真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「死に神」はどこにいるのだろうか

[死刑を執行した]
◎もう、旬を過ぎた話題となってしまったが、鳩山法相が、宮崎勤元死刑囚(45)らの死刑を執行したことと、翌日(とそれ以降)の出来事とについて述べたい。
参考資料→(私のブログ)「死刑と心の揺れ」
参考資料→(私のブログ)「犯罪被害者と遺族感情」
参考資料→(私のブログ)「弁護団への懲戒請求が3900件」
[ゴキブリが身を隠した]
◎それを書こうと思い立ったことの発端は、こうである。私が、夜中にのどが渇いて、台所に立つと、ゴキブリが一匹ササッと素早く身を隠した。
[殺虫剤で奴を見事殺した]
◎しかし、私は、即座に殺虫剤を奴に向けて、見事殺した。ゴキブリにとって、私の台所は天国である。しかし、その私の行為は、「死に神」的行為である。
[キブリには何の罪もない]
◎私の台所で暮らすゴキブリには何の罪もない。奴は、ここ(私の台所)で生まれ、そこを生活の場にしている。奴には、そこで暮らす権利はないのか。
[勝手に一方的に宣言]
◎私は、そこを私だけの場所だとゴキブリへの断りもなく、勝手に一方的に宣言して、それに逆らう何の罪もない奴を殺した。
[私には罪の意識はない]
◎しかし、残念ながら、私には罪の意識は毛頭ない。これからも、ゴキブリを見かければ、殺してゆく。私はゴキブリが嫌いだから。
[私は不遜にも神の位置に立つ]
◎彼ら(ゴキブリ)から見れば、私は恐ろしい「死に神」であろう。だが他方、私は、ペットの犬やねこには、わざわざ買って(飼って)までして、餌をやり、「可愛い可愛い」となでてやる。こういう面では、私は不遜にも神の位置に立っている。
[朝日新聞死に神と掲載]
◎という前振りはこのくらいにして、本題に入る。朝日新聞が、18日付夕刊1面コラム「素粒子」で、「永世死刑執行人 鳩山法相。またの名、死に神」と掲載した。
[朝日新聞社に約1800件の抗議や意見]
◎鳩山法相は、朝日新聞が、彼を「死に神」とコラムに掲載したことについて、怒りをあらわにした。また、朝日新聞社に約1800件の抗議や意見が寄せられそうである。
[犯罪被害者の会が朝日新聞社に抗議文]
◎話はそれだけで終わらずに、全国犯罪被害者の会あすの会」が、朝日新聞社に抗議文(と質問状)を送った。何故なのか。
[犯罪被害者が侮辱された]
◎「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになってしまう」と、「死に神」、「死刑執行人」だと、「犯罪被害者が侮辱された」とみている。
[死を左右する存在]
◎「死に神」とは、自然の流れ(それぞれの持つ運命)に逆らって、死を左右する存在(機能)だと思う。私個人としては、「死に神」にそんなに悪のイメージを持たない。
[死運命だけを特別扱いにする理由もない]
◎軽い例でいえば、木を植えて、数年後に、その木を切り倒して、家具に使うならば、木の運命をかなり人間の手で、左右させている。死(という運命)だけを特別扱いにする理由もないだろう。
[生物の生殺与奪をする人間]
◎私たち人間は、人間自身だけでなく、地球上のすべての生物の運命(生殺与奪)をも人間の都合だけで左右させている。神の立場に身を置いている。
[死に神の側に立つ]
◎犯罪被害者遺族も、「死に神」、「死刑執行人」の側に、やはり立っているのではないだろうか。私自身も、彼らの死刑に賛成だったので、「死に神」、「死刑執行人」の側に立っている。より直接的か、かなり間接的かの違いはあろうが。
[自覚が必要]
◎犯罪被害者遺族や法相や私のように死刑への賛成者は、「死に神」・「死刑執行人」の側にいるという自覚が必要だと思う。「これは正しい」という永世的絶対的基準はなく、ただ各自の相対的判断に過ぎないのだから。
[自覚なしに判断賛成を述べる]
◎裁判官や法相や死刑賛成者は、「死に神」・「死刑執行人」の側面を持つという自覚なしに、判決、判断、賛成を述べるのは許されるべきではないだろう。裁判官も、死刑判決には、かなりの精神的負担を感じる者も多いと聞く。
[死刑を要求しないという選択]
◎もちろん、「法相は職務を全うしているだけ」である。しかし、歴代の法相がしたように、避けて通ることもできたはずである。犯罪被害者遺族も死刑を要求しないという選択もできたはずである。それを敢えて選んだのに、「運命(特に死)を左右する神」(死に神)と呼ばれることを拒むべきではないだろう。
[自分の意志で死に神側に同席]
◎自分の意志で、「死に神」・「死刑執行人」の側に同席したはずであろう。単に第三者的な意見としてではなく、それだけの覚悟をもってやはり要求、判断、賛成を述べるべきである。「死に神」呼ばわりの拒否は、いいとこ取りとも取れそうである。
[裁判員制度]
裁判員制度がまもなく始まる。これはそれへの良き警鐘なのかもしれない。要求判断賛成などの意見を表明することによって、相手の運命をも左右しているのだ、との強い自覚と覚悟を持てとの。