真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

中高年の逆襲

[中高年世代、団塊の世代]
◎私も60歳に近づいた中高年世代である。俗にいう"団塊の世代"の真っ只中にいる。気になっていたことがある。それは、テレビ放送で見たい番組がほとんどなかったということだ。番組は若者向けが多く、テレビはなんぼほどつまらない番組を作り続けるのだろうかとため息のつき通しでした。その場限りの世間話番組があまりにも多い。これは小金持ちの若者を意識した作りなのだろうが。友達どおしのたわいのない話題提供には一役買うかもしれないが。
[韓国ドラマは中高年世代が求めた解答]
◎だから、韓国ドラマ、韓流ブーム、昔のドラマの再放送など、韓国ドラマ、韓流ブームは中高年世代が求め続けていたものの解答なのだ。私の妻もテレビやDVDで今でも韓国ドラマにはまって出てこない。それらがテレビや報道で大きく取り上げられるのは、中高年世代が社会に対して反旗を翻した証でもあろう。
[テレビよ、目を覚ませ]
◎あるいは、これが高齢化社会の先鳥(先取り)。明日を告げる先鳥かもしれない。本当に、それまでは余りにも若者中心にスポットライトが当たった時代であった。これは、まさに、テレビは時代を映す鏡である。私は、テレビから卒業して、今では、ネットに完全に取り込まれてしまっている。ネット中毒になりそうな気配である。テレビは週に数時間であるが、ネットは日に数時間の割合である。テレビよ、目を覚ませ。
[中高年世代が時代の中心に躍り出た]
◎ しかししかしである、今やっと、中高年世代が時代の中心に躍り出たのだ。退職金をというえさがぶら下がっているからなのだろうが、大きな消費者集団、最大のマーケットにも成り得る世代でもある。企業や売り手はようやく暇とお金を手にし始めた、団塊の世代に目を向け変えた。
[熟年に焦点が]
◎その結果だろうか、テレビでも熟年、熟年離婚という言葉が頻繁に登場するようにもなった。熟年の人生に焦点を当てたドラマが成功を収めてもいる。ネット世界でも同様にセカンドライフがさまざま取り上げられている。
[ライブドアでもホリエモンから60歳の社長へと転換]
◎おもしろいことに、一時期話題をさらった、ライブドアでも、若者世代のホリエモンが表舞台から無理矢理引きずり下ろされ、その後釜に、エッ、そんな人もいたの、とあっと驚く、60歳の中高年世代の社長が誕生した。これも時代の転換を象徴しているのかもしれない。事実は小説よりも奇なりである。
[中高年世代は何を社会に向けて発信してゆくのだろうか]
◎ 退職した中高年世代、女性は仕事から子育てから解放され、男性は職場から放り出された後で、何を社会に向けて発信してゆくのだろうか。私は、今ブログを開設している。このブログでは社会での出来事を中心にして、今までに貯め込んだ知識と経験を下にして、自分の感想、意見の吐露を目指している。
[中高年世代は世間へ還元、発信、表現してほしい]
◎中高年世代は、今まで、職場で、家庭で、社会で、地域で、旅行で、趣味で身につけた、体験したものを、世間へ還元、発信、表現していただきたいものである。これが社会をより豊かで、多様な発展を生み出す原動力ともなり得よう。若者へのエールともなり得よう。先達の智慧ともなり得よう。
[後輩に返しなさい]
◎ 私は若い頃、すばらしい先輩方に巡り会えた幸運の持ち主である。その内の一人から言われた言葉が、今も私の心に強く残っている、それが私の行動を動機づけている。それは、"私が君にしたことのお返しは、私にするのではなく、君の後輩に返しなさい"であった。いつも何かにつけて、心遣いをしていただいたことに対して、申し訳なさに何か返すことはないかと問うたときの答えだった。これは水が上から下へと流れ続けるのにたとえられるだろう。
[受けた恩を返す]
◎ 中高年の課題は、社会へ、後輩へ、若き頃に受けた恩を返してゆくことだと思う。その返し方は、人さまざまであろう。ボランティア活動、社会奉仕という形もあるし、後輩の育成、子供たちへの経験、体験、知識の伝達ということもあるだろう。もちろん、お金を使うことで、社会に還元することだってあり得る。暇な時間を体験や創作をすることによって、社会還元するという形もある。
[中高年世代に生き生きと活動する場を与えよ]
◎しかし、そのような具体的な活動を意識しないと、つまり、主体的に取り組まないと、社会から、社会の中に還元の場は与えられないかもしれない。はっきりした根拠があるわけではないが、さまざまな高齢者を見てきて感じるのは、認知症は、自らを生かす場を持たない者が退却する避難場所であり、それは社会への非難の表明でもあるといえるのではないか。昭和時代までは体制的に持っていた場を崩壊された恨みの表明。
[積極的に探す努力も必要]
◎個人が積極的に探す努力も必要であるが、我々世代はそのような社会体制を持たない、経験していない。社会は、政治は、一線を退いた中高年世代に生き生きと活動する場を与えられるのだろうか。そのような仕組みを社会の中に組み込んでゆけるのだろうか。もしそうでないならば、大量の認知症患者の集団発生が今後も大挙して待ち受けるだろう。
[場を開拓、発掘してゆく努力をしよう]
◎ とはいえ、もっとも必要なことは、中高年世代が自らそのような場を開拓、発掘してゆく努力である。次世代のためにも。ただ与えられるのを玄関で待ちわびるのはなくて。発掘すれば、社会にはまだまだ山ほどの活躍の場が見い出されるはずである。ブログはそういう点ではすばらしい道具であり、手段である。ネット世界にご招待申し上げる。