真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

みこしと亀田選手

[神が乗る乗り物]
◎日本には神社がたくさんある。そこでのみこし(神輿)は、神を迎えその後送り出す行事で使われる。そしてその神が乗る乗り物を神輿(ミコシ)という。大阪で催される、天神祭もその内の一つである。
[日本人は神輿を担ぐのが大好き]
◎私たち日本人は神社の祭りで神輿を担ぐのが大好きである。しかもその神輿の華麗さを競ったり、ぶつかり合いをして力や技や勇気を競ったりする。岸和田のだんじり祭りはそれで有名である。
[亀田選手が、神輿に乗せられて担ぎ回された]
◎私たちは、少なくとも私は、亀田選手(ご存じのことと思うが、ボクシングのあの亀田選手)が、神輿に乗せられて担ぎ回されたあげく、その神輿から振り落とされたのだと思う。神様から、ヒールへと転落であった。
[担ぎ手たちは誰だったのか]
◎ではその担ぎ手たちは誰だったのだろうか。私は最大の担ぎ手は、"TBS"テレビ局だったと思う。そして亀田選手を乗せた神輿は町中、日本中を錬り回された。もちろんテレビ電波に乗せられて。
[亀田選手に日本中ははやし立てた]
◎神輿に乗った亀田選手に日本中ははやし立てた。あるものは、大声援を送り、あるものはブーイングを鳴らしつづけて。
[リング上でクライマックス]
◎そしてリング上でクライマックスを迎えた。誰もが(ブーイングを鳴らしつづけた野次馬でさえも)亀田選手が優位に試合を展開するだろうと期待(望んだという意味ではなく当然視)していた。
[試合は案に相違した]
◎しかし、試合は案に相違して亀田選手は初回に早くもダウンを喰らい、中盤も欲目でさえ互角であり、最終ラウンドはダウンをやっと逃げてこらえ切ったという有様であった。
[亀田選手の判定負けを予想]
◎誰もが(アンケートなどでは9割ほどが)亀田選手の判定負けを予想した。しかし判定は優位に試合を展開したランダエタ選手の負けである。
[八百長的判定への不愉快さ]
◎これには不愉快さ、八百長的判定への不愉快さが日本全国から湧き上がってきた。神輿に乗った神に要求されるのはやはり当然神々しさであろう。
[一人の若い神が消えた]
◎神輿に担がれた亀田選手から今まで放っていた赤や青の神々しさが一瞬にしてかき消えた。この時点で一人の若い神が消えてしまった。いったん消えた光は二度と灯ることはないだろう。
[幻覚が幻滅した瞬間]
◎彼に神(髪)はなかったから、初めからそれは単なる幻覚であったのだろう。あの判定の下った(苦だった)瞬間が、その幻覚が幻滅した瞬間であった。彼は野原でただ一人たたずむ一人の青年に立ち戻ってしまった。
[彼を神として担ぐ担ぎ手はいない]
◎もはや彼を神として担ごうという担ぎ手はいなくなったのだから。担ぎ手も囃し手も一斉に手を声を引いてしまった。
[不死鳥のように甦ってくるのを期待]
◎でもやはり、私は彼がこれを乗り越えて不死鳥のように甦ってくるのを期待するのだが。その時には、それまでの張りぼての紙(神)から、内から輝く本物の上(カミ)に登ってくるだろうと信じている。
[挫折が人を強くする]
◎挫折が人を強くする。挫折のみが本当の強さを与える。それまでは単なる張りぼての(中身の詰まっていない、詰まらない)強さでしかない。
[合体願望を持っている]
◎話は大きく転回するのだが、私たちは皆"合体"願望を持っている、釣りバカ日誌に登場する"浜ちゃん"のように。明治の哲学者西田幾多郎はそれを、宇宙に遍満する、”統一力”と呼ぶ。
[個々バラバラ]
◎しかし現在日本人は普段、個々バラバラであるといってもいいほど、自分を厚い壁(バカの壁)で囲っている。
[壁を取っ払えるのは、協同作業]
◎その壁を取っ払えるのは、感情を沸き立たせる(我を忘れて夢中になれる)”協同作業のなかで”である。かくて男は女性と協同作業を欲望する。
[担げる神輿をかくて探し求める]
◎社会的に許容されるのは、みんなで(体ではなく心を一つにする)一致団結することである。少し前に、サッカーの日本代表チームに心を一つにして声援を向けたように。かくて、みんなで一斉に一心に担げる神輿の乗り手を熱烈に探し求める。そしてあの時亀田選手がその神輿に乗せられたという次第であった。そのようにして、次から付きへと取っ替え引っ替え担がれてゆく。
[御輿から降りる横綱朝青龍]
◎今同じことが、横綱朝青龍にも起こりつつある。今まで御輿に担がれていた、一人の相撲取りが御輿から降ろされようとしている。