真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

配慮の自我と主張の自我

[前防衛大臣の'しょうがない'騒動]
<<前防衛大臣の「しょうがない」騒動で考えた、本音と真意の間>>(by辰巳 渚on2007 / 7 / 18 from日経ベンチャーonline)を読んで感じたことを書きたい。その話はもういいよ、時間は過ぎ去り、安倍内閣は終わったし、今更という感があるという声が聞こえてきそうだが。
[本音とは何]
◎ところで、本音とは何だろうか。たとえば、苦しい仕事を続けているときに、ふと、「疲れたな」と独りごちする。しかし、「いやいやもう一頑張りせねば」と、思い直す。この「疲れたな」と言う部分は本音といえるだろう。
[心の底から湧き上がってくる本心]
◎本音は、その時々の、他人の言葉や行動には動かされない、自分の心の底から湧き上がってくる本心だと思う。
[思い計らせる自我]
◎そのような、本音・本心を言ったらどうなるかを思い計らせるのが、自我である。自我は、外にあって、横から、上から来る、外圧を考慮して、自分を上手く処する方向へと舵を取らせる。
[自分は本音・本心も自我をも含む総体]
◎少し、脇にそれる。自分とは、本音・本心をも自我をも含む総体である。でも、私たちは、どの部分を持って、自分だと感じているのだろうか。それは、人それぞれであろう。それに対して、私たちには、確定的な基準を持たない。
[自我は外に向けて目配り]
◎話を戻すが、自我は、主に外に向けて、四方八方へと、常に目配りしなければならない。社会で生きてゆくこととは、そういうことであろう。
[外に向けた配慮の自我]
◎日本人の自我は、もっと広くいえば、東洋人の自我は、外に向けた、配慮の自我である。
とはいえ、どこまでを内と見なし、どこからを外と見なすかについても、私たちには、確定的な基準を持たない。
[外向けの主張の自我]
◎西欧でも、もちろん、外に向けた、配慮の自我がとても発達しているが、外向けの配慮の自我だけではなく、外向けの主張の自我をも発達させる。どちらかといえば、西欧では、主張の自我の方がより重要視される。
[主張の自我を確立させるのが苦手]
◎日本人には未だ、この外向けの主張の自我を確立させるのが苦手であるようだ。いや、過去を尊ぶ、苔の生えた思考の持ち主たちが、それを我が儘だとか、無責任だとかで、否定的に評価しがちだ。
[主張の自我を育てる教育がない]
現代日本では、主張の自我を育てる、教育がなされていない。それで、主張の自我は、熟成されず、「我が儘」だとか、「無責任」だと評される、低い段階に留まっている。この段階は致し方のない、通過しなければならない段階ではあるが、そこを卒業させねばならない。
[主張の自我を否定的に見る]
◎所が、年配者たちは、配慮の自我を主に育てられてきた世代であり、西洋に対等に処するためには育てなければならないはずの、主張の自我を否定的に見ているのではないだろうか。
[本音を自分の主張にまで昇華]
◎しかし、本音・本心を、外に向けて、評価されるように、取り計らう、主張の自我をも確立させる必要が日本人にはあるのではないだろうか。自分の中に沸々と湧き出づる、本音・本心を、自分の主張にまで昇華させる努力が求められる。
[真意]
◎辰巳 渚氏は、それを「真意」と呼んでいるように思う。つまり、本音・本心を社会で受け入れられるように、表現した、「真意」を、発信する能力がこれからは求められるのだろう。
[未消化な本音・本心をそのまま吐露すべきではない]
◎本音と建て前を使い分けるのではなく、本音を自分の主張にまで昇華させる過程を踏むべきであろう。ということで、特に、公人であれば、未消化な本音・本心をそのまま吐露すべきではないだろう。