真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

細木数子と江原啓之についてどう思うか

[たかじんのそこまで言って委員会]
◎2008/1/20、「たかじんのそこまで言って委員会」で、「細木数子」と「江原啓之」についてどう思うか、という番組を放送していた。
[細木数子氏]
◎私は基本的にお二人を信じている。 細木数子氏に関しては、人生の見方を学んだ。人生を12分割して、山あり谷ありのリズムが繰り返されると教わった。占い通りに当たっていることもあれば、大はずれのこともあった。
[細木数子氏を卒業]
◎しかし、人生に山あり谷ありのリズムを見るという意識は育った。とはいっても、もう私は細木数子氏を卒業してしまったが。もちろん彼女より偉くなったという意味では決してない。
[江原啓之氏]
◎一冊の本を読み終わったかのように、細木数子氏を卒業した後に、私の前に現れたのは、江原啓之氏であった。私の前に新たな知識源が登場した。
[魂の存在も信じる]
◎私は霊能力は誰でも潜在的に持っていると思うし、それを開発したいとも願っている。さらに、前世や来世も信じている。今回の人生だけで、一回こっきりではないとも信じている。また、(不滅の)魂の存在も信じている。
[知り得ないものを教えてくれる師]
江原啓之氏は、私には見えないものが見える、先達だと思っている。氏の言葉から、私に解けない問題が解け、知り得ないものを教えてくれる師だと感じている。
[自分の中の知識体系に受け入れられる]
◎ただ思うのは、自分の中にある知識体系にすんなり受け入れられる言葉を発してくれるのが、ご両人である。
注)「人間の尊厳を傷つけかねない」 フジ「江原」番組をBPO「断罪」from"J-CASTニュース"
[パラダイム]
パラダイムシフトという言葉がある。パラダイムとは、その時代や分野において支配的規範となる「認識の根本的な枠組み」である(from Wikipedia)。
[宗教が追加]
◎私が持っていた個人的パラダイムが、20年ほど前に、シフト(転換)した。というよりも、以前のパラダイムに、宗教が追加された。個人的パラダイムに宗教が重層した。
[宗教心]
◎それ以前は、宗教に対して全く否定的だった。それがあるキッカケから宗教を信じるようになった。といっても、特定の既存の宗教ではなく、宗教性、宗教心というものが芽生えた。
[禅宗曹洞宗]
◎そうであっても、私が一番好きな宗教は、禅宗、特に、曹洞宗である。宗教者道元に惹かれたので、そういう結果になった。それと同じくらい、哲学者西田幾多郎氏の影響が大きい。
[禅宗は、自立・自律]
禅宗は、自立・自律をとても重んじる。私自身は、自身が自律しない前に、宗教を信じるべきではないと思っている。
[似非宗教者の餌食]
◎というのは、その宗教に取り込まれてしまう、飲み込まれてしまうと感じるからだ。依存心が強い人の場合、似非宗教者の餌食になってしまう可能性が高い。
[金で解決を買い取る]
◎宗教に頼り切りになって、自助努力をしなくなってしまう。自助努力の代わりに、金銭で助けを買い取ろうとしてしまう。お金で解決を買い取ろうとしがちである。
[同意できない事柄もあった]
◎私は、細木数子氏からいろんなことを学んだが、私には受け入れられない、同意できない事柄もあった。今では、もう彼女から知りたいと願う内容はないなとも、テレビを見ながら感じている。
[主体は自分だという意識]
◎こう感じるのは、つまり、批判的に見ることが出来るのは、自分の中に、個人的パラダイムが形成されていたからだといえる。主体は自分だという意識が絶対に必要だ、すがりつくのはよそう。
[知識は体系的階層構造的]
◎私は、知識は、体系的で、階層構造的だと感じている。先ずは、人生を過ごす過程で、感性→感情→科学的知性→哲学→宗教と、積み上がってゆくものだと信じている。
参照(from私のブログ)→「学問の重層構造」
[宗教の前に 科学的知性と哲学が必要]
◎だから、宗教に行き着く前に、 科学的知性と哲学が必要ではないかと思う。それを持たないと、宗教に完全に取り込まれてしまいかねない。
だがまた、宗教心のない人生も詰まらない。