傾向もある。親や社会は彼らを好意的に見ているとは思えない。その辺を明らかにしてほしい。