真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

自衛隊は何をする職業なのだろうか

[自衛隊の威信は置き去りへの強い違和感]
「【正論】イージス艦事故 評論家・西尾幹二 自衛隊の威信は置き去りに」(from産経新聞2008.2.29)を読んで、強い違和感を感じた。特に、最後の部分に関して感じたことを書きたい。
最終段落からの引用


日本以外の世界各国において、民間の船舶は軍艦に対し、外国の軍艦に対しても、進路を譲るなど表敬の態度を示す。日本だけは民間の船が平生さして気を使わない。誇らしい自国の軍隊ではなくどうせガードマンだという自衛隊軽視の戦後特有の感情が今も災いしているからである。防衛大臣海上幕僚長が謝罪に訪れた際、漁業組合長がとった高飛車な態度に、ひごろ日本国民がいかに自衛隊に敬意を払っていないかが表れていた。それは国防軽視のマスコミの体質の反映でもある。
参考資料→(私のブログ)「自衛隊とはなっだったのだろうか」
[ガードマンは何かを護る人]
◎「誇らしい自国の軍隊ではなくどうせガードマン」に関して、ガードマンは何かを護る人だから、日本人の大半は、軍隊=ガードマンという意識ではないだろうか。個人、組織、国とレベルの違いはあるが。何かを護る仕事という面では違いがないだろう。
[自衛隊は国を護るガードマン]
◎そういう点で、私は自衛隊は国を護るガードマンだと見ている。何故、自衛隊を誇らねばならないのだろうか。理解に苦しむ。この著者に気にかかるのは、軍隊とガードマンとの間に、貴賤の差があるのは当然だと見ておられるのかなという印象である。
[どうせガードマンだ]
◎国の守りをする自衛隊(軍隊)は、誇らねばならないのだろうか。個人や組織や企業などを護るガードマンは、「どうせ」(投げやりなあきらめや、軽蔑の気持ちを込めて使う:from大辞林)なのだろうか。
[警察・消防・救急は尊敬すべき職業]
◎日本国内で国民の安全を守るのが、警察官であり、火災から身体財産を守るのが、消防隊であり、緊急疾病の重大化を防止するのが、救急隊である。警察・消防・救急などは、自衛隊と同様、国民を災害などから守ってくれる尊敬すべき職業である。ただ護る分野、方向が違うだけである。
[自衛隊は、警察、消防、救急隊と同列]
◎だから、私にとっては、職業的には、自衛隊は、警察、消防、救急隊と同列だと考えている。交通面では、緊急時には、それらの車両は特別扱いするが、そうでなく走行中は、一般車両と同列である。同じ交通法規の下に置かれる。
[ピストル所持の禁止]
◎話は変わるが、私たち日本人は、アメリカなどと違って、ピストルを所持するを禁じている。最近では、護身用であっても、ナイフの携帯も禁じられている。鉄パイプでも禁止されている。
[武器所持を厳禁する国民]
◎ことほど左様に、日本人は、例え、護身であれ自衛であれ、武器を所持することを厳しく禁止している国民である。
[武器で襲われれば、死を覚悟もする国民性]
◎つまり、これは極端な言い方をすれば、「武器で襲われれば、死を覚悟もする」という決意の表れともいえる。日本人はそういう国民性を持っているのだ。前もって、襲い来る相手と対等の武器を用意しない。
[二本差しが怖くて田楽が食えるか]
◎江戸時代では、武士階級でない町民(農工商)は、武器を持つ武士に対して、素手で暮らしてきた経験を持つ。こういう流れがあるからなのだろう、町民には、「二本差しが怖くて、田楽が食えるか」と粋がる気質を持つ。
[武器を持つ武士階級が消えた]
◎そして、江戸から明治へは、武器を持つ武士階級も消え、全ての者が武器を持たずに暮らすことへと切り替わった、という歴史を持つ。武器を捨てるという方向へ日本は進んだ。所が、武器を持つ集団を作ったことによって、日本は悲惨な歴史をページに付け加えてしまった。
[敬意が誤解される恐れ]
◎つまり、下手に自衛隊に敬意を払って、誤解から戦前のような事態を招くことを恐れているのだ。自衛隊の手足を縛るのは、相手(敵)が大砲で向かってきても、我々は竹槍で闘うという決意の表れである。
[自衛隊は国民への奉仕者]
◎さらには、近代憲法の精神を汲んで、我々の意識の中には、自衛隊といえども、警察といえども、国民への奉仕者に変わりはないという権利意識が強くはぐくまれてきている。 評論家・西尾幹二氏は、戦前の意識を今でも強く残しておられるのではないか。