真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ウェブ進化論"を読んで

[宇宙原理があなたの中を貫流する]
◎余談ですが、私も、宇宙全体を覆い尽くす進化原理(宇宙原理)を述べた本(宇宙はこういう原理で動く)を、電子出版しました。よかったら読んで下さい、平服で平伏、ぺこりぺこり。
[ウェブ進化論を読んで]
◎[ウェブ進化論を読んで]という題だが、これはそれに対する要約でも紹介でもない。この本に触発されて私自身が感じたこと、思ったことを述べたい。
[ネット民主主義とは]
◎その本の中で一番興味引かれたことは、[ネット民主主義]ということである。ネット民主主義とは、ネットが生み出す民主主義を意味する。ネット(バーチャル仮想世界)外の現実世界で作り出される民主主義に対応する。
[放送と通信の融合]
◎昨日(2006/3/21)、NHKでそのようなテーマをも含めて[放送と通信の融合]に関する討論があった。なお、放送は電波を使用し、通信は(主に有線による)回線を利用する。その両者間の垣根が取り払われていきつつあるという。
[電波と通信]
◎電波は、人体で例えれば、内分泌(ホルモン)のような存在であり、通信は神経系のような働きをする。ホルモンには分泌器官や種類が特定・限定されているが、神経は(主に)電気一本槍である。また神経は正反する作用・機能が両輪の如く備わっていることが多い。
[組織を必要とする電波と要求しない通信]
◎電波は巨大組織(放送局:現実には小規模な地方局も存在するが)が一方的に流すが、通信は一対一(P2P)にも働くが、一対多(ポータルサイトなど)という仕事もこなす。
[民主主義とは]
◎民主主義とは、個が大切にされる思想である。電波は極めて大ざっぱにしか相手(受け手・受信者)の気持ち・意志をくみ取れない。テレビ世界では現状はどちらかといえば、スポンサーの意向が優先されているように見える。
[通信は個性を持つ個人に合った対応も可能]
◎それに対して、通信(ネット)は個性を持つ一人一人に合った対応も可能である。それが広告を打つ側にも魅力となっている。ターゲット(目的とする相手)がより鮮明になるからだ。網を打つか一本釣りかの違いであろう。
[ネットなら明日にでも放送が可能]
◎また、お金を持たない個人が公共の電波を独占使用するのは(免許・規制・資金面で)不可能に使いが、インターネットなら明日にでも放送(もちろんネット内で)が可能である、やろうと思えば。全くの個人が自分の持つ機器だけでネット放送が可能である。
[具体例]
◎例えば、ウェブカメラで自分のペットのネコを二十四時間撮し続け、それをホームページに流す。あるいは、最近音声ブログが可能なので、本や詩の朗読を毎日数時間流す。そのことによって収入(アフィリエイトや広告収入)を得ることすら可能である。
[ネットでは安価に簡単に発信者になれる]
◎電波ではもっぱら受け身に立たされる(電話・ファックス・メールでフィードバックできるが)が、ネットでは安価に簡単に発信者になれる。その代表的なものがブログである。私自身もブログを三局開設している。アフィリエイトをねらうが半年たっても収入は微々たるものである、涙。
[トップダウンボトムアップ]
◎話題を変えるが、[トップダウン]と[ボトムアップ]という言葉がある。分かりやすいイメージとして[ピラミッド]を思い浮かべてください。頂上がトップで、地面がボトム。会社組織でいえば、トップが社長で、ボトムは平社員。
[トップダウン的放送とボトムアップ的通信]
◎放送はトップからボトムに向けて情報を流すという印象を、私は受ける。それに対して、通信(特にネット)は、ボトムからボトム(横断)へ、あるいはボトムからトップ(縦断)へと情報を送るというイメージである、もちろん双方向的に。
[通信・ネットは民主主義を確保するすばらしい方法]
◎そういう点で、通信・ネットは民主主義を確保するすばらしい方法である。自分の意見を発信する方法を提供するという点で。それまではもっぱら情報を受け取る側であった。そういう面で、通信・ネットは民主主義(すべての者が意見を述べられる仕組み)の仕上げにとって現段階で最良の方法・手段だろう。
[ネットは無法地帯に堕落する可能性]
◎とはいえ、手放しで喜べるわけでもない。すばらしいものの裏には見苦しいものを秘める矛盾的自己同一である。ネットは無法地帯に堕落する可能性が、自由度が大きいだけそれだけ衆愚化する可能性も大きくなる。
[国際的な法律が絶対不可欠]
◎事実、ネットを介しての犯罪が頻発している。ネット内にも規制や法律が整備される必要があろう。一国内でもだが、ネットには国境が存在しない(良い点でもあるのだが)ので、国際的な法律が絶対不可欠である。すばらしいものに仕上げるには責任(義務)と規制による支えが要求される。