真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

愛国心を教えるべきか

[国民に愛国心を教えるべきか]
◎国民に愛国心教育基本法に明記して教えるべきかの論議があったが、今は下火になっている。もはや小泉劇場の幕は事実上下ろされてしまっている。テレビで盛んに放送されているが、小泉劇場でも何事も一発芸で終わっている感ありである。ライオンの如く登場し(ちゅうと半端と泣く)ネズミの如く引き下がる。
[愛国心は国家への根底的な自発的な忠誠義務]
産経新聞の正論欄(2006/8/1)で、京大教授、佐伯啓思氏が、"私には、「愛国心」とは、この国家への根底的な自発的な忠誠義務を言い直したものと思われる"、と述べておられる。
[国家と国民は対立と相補性の関係]
◎もちろん、国から権利が得られるならば、当然それに対する見返りとして義務は果たさねばならない。佐伯氏は、権利と義務とではなく、対立と相補性という表現を使われている。それらは奪い合う関係と支え合う関係と言い換えてもよいのではと思う。
[愛国心を親子の情、会社と従業員の情と比較]
◎私は以前にブログで"誇りと愛国心"について述べた。それも参考にして頂ければありがたい。今回は、愛国心を、親子の情、会社と従業員の情との比較で考えてみたい。
[親が子どもへの虐待]
◎親が子を愛する。これは当然の情なのであろうか。最近新聞などで盛んに報じられるのが、親が子どもへふるう虐待である。ある夫婦は子どもに満足に食事を与えない、子どもへのしつけと称した暴力をふるう。
[どんな親へも尊敬心を示すべきか]
◎そのような親へも育てられた当然の義務として親への愛情を子どもは示さなければならないのだろうか。これを要求されるとまことに苦しい。論理的には納得できるではあろうが。尊敬はある基準を超えてなされるすばらしい行為に対して抱く自然な感情であろうと思う。自分よりすばらしいものへの自然な感情の発露である。
[子どもが親へ暴力をふるう]
◎子供への虐待とは逆に、あるいはその結果として、子どもが親へ暴力をふるう、それが殺人まで行き着くという事例も多い。これらを考えると、親に対して、子どもを慈しむべきだと教え、子どもに対して、親への尊敬心を持てと教えるべきという結論が出るのかとも思う。
[愛社精神の死語化]
◎次に、会社と従業員の情についてだが、これまで盛んに愛社精神という言葉(懐かしい昭和世代の表現)が使われたが、今では死語化しつつある。何故だろうか。
[従業員に優しかった企業]
◎以前の日本企業では、終身雇用制度(昔にはそんなものがあったのだ!!)、手厚い福利厚生制度、年功序列的階級制度(窓際族もいたが)、加齢とともに上昇する右肩上がりの給与体系などなど。
[制度は雪崩を打っての総崩れ]
◎しかし、現在の日本企業では、そのような制度は雪崩を打っての総崩れ状況である。リストラが当たり前のように実行されてゆく。そのような背景があるからこそ、愛社精神という言葉も死語化していったのだ。愛社精神といえども無条件で生まれ出たわけではない、権利(従業員への優遇措置)が与えられているからこその忠誠義務であったといえよう。
[権利と義務の関係(契約関係)]
◎これら二つの比喩的例示によって、私の言いたいことも分かっていただけると思うが、親への尊敬心、会社への愛社精神、国への愛国心は権利と義務の関係(契約関係)ともいえる。気になることは、下から上への義務(親孝行、愛社精神愛国心)が強く叫ばれてきたが、上から下への義務(子への慈しみ、手厚い福利厚生、国民への権利付与)は余り議論されることはないように思う、特に道徳として。
[先ずは国家に対して言うべき]
愛国心が薄れているとの論議をする人々は、先ずは親・企業・国家に対して言うべきではなかろうか。今まで国民へ当然の果たされてきた義務(愛国民心)が余りも貧弱すぎる(大企業へばかり目がいっていたように思う、ひがみだろうか)と。その結果としての希薄な愛国心として現れているのだと。結果を云々する前に、原因を正そう。
[国民状態は国家が国民に行った権利付与内容の象徴]
◎国民の現在の状態は、国家が国民に果たして来た権利付与の内容を象徴的に表したものであると知るべきである。若者達のニートぶり、格差社会の誕生と拡大、ワーキングプアの発生、パラサイトシングル、国家借金依存体質、年金問題少子化問題、若年者(少年少女)による発作的殺人事件などなど。
[スリムにされたのは弱者ばかり]
◎国民は改革を望んだのではない。改革を支持(指示ではないが)したが、それは改革そのものを望んだわけではない。改革の後に来るものを期待したのだ。スリムなボディーを。しかしスリムにされたのは弱者ばかりである。政府は勘違いをしている。反動が怖いよ。もう大きな反動が来てしまったが。
[無条件に、ハイと答えなければならないのだろうか]
◎親を尊敬しますか、との問いへの子ども達の返答は、無条件に、ハイと答えなければならないのだろうか、ハイの選択肢しか書かれていないのだろうか。道徳では親への尊敬を教えるが、親に対して子どもへの愛情はしっかりと教えて来たのだろうか。今こそ親に対してしっかり教育してほしいものだと感じる、子どもを虐待しないようにと。