真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

宗教と表現の自由

[キリスト教世界とイスラム教世界との大紛争]
◎少し前になるが、イスラム教(特にイスラム教開祖、ムハンマド)を風刺するマンガが巻き起こした思想紛争は、宗教戦争を思わせるような様相を帯びていた。今はもう下火になっているが。一時は、キリスト教世界とイスラム教世界との大紛争に発展するかも思えるほどだった。
[たどってきた歴史の違い]
◎その紛争が、あそこまで大きく発展した中心的な原因は、それぞれの世界がたどってきた歴史の違いから来るのだろう。そこで、ヨーロッパの歴史を簡単に振り返りたい。
[キリスト教を中心に展開]
◎ヨーロッパの2000年は、キリスト教を中心に展開してきた。キリストの誕生に始まり、キリスト教の苦難を経て、国家から受け入れられて以降は、大発展の時代を迎えた。その後、キリスト教が庶民の生活全般を取り仕切る中世という停滞の時代に入った。
[宗教対自由が対立する構図]
◎それを突破するルネサンス(これは反キリスト教的運動ともいえる)が生まれた。それ故に、ヨーロッパでは、(生活全般を取り仕切る)宗教(倫理と言い換えることもできよう)対(個性の尊重という)自由が対立する構図が存在した。その後の歴史は、自由が発展・躍進する時代ともいえる。そして今もその続きを歩んでいる。
[個性の尊重と、自由と、民主主義が重要な課題]
◎それで、ヨーロッパ世界には、宗教に対立するという面を持つ、「個性の尊重と自由と民主主義」が重要な課題として長い間存在する。それ故に、ヨーロッパの宗教面での歴史から来る、表現の自由は大きな意味を持つ。
[生活の底流には宗教]
◎話は少しそれるが、ヨーロッパの歴史に対して、日本の宗教面での歴史は、仏教はキリスト教ほどには生活全般を取り仕切るというまでの浸透はなかったといえる。生活の底流には宗教(神道と仏教と)が今でも深く流れているが。
[相手の名誉を傷つければ、名誉きそん]
◎ 私はイスラム世界については、余りにも無知であるのでその歴史をいうことはできない。しかし、イスラム世界ではヨーロッパの中世のように、宗教が強く民衆の生活を取り仕切っているように見える。しかし、徐々に徐々にではあるが、イスラム世界にも自由が染み渡って行きつつあるようにも思える。
[個性尊重ならば]
◎ヨーロッパが、個性尊重ならば、それぞれの国の個性的な歴史も尊重されねばならないだろう。相手の名誉を傷つければ、名誉きそんともいえる。それ故に、表現の自由もすべてに優先される価値ともいえないだろう。自分の基準で動くか、相手の基準で動くか。どちらか一方だけではやはりまずい。
[自由は自己責任・自己抑制を必要とする]
◎自由は自己責任・自己抑制がうまく機能して初めて互いに使い合えるものであろう。それらが取れないならば単なる"わがまま"に堕落する。報道面でのパパラッチ(ゴシップ写真家)がそうであるように。日本においても、西洋においても、自由が優先しすぎかもしれない。
[何事も良い面の裏に悪い面を隠し持っている]
◎心理学に"山嵐ジレンマ"という言葉がある。(とげ状の長い毛で自分の身を守る)ヤマアラシをご存じだろう。彼らが持っている自分の身を守る長いとげは、寒い夜に互いを暖め合うには邪魔になる存在である。このように何事も良い面の裏に悪い面を隠し持っている矛盾的自己同一的存在である。その一面にしか目が行かないのは視野狭さくである。
[付かず離れず]
ヤマアラシどうしは、近づきすぎると互いを傷つけ、離れ過ぎると互いを暖めあうことができない。彼らは近づきすぎず、離れ過ぎずの、ほどよい距離を、何度も試行錯誤を重ねながら、見つけ出したそうである。
[競争と同時に共存も視野に入れる]
◎私としては自由(個性)をすごく大切にしたい。しかしながら、個性尊重を望むならば、相手の個性を尊重するために、競争(自由)と同時に共存(自己抑制)も視野に入れるべきだ。お互い様ですよ、といえるように。
[重ね合わせの二つの円]
◎二つの円を一部分重ね合わせると、互いは自分専有の面積は減るが、自分の持たない相手の面積を使わせてもらえる。これも"山嵐ジレンマ"であろう。