真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

稀星をきららと読ませてはいけないか

[公共財を棄損する「感字」]
産経新聞の社説(2007/8/25:公共財を棄損する「感字」)を読んで、強く違和感を覚えたので、それについて感じたことを述べたい。
[感字の命名?]
◎その社説では、「稀星」と書いて、「きらら」と読ませる、「感字」(漢字ではなく)の命名(赤ん坊への名付け)について否定的に書かれている。
[時代を超えて継承される文字]
◎そのような、「私的な好みで恣意的に読み替えることに寛容であれば」、「文字が文字の役目を果たせなくなってしまう」と、社説ではいう。「文字というものは昔から、今、今から未来へと継承される時代を超えた約束事だ」とも述べている。
[漢字からひらがなを発明]
◎しかし、ご存じのように、平安時代には、漢字から「ひらがな」を発明して、文化が飛躍的に発展した。これがあったからこそ、日本が世界に誇れる、宮廷文学が多数生まれ出たのだ。それを考えると、画期的な大発明である。
[漢字の訓読み]
◎また、同じような時代に、漢字に、もちろん中国にはなかった、訓読みを当てはめて、これまた、文化を飛躍的に豊かにした。大和言葉の音(たとえば、さくら)をも(意味を重視して)漢字(当て字ではなく)で表現しやすくなったのだ。この時代は日本文化の礎を築いたとても重要な時期である。
[旧に新を付け加える]
◎だから、単に過去のものを継承するだけではなく、そこに新しいものを付け加えることによって、より発展していく、より豊かにするという重要な側面も見逃すわけにはいかない。時によれば、そちらの方こそ大切にすべき時代もあると考えねばならない。
[新しい感性を持った日本人]
◎そういうわけで、私としては、「稀星」と書いて、「きらら」と読ませることには大賛成である。ここに、今までにない、新しい感性(イメージ重視)を持った日本人がたくさん育ちつつあることを読み取らねばならない。新しい時代精神を持った日本人が続々と育ちつつあるのが現時点である。
[新地層が積み上がるのが自然の習い]
◎また、このことによって、昔からのものの継承が途絶えてしまうとは思えない。とはいっても、緩やかに沈み込んでゆく可能性は否定できないが。古い地層ほど下になり、新しい地層が積み上がってゆくのが自然の習いである。
[漢字の第二日本語化]
◎「稀星」と書いて、「きらら」と読ませるのは、平安時代などに行われたのと同じように、第二の漢字の日本語化の一つだと思える。これが漫画世代なのだ。私たち(中高年)は活字世代である。社説の言うように、漢字を大切にしたい気持ちも分からぬではないが、もはや、漫画世代に道を譲るべき時期が来ている。
[ひらがなや訓読みは破壊活動?]
◎それでもなおかつ、これを否定するというのであれば、平安時代のひらがなや訓読みはしてはならなかった公共財の棄損ということになりはしないのだろうか。ひらがなや訓読みの発明は、単にだめな破壊活動だったのだろうか。
[漢字を感性的にとらえる]
◎私は、「感字」(漢字ではなく)の命名に、きらら(雲母)という聞き言葉、音声言葉と共に、読み言葉、書き言葉(漢字)をも大事にするという趣きを感じるので、大切にしたい感性だと思う。外国でも漢字を感性的にとらえて、素晴らしい感字と見なしつつある。最近、漢字を絵画化した個展が開かれて話題を集めた。
[持てる感性を豊かに育つ方向で解決を]
◎外国人がとらえているような漢字への感性を、日本人も感じ始めているのだ。この外国人と共通のこの日本人の感性を、もっともっと育ててゆくべきではないだろうか。事実漫画は世界中で受け入れられ、理解されている。過去を大切にするというのもわかるが、日本語を国際化させるという面でも、今持っている感性をもっともっと豊かに育つ方向で解決を図るべきではないか。