真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

スポーツの娯楽性とスポーツ性

[内藤大助亀田大毅戦]
◎内心では内藤を応援していたが、私も思わずどうなるのだろうか、と見てしまった。プロボクシング、世界フライ級タイトルマッチ内藤大助亀田大毅戦である。無様にも大毅が反則を繰り返した。後で知ったが、父親も兄興毅もそれをそそのかしたと盛んに報じられた。
[亀田家に強い非難の嵐]
◎そのことで、世論は、前回(兄興毅の疑惑ありといえる判定による勝利)のこともあり、亀田家に対して、強い非難の嵐が吹き荒れている。朝青龍問題と構図が凄く似ている感じがする。
[父親は本心では納得していない?]
◎大毅と父親とジム会長によるテレビの会見からは、少なくとも、父親は本心では納得していないようにも見える。自分たちは悪いことをしたという気持ちが希薄であるのかと感じさせられる。
[プロボクシングは、興行か、スポーツか]
◎ここに横たわる根本問題は、プロボクシングは、興行なのか、スポーツなのかという見解の相違ではないだろうか。少なくとも、父親は興行じゃないかとの思いがあるのではないか。
[反則は興行的行為]
◎たとえば、プロレスは、スポーツと言うよりも、興行だと見なされている。反則をしてもそれは興行的行為だと見なされている。しかし、柔道や相撲では、反則は悪意のある許されざる行為だと断罪される。
[人格的な部分が要求]
◎スポーツであれば、ルールに準じて、正々堂々と実力を発揮することが期待される。精神という、品格、人格的な部分が要求される。
[娯楽性を高める]
◎それに対して、興行であれば、ルールやフェアプレー精神よりも、観客をいかに楽しませるか、テレビ放送などでは、いかに視聴率を獲得するかが問われる。正々堂々とやってつまらない試合を見せるよりも、善玉と悪玉に別れて、娯楽性を高めるかである。
[亀田家やTBSは大成功]
◎そういう観点から言えば、亀田家やTBSでは、大成功を収めていたといえる。その部分に対する、自負や自信や自尊の念がつきまとっているのではないか。その結果が、素直に謝罪できないという形で表れていると思えるのだが。
[スポーツの興行面が優先される時代]
◎スポーツの娯楽性ということが問われている。収入を確保するという点から言えば、そうなれば、スポーツの興行面が優先されるのも時代の流れかなとも思える。相撲の朝青龍問題でもそのことが関係しているように思える。朝青龍自体は、相撲に貢献していたとの思いが強いだろう。
[武士の真剣勝負]
◎しかしながら、亀田家に対する、世論の強い非難の嵐をみれば、社会的には、今でもプロボクシングについては、強いスポーツ性を期待しているようにも思える。私もボクシングに関しては、死闘の戦い、まさに生きるか死ぬかの、武士の真剣勝負をダブらせてしまう。
[裏切られたとの思い]
◎たぶん、多くのプロボクシングファンにとっても、同じような気持ちで見ていたのではないだろうか。それを裏切られたとの思いが、あの試合態度から強く受けたのだと思う。
[みんなを楽しませてきた]
◎つまり、亀田家側は、試合に対して、興行という点での成功に重点を置いていたが、観客側は、スポーツ性を期待していたというすれ違いであったのかもしれない。亀田側にすれば、あれだけみんなを楽しませてきたのに、どうして俺たちがこんなに責められねばならないのかとの思いだろうか。
[娯楽性とスポーツ性とのバランス]
◎結論的に言えば、"限度があるだろう、その限度を踏み外さずに、綱渡り的に、娯楽性とスポーツ性とのバランスを考えよ"、ということだろうと思う。あるいは、スポーツ性を追求する試合体系と、娯楽性を高める試合体系とに分離しても良いのかもしれない。