真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

犯罪被害者と遺族感情

[犯罪被害者が抱える感情問題]
被害者感情、犯罪被害を受けた者が抱える感情問題をどう解決してゆくかが司法で問われている。最近、犯罪被害者が置き去りにされているといううめき、怒り、腹立ちがテレビや報道などで聞こえてくる。
[父親のうめきは同じ父親として共感]
◎明石砂浜陥没事件で我が子を亡くした父親のうめきは、同じ父親として共感できる。我が子の未来を奪い去った者がいるというのに、その者達は何の罪も問われることなく、社会で生きている。この落差は埋めようがない。
[受けた被害に対しては余りにも軽すぎる刑]
◎特に、少年によって犯罪被害者になった場合、犯罪者が数年で社会へ出て行くということに対するさまざまなやりきれなさを犯罪被害者は訴える。受けた被害に対しては余りにも軽すぎるのではないかという嘆き。
[犯罪被害の遺族が受けた悔しさ、無念さ]
◎ 犯罪被害者や犯罪遺族(犯罪被害によってなくなった方の遺族)が感じるのは、自分が受けた、あるいは犯罪被害の遺族が受けた悔しさ、無念さを解消するには余りにも軽すぎる刑。それはある意味、自分への評価とも感じられるのである、私は、俺はそんなに軽い存在だったのかと。
[犯罪死亡者の価値は低く評価されていいのか]
◎裁く側の人々が気づいておられるかどうか疑問であるが、軽すぎる刑は、自分や犯罪死亡者の価値はそんなに低く評価されていいものなのか、という怒りである。自分が大切にしていたものを奪い去った憎き犯罪者がかくも軽い刑で復帰できるのかと。
[違和感は激しい]
◎自分の親や子どもはもはやこの世に復帰できないというのに。殺人者である相手がもう犯罪者ではなくこの社会に暮らす。特にその人達から心からの悔やみ、懺悔を聞かない場合には。その違和感は激しいものがある。
[無念、残念の気持ちは心に残り続ける]
◎無念、残念の気持ちはいつまでも心の中に残り続ける。これは単に、犯罪という大きな出来事、事件だけにと止まらない。フロイトがそう言っている。固着である。
[心残りは心への大きな負担]
◎私たちはさまざまなことに対して、けりをつける、終止符を打つ、ことを求める。心残りは心への大きな負担である。
[前のページは閉じて新しい一ページを開く]
◎新しい一ページを開くには、前のページは閉じなければならない。私たち日本人は先祖供養というものをする。これもそろそろ死語に近づきつつあるが。
[心残りをしないであの世に旅立たせる]
◎先祖供養の大きな目的は心残りをしないであの世に旅立たせることである。心残りをした死者はこの世に悪をもたらすと思われている。神社の発祥はたいていそこにある。京都北野神社はその典型例であろう。
[犯罪者に対して正当に償わせる]
◎明石砂浜陥没事件に戻るが、その父親がかくも求めるのは、娘に対する悔悟の気持ちである。愛するという形を、犯罪者に対して正当に償わせることで果たそうとする。それが出来ない嘆き、怒り。子どもが感じているであろう無念さを晴らしたいとの心からの願いが叶わない虚しさ。
[容疑者と被害者とが対等の立場に]
◎一般国民感情としては、最近の裁判事例を眺めると、犯罪容疑者の方が有利で、返って被害者の方が不利な立場に置かれているという印象がぬぐえない。容疑者と被害者とが少なくとも、対等の立場に立てるような仕組みがほしい。被害者の泣き寝入りとも思える判例が多すぎる。
[陪審員制度が発足]
◎後数年後には陪審員制度が発足する。これは一般国民が裁判に参加する制度である。その時には一般国民の平均的感情が加味される可能性もある。そうなれば、裁判への取り組み方も違ったものになってくるだろう。
[手段を選ばずの加害者側弁護士]
◎今の犯罪加害者側の弁護士は、刑を軽くするためなら手段を選ばずという姿勢である。国民から見れば、かなりゆがんでいる。第三者から見れば、本当に法を愚弄するのかと憤りすら感じられる。プロの裁判官相手ならそれが通用するだろう。しかし、陪審員からはその手法は大変反感を買うに違いない方法である。
[素朴な国民の平均的感情が加味]
◎裁判判断が感情的になっては絶対にいけないが、判断に素朴な国民の間での平均的感情が加味されるのはよいことではないだろうか。人間に感情がある限り、その感情がまったく考慮されずに事務的に裁かれるとすれば返って不幸であろう。