真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

善のもつ光と陰

[子どもたちが犯罪者の痛ましい餌食]
◎最近、日本国中で次々と子どもたちが犯罪者の痛ましい餌食になっている。しかもその犯罪者がいかにも残忍な人物によってなされたものではなく、ごく普通一般人的な者によってなされることも多い。彼らはあたかもジキル博士とハイド氏のような二面性を持つのだろう。
[感情体験の希薄さ]
◎これの原因の一つに、死の実体験(家族親戚などの死を間近に経験すること)の無さがあげられるのではないかと思う。あるいは感情体験の希薄さ(感情の表現力の無さ)も理由としてあるのではと思う。
[犯罪が感情の爆発的発散の場]
その場合には犯罪が感情の爆発的発散の場となる。犯罪が爆発的な感情体験の場と化す。そのような体験を持った者は、圧倒的な爽快感に満たされて、犯罪への後悔よりも体験のすばらしさに捕らえられてしまう。
[そこから派生する結果]
◎しかし、ここで言おうとすることは、そのような犯罪の原因についてではない。そこから派生する結果について述べたいと思う。
[安全確保が急務]
◎子どもたちが犯罪の犠牲者になることによって、社会では子どもたちへの安全確保が急務だとして、安全や保護体制作りに大きく傾いている。それは必要なことであるし、基本的なことではあるが、それによるマイナス面へも心を向けなければならない。今日はそのことについて述べたい。そろそろそれを述べてもいい時期だろう。
[厳重な管理体制(閉鎖的集団)、無菌室と化す]
◎それは、余りにも安全を優先するがために、大幅な厳重な管理体制(閉鎖的集団化)、無菌室で育てられるかのような、隔離体制が出来上がってしまうことである。さらにまた、安全や保護を強くすることは、子どもたちを縛りつける結果にもなる。子どもたちは学校から家への往復のすべてを大人、保護者、監視員などに見守られながら通学することとなる。学校が閉鎖社会になってしまう。
[監視下に置かれる囚人の如く]
◎余りにも極端になれば、それは子どもたちにとっては牢獄ともなりかねない。常に監視下に置かれる囚人の如くに。網に絡まって身動きの取れない魚のように。これはもしかすれば、特に元気な子どもたちにとっては"大きなストレス"かもしれない。子供たちの自由を奪うのだから。
[保護をすることは、鍛えない]
◎また、保護をすることは、鍛えないことでもある。例えば、ごく当たり前のことだが、空気中には無数の菌が浮遊している。その菌を無くす方向に向かっても無駄である。現実問題として、その菌に打ち勝つ体力をつける方向で講じるしかないだろう。具体的意味においても抽象的意味においても。
[自由闊達な行動を封殺]
◎無菌室では、活き活きとした自由闊達な行動が完全に封殺されかねない。これでは安全の代償としてはかなり大きな犠牲を払っていることになろう。卵を産むためだけに飼われている大農場でのニワトリを思い浮かべて欲しい。
[バランス感覚が求められる]
◎何事に対してもバランス感覚が求められると思う。余りにも安全や保護に傾きすぎれば、子どもの自立心が希薄になり、依存心を断ち切ることができなくなり、大人になっても親に依存し続ける、パラサイトシングルの大量発生が一世代を経た後に話題となるかもしれない。もうすでに大きな問題化しているが。
[ニートやパラサイトシングルの大量生産]
◎今でも、ニート(パラサイトシングルも)などが社会問題として大きく取り上げられているが、更なる大量生産を社会が強力に推進しているのかもしれない。これは社会にとって大きなひずみとなろう。日本の老化が更に更に進む結果ともなろう。
[東洋が説く中道、中庸の精神]
◎今ここで、このような安全軽視とも見える主張は受け入れがたいとは思うが、社会が余りにも一方に偏りすぎるのは、東洋が説く、中道、中庸の精神に反すると考える。船は復原力を持つが、余りにも傾きすぎれは、復元不可能になる。復元不可能になる前に一考を求める。