真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

絶対から相対へ

[愚痴をこぼす]
◎先日、私の娘が、夕食後、"人によって教えてくれる内容が違う。どれが本当なんだ"、と怒りと嘆きを交えて、私に愚痴をこぼした。
[見習いの身]
◎その娘は、今年(2007)の春(4/1)から、ホテルの厨房で調理の仕事に就いた。まだ、一ヶ月半の見習いの身である。専門学校に一年通ったとはいえ、一年ほどで、大して実力がつくような甘い世界ではないだろう、料理の世界は。
[人によって、やり方・作りが違う]
◎聞けば、言いつけられて、料理を作っていると、"それは違う、こういうやり方をするんだ"、と、しかられる。しかられるのは仕方がないとしても、"同じものを作っていても、人によって、やり方・作り方が違うので、どれが本当かわからない"、という。つまり、同じ料理なのに、人によって違うという。
[個性に本当も嘘もない]
◎その時、私が言ったのは、"どれが本当かということではないだろう。長い経験を持つ、それぞれの調理人は、すでに自分のスタイル、型を持っている。それは個性である"。"個性に本当も嘘もない"。
[個性の違い]
◎だから、今の間は、それぞれの調理人が教える内容、方法が違っても、それは個性の違いだから仕方がないと思うしかないだろう。
[我慢するしかない]
◎やがて自分も一人前になったら、自分なりの調理の方法や内容は、個性として、認めてもらえるだろうから、自分一人で料理を作れるようになるまでは我慢するしかないだろうと、説明した。
[絶対と相対と]
◎わたしは、これを、絶対と相対ということで解釈するとわかりやすいと思う。
[個性によって文化はいろどり鮮やか]
◎絶対とは"これ以外にはない"という"唯一絶対"のことである。 それに対して、相対は、これもあれもありで、それらすべてが個性として、十人十色として許容される。そして、個性が豊かで数多くあればあればあるほど、その文化はいろどり鮮やかになる。
[絶対から入る方がよい]
◎とはいっても、はじめに教えられる場合には、つまり基本を身につけるという段階であれば、これもあれもありの相対から入るのではなく、絶対から入る方が教えを受ける方にはよいだろう。つまり、一本のつながりを持ったまとまった体系が出来上がるので。柔軟性はないが、基本ががっちりした構造になる。
[統一されている方がぶれがない]
◎それに対して、一つの事柄にいくつもの方法があれば、どれがよいのかとの迷いがあるし、本人には、まだそれらを取捨選択する能力、実力が備わっていないのだから、雑多な不統一な知識や技術になってしまう。それ故に、一つに統一されている方がぶれがなくて良い。
[臨機応変、当意即妙、融通無碍]
◎ しかし、いつまでも、それ一つの方法しかない、知らない、できない、使えない、というのも困りものであろう。いずれは、さまざまな方法を試して、それらをうまく自分のものに取り入れて、自分独自の型を形成しなければならないからだ。そこまで行くべきだと思うし、是非ともそこまで行ってほしい。それによって、臨機応変な、当意即妙な、融通無碍な対応ができるようになる。つまり、幅ができる。
[親を基準に]
◎これは、子供の成長でも当てはまる。はじめは、親が絶対である。親がすべてである。親の言うこと、することを自分のものとして取り入れる。親の言うことしか、親のやることしか知らない。だから、親を過剰に尊敬する幼子たちは、えてして、他人の行動や物言いを批判する、親を基準にして。
[親に背を向ける]
◎しかし、どの親も不完全である。いずれ子供はそれに思い至る。他の親や先生や、先輩などを見ることによって、親しく接することによって。これは子供にとって、全くのショックである。空が崩れてしまうほどの挫折かもしれない。しかし、これによって、180度の反転を経験する。親に顔を向けていたのが、親に背を向けるようになる。
[是非とも必要な挫折]
◎ここから本当の、子供の親離れが始まる。これは致し方ないことであり、必要なことでもある。そこから心の放浪が始まる。真の先輩を求めて。かわいい子には旅をさせよ。新しい大きなものを取り入れるためには是非とも必要な体験・挫折である。