真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

自立か依存かは関係ねぇ

[心に衝撃が走った話]
◎今日は、数年ぶりといってもいいほど、自分の心に衝撃が走った話をしたい。
[自立とは何か?]
◎私は、メールで送られてきた、さまざまな記事の紹介で、「これは!?」と思うものを、読みに行っている。そのうちの中に、NBonline(日経ビジネス オンライン)に連載されている、遥洋子氏の「男の勘違い、女のすれ違い」で、今回は、「自立とは何か?」という、題名のコラムがあった。
[上野千鶴子氏の講演]
◎私は、今まで、彼女(遥洋子氏)のコラムを興味深く読んだことがある。その彼女が、社会学者の上野千鶴子氏の講演(「自立とは何か」)へ出向く。そこでの上野氏の言葉が紹介されていた。


なんのための自立か。それは目的か。手段か。人が自由に自分のやりたいことをして生きられる、そのための手段として自立があるのではないか。なにも自立のための能力すべてを自らが持っていなくてもいい。誰か持っている人から調達すればいい。まず自分がなにをやりたいかが、はじめに問われる…。
[手段と目的]
◎手段と目的。目的は手段よりも、優先順位が上、階層的に上である。ところが、その目的も、更に上位の目的にとっては、手段と見なされてしまうだろう。目指す頂上は何なのだろうか。
[目的は生き甲斐]
◎上野氏がいうには、自立とか、依存とかは、手段であって、目的は、「自分のやりたい」(生き甲斐)である。目的を達成するための手段は、余り重要なことではない。
[目を開かせてもらった]
◎その言葉は、私の目を開かせてもらった瞬間だった。私は、今まで、自立の方が依存よりも上である、と見なしていた。自立の方が依存よりも素晴らしく、依存は見劣りがすると判断していた。その考えに自信を持っていた。
[言葉に大きな衝撃]
◎それ故に、氏の言葉に大きな衝撃を受けた。私は、ただ、自立と依存とを比べて、自立の方が上だと見ていたのだ。それら二つだけを見比べていたのだ。さらに、広い、高い立場から、それらを眺めるという視点を持ち合わせていなかった。頂上から、下界を見れば、すべてはアリのごとく小さく見える。
[目くそ鼻くそを笑う]
◎上野氏の言うように、その上に、 生き甲斐という高い目的を置いて、そこから自立か依存かを眺めると、「そんなこたあ、どうでもいい」、小さな差異にしか見えてこない。「目くそ鼻くそを笑う」である。
[自立をとても大切?]
◎所が、私は、今まで、自立をとても大切なことだと信じていた。依存的であるのは恥ずかしいことだとさえ感じていた。そのような目で、他人を見、他人を評価してきた。
[目的を置くと話は違う]
◎自立と依存だけを比べたらそうかもしれない。でも、そこに目的を置くと、話は全く違ったものになる。目的を達するために、自分が持っていないならば、よそから調達し、たまたま自分が持っていれば、それを使うだけの話である。ただ、それだけのことなのだ。
[自立はトンカチ]
◎人生において、重要なことは、 生き甲斐、 自分のやりたいを持っているかどうかである。自立しているか、依存しているかではないのだ。遥洋子氏はこう言う。「自立はトンカチに似ている。持っているからといって、なにも作らなければ、ただのトンカチだ」と。
[人間としてどうなんだろうか]
◎どれほど、自立度が高くても、自分のやりたいを持っていなければ、人間としてどうなんだろうかということである。上野氏はそれを問うているのである。あなたは、その問いに、胸を張って、自信を持って答えられますか。