真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

無理心中からその背後に隠れているものをのぞき見る

[無理心中]
◎夫婦や母子や一家の無理心中と見られる殺人が後を絶たない。私には、「心中に走る」という気持ちが不可解で解せない。「何故自分だけが死なないのか」と怒りに近い感情を持っている。
[かなりの数の事件が表示された]
◎それで、グーグルニュースで、「無理心中」という語で検索してみた。するとこの一ヶ月以内でもかなりの数の事件が表示されたのを見て驚いた。私の耳や目に届かない事件がずいぶんとあるのだなと感慨にふけった。
[心中は日本独特の死生観に由来]
◎心中は日本独特の死生観から来ているという。自分が自殺しようとしたとき、自分の子などがこの世に一人残されるのを不憫に思って、道連れ自殺する。
参考資料→(from Wikipedia)「心中」
[身内と身外との区別]
◎この死生観の背後には、日本人の指向は、「身内と身外(ミソト)との区別」を強くつけることから来るのではないか、と私は感じる。
[日本は集団指向]
◎この背後には、「日本(東洋全体でも?)では集団指向が強い」ことがあるのだと思える。それに対して、西洋では、個人指向が強い。
[家族や身内の絆が強い]
◎ある意味、集団指向が強いことは、その最小集団である家族や身内の絆が強いことを表す。これはお隣の韓国でも当てはまる。というよりも、現在では、日本よりも韓国の方が身内の絆が強い。テレビやドラマで見る限りでは。
[不肖の息子]
◎身内と身外(ミソト)との区別を強くつけることは、表現にも表れている。例えば、自分の息子が自慢の子供であっても、他人には「不肖の息子」ですという。
[謙譲語]
◎あるいは、それに類似の表現として、へりくだりながら、「これはつまらないものですが、どうぞお受け取り下さい」と、相手に手みやげを渡す。これは、文法的には、謙譲語に当たる。
[西洋ではすばらしいものをあなたに]
◎所が、西洋では、「すばらしいものを見つけたんですよ、是非あなたにと思って買ってきました」といって、喜々として差し出す。
[見下す気持ちから]
◎もし、西洋で、「これはつまらないものですが」といえば、「私を馬鹿にするのか」「私にけんかを売るのか」と怒りかねない。私を見下す気持ちからつまらないものを持ってくるのだとの判断である。
[自分を下げて相手を上げる]
◎別の例をあげれば、東洋(日本)は、自分を下げて相手を上げる(謙譲)。それは、あいさつにも現れている。会ったときには、頭を下げる。これは、相手より自分が下だという身体表現(身体言語)である。
[西洋は自分と相手とは対等の立場]
◎ところが、西洋は、自分と相手とは対等の立場で相対する。少なくとも、相手よりも下には見られないようにと、対等の立場を強調する。だから、西洋人にとって、日本人が自分を卑下する態度は理解しづらかっただろうと想像できる。
[謙譲は自分側をへりくだる]
◎謙譲は、自分の側に属するもの(身内)をへりくだる。その結果、息子、手みやげのように、自分の側(身内)かどう(身外)かという意識が強くなるのだろう。そのことから、身内と身外の間に、垣根を作ってしまいがちである。
[西洋では個人主義]
◎西洋では、その点、個人主義なので、息子や手みやげは自分の側、という意識もそれほど強くない。自分の身体以外は、身外である。
[集団主義は組織全体が責任範囲内]
◎その結果、個人主義は自分の責任範囲が狭いといえる。それに引き替え、集団主義は、組織全体が各自自分の責任範囲内と見なされる。ということで、共同責任が終始される。しかし、これは責任の所在が曖昧に終わる危険性も大きい。
[家族主義]
◎これが家族主義を生んだ。日本を一つの株式会社にしてしまえた。昭和時代に、終身雇用制度や、会社が全てという会社主義(会社が従業員とその家族を丸抱え)が日本を包んで、これが実に上手く機能した。
[バブル崩壊と共に家族主義も崩壊]
◎しかし、バブル崩壊と共に、その家族主義も崩壊した。社会の表面には「家族主義崩壊」現象が至る所に現れたが、日本人の心に刻み込まれた精神的家族主義はいまだに崩壊していないのかもしれない。形と心の形成・崩壊には時間差(タイムラグ)が生じる。
[外を壊すことは内を壊すこと]
◎ともかくも、外(形式・制度)を壊すことは、内(心・精神・思想)を壊すことであり、逆に、心をつくるということは、形を作ることである。一方だけを作り上げようとしても悪あがきに過ぎない。器と中身で一揃いである。