真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

犯罪被害者救済

[目には目をの平等観]
◎過去では、「目には目を、歯には歯を」、という同等の仕返しを肯定する「ハンムラビ法典」がある。しかし現代の司法ではその法則はきっぱり否定されている。人を殺しても死刑になることはあまりない。ここに犯罪被害者の無念さが生まれる要因がある。自分が受けた、家族や遺族が受けた心の傷に対しては余りにも軽くはないかのいら立ちが生まれている。
[犯罪加害者への配慮が大きな課題だった]
◎所が、戦後から今まで、裁判所、司法では犯罪者、犯罪加害者に対する配慮が大きな課題だった。これは過去に国家権力によって犯罪者が拷問を受けたり、自白の強要を強いられたりしたという時代背景があったからだ。これはどの国も通って来た道である。そのような国家権力の、犯罪者に対する不当な扱いから彼らを守る、援護するという司法での課題があった。これは解決されるべき重大な課題であった。
[犯罪被害者が置き去りに]
◎そのような課題が一段落したからでもあろうし、犯罪被害者が置き去りにされているという声を多くの被害者達が上げ始めたからでもあろう。司法でも立法でも犯罪被害者の方へも目を向け始めた。それに対する法律も整備され出した。そのことに対する大きな功労者は「本村」さんだろう。
[何が被害者を救済するか]
◎一体、被害者が救済されるのはどんなときだろうか。今までは被害者に対して物質的(主に金銭的)救済という手が差し伸べられては来ていた。ちょっと趣旨が違うかなとも思うが、国家賠償法などもある。
[金銭的救済では心の傷がいやされない]
◎しかし、物質(金銭)的救済では"心の傷"がいやされるわけではない。身体的被害であったとしても必ず心にも大きな傷を残す。そのような心の傷に対する精神的な救済がなかった。お金で心は買え(変え)ない。精神はお金を求めない。心ない人はそれで済むかもしれないが。
[残念無念の感情が残ったまま]
◎私たちは被害、損害を受けた場合、経済的弁済、救済をさまざまな形で受けられる。しかし心に傷を受けた場合には、経済的弁済だけではほとんど傷はいえない。そこには残念、無念の感情が、あるいは強烈に恐怖心が残ったままであるからだ。
[被害者感情、遺族感情とは]
◎それに対して、けりを付けたい、精算したいとの思いが、被害者や遺族(被害者が死亡した場合)に湧き起こって来る。心の傷は持って置くにしては余りにも重い十字架である。これが被害者感情、遺族感情であろう。大きく前に振れたブランコが後ろへと返ろうとするように。大きな不安定をまた元のような安定に戻したいという自然な欲求である。
[過去がその人を圧し留める]
◎これはいつまでも前へ進めなさへのいら立ちでもあろう。人はいつまでもそこ (焼け跡)にたたずんではいられない。とはいっても、残念、無念の感情、強い恐怖心が残ったまま、抱えたままであるから先へは進めない。過去がその人を圧し留める、引き留めるからだ。前へ進むには心を新たにしなければならない。
[物質的満足から精神的満足(幸せ)へと心が向かう]
◎このようなことへの配慮から、社会全体では、物質的救済から精神的救済へと比重を移しつつある。これは世の中(日本での)全体が物質中心から精神性重視へと移行しつつあることの反映だろう。物質的満足から精神的満足(幸せ)へと心が向かう対象の切り替わりである。
[和解が最高で最大の精神的救済]
◎これから本格的に、被害者感情、遺族感情を如何にしたら鎮め(静め、沈め)られるか、の模索が始まるのだろう。これには最終的に加害者(犯罪者)と被害者との心からの和解が最高で最大の精神的救済となるのではなかろうか。
[精神的更正の指導方法の確立]
◎被害者にとって最高の心の静まりは、加害者が心から罪を悔い償うことである。それを社会は推し進めるために、精神的更正の指導方法の確立が望まれる。まだ、そこに重点が置かれた指導にはなっていないように思う。